2014年3月25日火曜日

コメント 2014年3月24日付

 野島伸司批判を以前行いましたがその際にコメントをいただきました鈴木昌生さんよりコメントをいただきました。
 本人の許可を得たうえで公開いたします。コメントに感謝いたします。



 お久しぶりです。
 「明日,ママがいない」問題についてまたメールを送信させて頂きます。
 私は一度も見ませんでしたが,全話放送させてやって良かったと思います。それは「私は君の意見には反対だ。しかし,君の意見が封じられそうになったら,私は命を懸けてでも君の意見を守るだろう」などというものではありません。

※小野注 線引きの言葉はフランスの哲学者であるヴォルテーヌの名言とされています。

 もし「打ち切り」になってしまえば,「それ」を知ったそそっかしい人達が「スポンサーや一部視聴者の意見によって潰された幻の名作」「偽善者によって消された社会派ドラマ」などと正に経済におけるバブルの如く実態以上にこのドラマを「評価」してしまう危険性があるからです。
 私は特撮ドラマが好きなので「ウルトラセブン」や「怪奇大作戦」の「封印回」も知っていますし,一部ですがイベント会場で見た経験もあります。しかし,ネット上には「ドラマとして面白くない」という意見もあるのです。「封印されたが故に過大に評価された」という見方もあるのです。「打ち切り」は,「言論の自由の自殺」では無く,大量殺人を行ったカルトの指導者を現場で治安組織が殺害したり,死刑判決後即執行という比喩もできます。
 故に最「期」まで放送させてやればいいのです。そうすれば,平成26年のドラマのワン・オブ・ゼムに過ぎなくなり,「多くの人々」からは忘れ去られていくはずです。この20年の野島作品がそうではありませんか。
 更に次の様な「利用・活用法」もあります。私は児童養護施設には正直関心はないのですが,ネットを駆使してそれを題材にした「喜劇」として楽しんでしまうのです。
 「んなわきゃねーだろ」「作った奴らは全員バカ」などと著作権は侵害せず,しかしそういう意見を書き込んで皆で楽しむのです。本来は視聴者も制作者の意図を汲むべきとは思うのですが,視聴者が制作者と「ズレ」ることが悪とは言えないと思います。根拠はありませんが,このドラマの制作者は自分達は喜劇とは正反対のドラマを作っていると思っていると推測されます。だからこそ,さんざん笑い物にしてやればいいのです。20年前「週刊文春」を立ち読みしたら故ナンシー関氏が「家なき子」のことを「コントみたいなドラマ」と評しておりました。
 誤解を与える,人を苦しめる悪質なドラマだからこそ逆に視聴者が「違う見方」をして報復するという方法もあると思います。全話放送させてやればテレビ屋も満足するでしょう。どうせ深く考えて欲しいなどいう意思もない短命覚悟,話題になればいいんだの使い捨てドラマだろうし。
 長文失礼致しました。御一報頂ければこちらからの返信無しで公開して下さって構いません。文責は全て私鈴木昌生にあります。
 よろしくお願いいたします。