2014年3月4日火曜日

「明日、ママがいない」に口をつぐむ日本ユニセフ協会(2014.3.25 追記)

日テレ「明日、ママがいない」 マスコミが詳しく報道しない慈恵病院の主張 子どもにフラッシュバックも
水島宏明 | 法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター
2014年1月29日 20時51分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140129-00032115/

日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」については、ドラマでショックを受けて記憶のフラッシュバックが起きてリストカットした児童養護施設出身の若者の話を書いたが、他にも記憶のフラッシュバックに関する体験が続々と寄せられている。
この問題については今後も書いていくことにする。
ドラマの「加害性」をめぐる議論に芸能人まで参入して事態はおかしな方向に行きつつあるが、一つだけ、ご理解いただきたいのは、ドラマが作品として「良いドラマか」「完成度が高いか」「俳優の演技がうまい」かどうかを問題にしているわけではないことだ。今回の慈恵病院のや全国児童養護施設協議会などが行った問題提起は、あくまで「現在、児童養護施設にいる子どもたちなどへの加害性が強いので、それがない形の放送にしてほしい」というものだ。
それなのに「最後まで見れば良いドラマだと分かる」など、およそ施設の子どもたちなどとは無関係で、無責任な議論が飛び交っているのはマスコミのニュースが両論併記で、関係者の言い分がちゃんと報道されていないからだと思う。
日本テレビの大久保好男社長が記者会見で「最後まで見てほしい」と発言したというのも私には信じがたい。
私の知る限り、大久保氏はバランス感覚のある、極めて良識的な人物だ。
児童福祉の関係者がドラマに加害性があるとして問題提起した場合、その問題提起の重さについてきちんと理解できる人物だと考える。
ただ、大きな組織ではよくあることだが、この種の問題の詳細が経営トップにちゃんと上がっていないことも少なくない。
会社内の「小役人」のような管理職が保身で自分たちに都合のよい情報だけを上げて、トップが正確な判断ができない場合は大きな会社ではよくあることだ。
かなり長いが、慈恵病院のコメントをよく読んでほしいと思う。
マスコミにはここまで詳しく載らないが、ネット記事であれば載せることができる。
病院の関係者が誠実に書いたものだ。

はじめに
日本テレビによる「明日、ママがいない」放送に当たりまして当院のお願いが一種の論争を引き起こす形となったにも関わらず、皆様に十分な情報が伝わりにくくなっていることに対し、深くお詫び申し上げます。
記者会見では、今回のお願いを申し上げる背景についてもご説明させていただきました。
しかし、限られた紙面や放送時間では私たちの考えが十分に伝わらず、励ましのお言葉、お叱りのお言葉を頂く中で、誤解を招く状況が生じていることを心配しております。
そこで、少しでもご理解いただければと、私たちの考えをホームページ上に掲載させて頂くことに致しました。
今、私たちが問題にしているのは一般家庭のお子さんだけではなく、児童養護施設へ入所する前に家庭で虐待を受けたお子さんの、傷ついた心のケアの問題です。虐待を受けた中には、トラウマ(心的外傷)の影響から脱却できないケースがあります。友達が冗談で投げかけた「ポスト」「ロッカー」「ドンキ」などの言葉も、虐待を受けた子どもの心には刃物のように突き刺さり、フラッシュバックの引き金になりかねません。
全国児童養護施設協議会は放送以前から内容を問題視し、12月に内容変更の申し入れをしていました。それにも関わらず第1回が放送され、実際に影響を受けたお子さんがいらっしゃいます。第2回の放送内容では過激な印象が薄れて少し安心しましたが、差別的なあだ名で呼び合い、施設のお子さんがペットショップの犬扱いされる部分につきましては変化がなく、残念な思いです。
ホームページでは当院の考え方のご説明、テレビ局とのやり取り、病院に頂きましたご質問へのご説明を掲載させていただきました。
どうぞご理解を賜りますようお願い申し上げます。
聖粒会 慈恵病院
文責:産婦人科部長 蓮田健

慈恵病院側は、病院の問題提起に対して一般の人たちから寄せられる、いろいろな意見や疑問に対して、丁寧に答えている。
たとえば、こんなふうだ。

「フィクションだから、いいのでは?」

フィクションとは、ドラマを見る人が現実との境界線をある程度引けることを前提とします。
警察、学校、病院を舞台にしたドラマは沢山ありますが、多くの人がそのような施設に対する予備知識を持っています。例えば学園ドラマで過激な描写がなされても、ほとんどの人が学校生活を経験していますから、「あんな事は実際の学校ではあり得ない。あくまでフィクションだ」と判断できるはずです。
しかし児童養護施設の場合、現代におけるその姿を知っている人は、どのくらいいるでしょう。養護施設と養護学校の違いさえ分からない人もいるのではないでしょうか。グループホームの事を知らない人は、もっと多いと思います。
子どもがフィクション作品を評価するのは、もっと困難です。
例えば、幼稚園児がウルトラマンの怪獣は世界のどこかにいて「いつか自分の街に来たらどうしよう」と心配するようなもので、大人にとっては明らかに非現実的でも、子どもにとっては分かりません。
そのような中で、グループホームが現実とかけ離れた劣悪な環境と表現されれば、誤解が生じます。これまで施設が大集団で行われ、そのマイナス面が指摘される中、子ども達に家庭的な環境を提供できるグループホームは、厚生労働省をはじめ多くの人が推進に努力してきた事業です。
ドラマにあるように、ごく少数の大人による運営ですので、密室状態となり外部からのチェックが入りにくいなどの問題はあり得ます。仮にグループホームで虐待が生じたとき、大集団の施設より問題が表面化しにくいと思います。ドラマにある施設長の姿はそれを表現されているのかもしれませんが、現実とのギャップが大きく読み取ることが難しいのではないでしょうか。子どもの中には「どうして大好きな芦田愛菜ちゃんが、あんなこと言うの?」と、ドラマと現実の区別ができていない子もいました。

今後のお願い
1月15日の第1回放送内容は、児童養護施設で生活する敏感な子どもたちに与える影響が大きいと予想されるものでした。1月16日の時点ではさらに10回の放送が予定されていると伺い、さらに1月18日の時点では既に7~8回分が収録を終えているとのことでした。放送が重なることによる悪影響を危惧し、日本テレビには放送中止をお願い致しました。
しかし、1月27日には日本テレビによる放送継続の意向が表明されました。さらに残りの放送回数が7回であること、第4話も収録中で、完成している台本は第5話までと報道で確認致しました。私どもとしましては、今後の放送を見守るしかない立場にあります。
今後の放送でも、施設のお子さん方が傷つくようなあだ名が連発されはしないかと心配でなりません。その一方で、もしかするとテレビ局の方々が修正なさったものを放送してくださり、それが大きく問題にならない方向へ転換されるのではないかと期待もしております。
児童養護施設、里子、特別養子縁組には、さまざまな課題があります。
しかし、社会から目を向けてもらえることは少なく、改善が速やかには進みません。
現状のマイナス面も含めて、視聴者の皆さまにメッセージを送っていただき、この問題を考える機会にして頂くことを願っています。

「児童養護施設出身者は問題ないと言っている」

施設には多くのお子さんがいらっしゃいます。
ポストと呼ばれても意に介さないお子さんもいらっしゃるかもしれません。
また、ドラマの内容を元に施設の子をからかうお子さんは少ないと思います。
しかし私が心配しているのは、心が折れてしまいそうな敏感で繊細なお子さん達です。
施設では、家庭で虐待を受けたお子さんが増えています。
「両親を交通事故で亡くした」「経済的に苦しい」という背景の子ばかりではありません。虐待を受けたお子さん達の心は傷つきやすく私たち大人には一層の配慮が求められます。
施設職員を名乗る方からはこのようなメッセージもいただきました。
「周りの同級生、保護者からどう思われるのか、何を言われるのか。施設の子ども達は引け目を感じているので、他人からの評価を非常に気にします。子ども達は不安に思っているようです。ドラマを見て過呼吸で倒れた子すらいました。」
今後公表されると思いますが、ドラマの悪影響が小学生を中心に発生しています。
さらに拡大しないことを切に願います。

私自身も児童福祉の世界を取材した経験から、病院側と同じことを心配している。
傷つきやすい子どもたちは実際に存在するのだ。
たとえ、大丈夫な子どもたちもいるとしても、大勢の人たちに一方的に送りつけてしまうテレビは、
「心が折れてしまいそうな敏感で繊細な」子どもへの配慮をすべきだと私も思っている。
その存在を知っていたら、「最後まで見てほしい」などとは言えないはずだ。
心ある人間ならば。

「児童養護施設内での虐待など、施設のマイナス部分を出してはいけないのか」

施設や里親の負の部分を描くことに反対ではありません。
沢山ある施設の中には職員による虐待、子ども間の虐待などの問題を抱えているところがあるはずです。被害に遭っている子どもを救うためにも、そのような問題に光を当てて頂くことは大切です。
ドラマをきっかけに養護施設や里親制度に関心を持っていただくことは大事だと考えています。
問題点を提起していただくことも必要でしょうし、結果として施設の制度や問題点の改善に国が動き出すならば、子ども達の幸せに結びつきます。もし、その過程で傷つく人が生じても、これを最小限にとどめるための心のケアが伴っていれば、意味のあることだと思います。
子どもを虐待するのが趣味で施設職員になった人はいないと思います。
職員が問題への対応の力量不足であったり、虐待を受けた子どもの挑発等により手をあげてしまうということもあり、反省すべき点です。その背景には予算不足、職員不足から生じる子どものケアの不備なども問題です。現在の日本の職員配置基準では、一人の職員が多くのお子さんをお世話しなければならないのが現状です。一方で、施設において子どもは自分だけをみてくれる職員・大人を求め続けるといった矛盾が生じています。
ドラマに出てくるようなレベルの虐待が過去にあったことは事実ですが、それは数十年前のこと。過去を反省し、新しく望まれる姿の児童養護施設を追求してきた結果、厚生労働省が推し進める“地域に根ざしたグループホーム”という形態が進みつつある中、舞台を厚生労働省が考えるグループホームにおいて、あのように表現したことに無理があったのではないかと思います。
産婦人科の世界も数十年前と今では、かなり異なります。数十年前は産声を上げるくらいの赤ちゃんを中絶していました。バケツに入れて亡くなるのを待つのです。しかし、それは親のどうしようもない事情から泣いて頼まれてやむなく引き受けた仕事です。当時の産婦人科医を責めることができない背景もありました。しかし、少なくとも現代の日本においてはそのような中絶はありません。もし、このような場面を現代のドラマとして表現すれば、大きな誤解を招きます。
犬扱いのシーンについては、施設関係者の方も同じ思いを持っていらっしゃるのではないでしょうか。

一般の視聴者からの、ある意味で無責任な意見にも誠実に答えている。
さらに、私が一人の取材者として、日本テレビ側が恥ずかしく思わないのか、と感じているのは以下のような指摘についてだ。

取材して頂きたかった

ドラマに感動的な部分や考えさせられる部分がありながら問題箇所があるのは現場の取材が少なかったことにあると思います。脚本家や番組スタッフの方が直接児童養護施設に足を運び、お子さんの姿に接したりお話をお聞きになれば、つらい内容だとしても必要性が強いということで許容できるものになっていたのではないでしょうか。「こうのとりのゆりかご」の現実についても当院にお越しいただいたり関係者の話をお聞きになれば、「ポスト」というあだ名が使用できるものではないことはご理解いただけたはずです。これらのあだ名で呼ぶことは、虐待を受けた子どもにとってフラッシュバックを引き起こす原因になります。「ポスト」「ドンキ」「ロッカー」などのあだ名をどうしても使用しなければいけないのなら、その必然性も同時に表現していただくべきと思います。
大変失礼な言い方かもしれませんが、他の人が取材したり記録したものを前提になさったことが今回の事態を招いてしまったように思います。
昨年11月に「こうのとりのゆりかご」と題したドラマがTBSから放送されました。
この時は脚本家やスタッフの方が病院にお越しになり、現場の人間に取材なさいました。
インタビューの途中で脚本家の方が話の内容に涙を流された事は強く記憶に残っています。
この方なら私たちが心配するような脚本をお作りにならないだろうという安心感を持ちました。
それでもテレビ局と当院の意見や見解に相違が生じた点は少なからず発生しました。そのたびに双方が話し合い着地点を探りました。議論が白熱し決裂しかけたこともありました。    
特にドラマの中で看護部長役の薬師丸ひろ子さんが預け入れた実母さんに電停で声をかけるシーンでは、お互いが譲らない状況に陥りました。
実母さんを追いかける行為を現在当院では行っておりません。そのようなシーンを見た視聴者の中には、「こうのとりのゆりかご」に行けば身元が特定されてしまう事を恐れて預け入れを躊躇する人が出てくるかもしれません。そのことが原因で赤ちゃんに危害が生じることを恐れているのです。実母さんを特定し、説得して養子縁組を認めてもらえれば、早期に家庭的な環境の中で育つことができます。集団生活の結果、赤ちゃんが愛着障害を来す危険性を私たちは心配していますので、本当は実母さんを追いかけて特別養子縁組をお願いしたいのです。ですから、思いとは裏腹にこのシーンの削除や変更をお願いしました。
しかし、プロデューサーの方は、「この設定はドラマの演出のためにどうしても必要だ」と述べられ一歩も譲られません。長文になりますのでその理由については割愛させていただきますが、お話を伺い少し理解できたように感じました。ドラマの最後に「お母さんを追いかける行為を行っていません」のテロップを入れていただくことで決着しましたが、それまでは、厳しいやり取りが続きました。「こんな内容なら当院を取り上げていただきたくない」と申し上げる病院側と、「これはドキュメンタリーではない。ドラマの魅力のためには必要だ。それがないならしない方がいい。」と述べるテレビ局側のやり取りがありました。
今回ドラマとして取り上げていただく事に病院が同意した理由は、当院のホームページ「こうのとりのゆりかご放送にあたって」にありますが、「こうのとりのゆりかご」の現実を知っていただくことと、これから妊娠を迎える人たちに最終手段としての「こうのとりのゆりかご」の存在を知っていただきたいことの2点でした。その重要性を認識しておりましたので、大局を優先し、問題のシーンはTBSの方にお任せすることにいたしました。
実際にドラマを拝見してプロデューサーのおっしゃりたいことがわりました。「こうのとりのゆりかご」という重く難しい内容を、視聴者にわかりやすく飽きさせずに訴えるにはドキュメンタリーではなくドラマの手法がより効果的ではないでしょうか。小学生にもチャンネルを変えずに付き合ってもらい、理解してもらうには演出が必要だと素人なりに感じました。若い人たちに「こうのとりのゆりかご」を知っていただくという意味でもすばらしい作品を作っていただいたと思います。
当初は理解しがたい主張に思えたのですが、プロデューサーの気迫や自信が私たちを動かしたのだとも思います。また、「ドラマを作るときには取材をした上で会議を開き、どのような点に気をつけるべきなのか局内で話し合いながら進めています」と強調されることで、ドラマとは縁遠くメディア露出に疑心暗鬼となりがちな地方病院の信頼を得られたと思います。

TBSの姿勢とあまりに違うではないか。
取材した上で表現するのが、報道機関の仕事だ。
取材した上でも、どう表現するかについては、取材を受けた側、あるいは当事者側とテレビ局との間で見解が違うことは、たまにあることだ。私がやっていたドキュメンタリーの分野でも起きる。ただ、その際に、丁寧に相手の話を聞いて妥協点を探っていくか、あるいは、それを放り投げて短兵急にコトを処理するかは、制作者の姿勢の問題だ。
やはり取材した上で、相手の立場を尊重して、相手の言葉に耳を傾けて、というのがあるべき対応だろう。
そこを省くから、問題が生じる。
今回、日本テレビが局を挙げて、「問題のない放送だ」と言い張るとしたら、日本テレビで数多く発生している「ヤラセ」などの不祥事も、やはりこうした体質から生じているのでは?と思わざるえない。
OBとしてはそうではないと信じたいが、「丁寧な仕事」をしないでも済むとしたら、ヤラセや偽造などの不祥事につながる。
「ポスト」という名前を使いながら、関係施設を直接に取材しなかった、というのは、私の経験上「怠慢」だと考える。

「売名行為では?」
民間の中小病院にとって、今回のような行動は大きなリスクを伴います。
経営面から考えると、テレビ局には何も申し上げない方が良いとも思います。
イメージが攻撃的なものになってしまいますので、今回のような行動は病院にとってもマイナスです。
さらには「こうのとりのゆりかご」も、経営上は負担の大きい事業です。
ただ、共通して申し上げられるのは、赤ちゃんを含めた弱い立場にある子どもを守るということ。その後、里親・乳児院・児童養護施設でつらい過去を乗り越えるために苦しんでいる子ども達に、さらなる苦しみを感じさせたくないという、必死な気持ちが動機になっているのです。

(2)グループホーム施設長の子ども達に対する以下の発言

【施設内で朝食を食べる前の発言】
よしっ!泣け。
どうした?
芸のひとつもできないのか。
そんなことじゃ、もらい手はつかんぞ。
いいか?
ここにいるお前たちは、ペットショップのイヌと同じだ。
ペットの幸せは飼い主で決まる。
飼い主はペットをどうやって決める?
かわいげで決める。
時に心を癒すようにかわいらしく笑い、時に庇護欲をそそるように泣く。
初対面の大人を睨めつけるようなペットなんざ、誰ももらってくれない。
イヌだって、お手くらいの芸はできる。
分かったら泣け。
泣いた奴から食っていい。
きたなく泣く奴があるか!
かわいげを見せろと言ったんだ。

【ダイフクと呼ばれる男の子が里子として適応できず、グループホームへ戻って来た行為を指して】
下らん理由で逃げ出して。
イヌのくせにしっぽの振り方も知らない。
そんなイヌは、いつ捨てられても文句は言えない。

このような発言は施設の子や里子の名誉を傷つけるものです。「施設では泣く練習をさせられるの?」という質問だけでも、子どもは傷つきます。
過去に似たような事例があったと伺っていますが、それは数十年前の事。国の方針で新しい形態に変わりつつある中で、あたかも現代においてそれが行われているかのように描くのは問題です。
グループホームが運営され始めたのは、最近のことです。社会にほとんど認知されていない中、子どもにとって劣悪な生活環境と受け取られかねない描写は、グループホームへの誤解を生む恐れがあります。グループホームに対する不信感が生じれば、虐待した親が子どもの入所に反対する口実にされるのではと心配する関係者もいます。「そんなバカな、フィクションドラマを引き合いに出して」とお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、児童相談所と親との間には、そのような会話が交わされることもあると伺っています。

'''「名誉毀損で訴えるべきでは?」

'''ドラマによって傷つくお子さんや職員さんが発生することを予想しましたので、謝罪をお願いしました。しかし当院に謝罪をお願いしている訳ではありません。
また、何よりもお子さんが傷つく事、つまり問題部分の放送の回避が優先されますので、BPOへの審議依頼の中では謝罪項目を設けていません。
今回のドラマが「こうのとりのゆりかご」に預けられた赤ちゃんの名誉毀損に当たるかどうかの判断は(実害が表に出ていないため)人によって分かれると思います。少なくとも当院の名誉毀損には当たらないと考えております。

以下の報告は見過ごせない。施設の子どもたちなどで過呼吸症候群などのフラッシュバックが起きているという。

ドラマによって、「フラッシュバック」を来している事例が報告され始めました。
ドラマが引き金になって過呼吸(医学的に正しくは過換気です)や自傷行為を始める現象は虐待を受けた子どもにとって予想されることでした。
「いやな思いをした」では済まされないレベルです。

病院関係者のこんな声もある。

私は1月25日、日本テレビに電話を入れ、フラッシュバックを来している事例があり危険だと伝えました。
警告されたにも関わらず今後の放送内容に問題があれば、犯罪行為と言われても仕方がありません。
児童養護施設においては、今後子どもにドラマを見せないようにしていただくべきだと思います。
日本テレビにも厳重な配慮をお願いしたいところです。

これを放置するとしたら、許されないことだ。
日本テレビはそれでも放送をそのままに続けるのだろうか。
何度も言うが、こうした情報は経営トップにまで上がっているのだろうか。
フラッシュバックが実際に起きていることを知って、「最後まで見てほしい」と言っているのだろうか。
いったい、何人の子どもをフラッシュバックさせたら、気がつくのだろう。

水島宏明 法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター
1957年生まれ。東大卒。札幌テレビで生活保護の矛盾を突くドキュメンタリー 『母さんが死んだ』や准看護婦制度の問題点を問う『天使の矛盾』を制作。ロン ドン、ベルリン特派員を歴任。日本テレビで「NNNドキュメント」ディレク ターと「ズームイン!」解説キャスターを兼務。『ネットカフェ難民』の名づけ 親として貧困問題や環境・原子力のドキュメンタリーを制作。芸術選奨・文部科 学大臣賞受賞。2012年から法政大学社会学部教授。

 この水島さんの厳しい指摘に日本テレビは呆れた言い逃れを繰り返している。
 私は日本テレビボイコットを行うと明言する。
 だが、この酷いドラマを黙っていいのかと問いかけたい団体がある。
 日本ユニセフ協会だ。彼らは児童ポルノをなくせというが、その発生の根源は貧困問題だ。
 私はユニセフにこのメールを送り問題を問いかけた。

Subject: 「明日、ママがいない」へのCMを出さないようお願いします
    Date: Tue, 28 Jan 2014 21:57:53 +0900
    From: -
      To: webmaster@unicef.or.jp

 私は御団体の活動にあまり賛同しがたいものです。
 御団体とは児童ポルノについて大きな溝があり、そのことに対する不信感はぬぐいきれません。ですが、お願いに上がりました。
 最近、日本テレビ系で放映されている「明日、ママがいない」なるドラマですが、すでに多くの人たちから人権上重大な懸念が寄せられ、当初放映されていたスポンサー8社すべてが降板する事態となっております。
 それなのにもかかわらず日本テレビは傲慢にも放映を強行しています。御団体はこの人権を踏みにじるドラマや日本テレビの傲慢な姿勢に対してどう考えておられるのでしょうか。もし、日本テレビでスポットとはいえCMをされていましたら、即座に降板をお願いいたします。
 そして、日本ユニセフ協会は貧困問題に対して真摯な取り組みをお願いいたします。貧困問題の解決なくして、児童ポルノはなくなりません。そのことを強く求め、メールを送らせていただきます。

 日本ユニセフ協会 担当者様
 小野 哲 拝

 この問いかけに日本ユニセフ協会は沈黙している。
 それでいいのだろうか。人権じゅうりんも甚だしい酷いドラマを黙って見過ごすのでは人権保護の趣旨に反しているとしか言いようがない。
 ただちに、抗議に加わるべきだ。そもそも、日本ユニセフ協会は児童ポルノの取り締まりばかりを主張するが写真による包み隠さない正しい性教育を小学校から行うこと、店頭で売られている週刊誌については立ち読みができないようにビニールで止めるよう要請することが大切なのだ。法による強制削除では逆に脱法ポルノを生み出した。そればかりではない、保護されているはずの子供たちから性器を自らさらすとんでもない醜態である。
 この醜態を生み出した日本ユニセフ協会はただちに過ちを認め、ヌーディズム団体と手を組み包み隠さない性教育の普及に力を入れると同時に、週刊誌各紙に対しわいせつな写真が見れないように配慮を要請するべきなのである。さらに小学校で産婦人科医と協力して包み隠さない性教育意を行うと同時に道徳よりも厳しいモラルを叩き込めばいいのである。