2014年3月7日金曜日

追い込まれた日本テレビ経営陣に告ぐ



高堀 冬彦テレビのヨミカタ
2014年01月22日(水) 高堀 冬彦 現代ビジネス
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38139
テレビ史の汚点になる前に、日テレは『明日、ママがいない』の放送中止か軌道修正を考えるべき!
日テレ「明日、ママがいない」公式ページより

テレビは見る側を楽しませるもの。あるいは有用な情報を伝えてくれるもの。人を傷つけたり、悲しませるものではない。わざわざ書くまでのことではなく、誰にでも分かっている話だろう。

さて、日本テレビで15日に始まった新連続ドラマ『明日、ママがいない』(水曜午後10時)について、熊本市の慈恵病院が「差別に満ちた内容。子供の人権侵害につながる」として、日テレに放送中止を求めると発表した。全国児童養護施設協議会も日テレに抗議文を出すという。

日テレは放送中止も視野に入れ、軌道修正を考えるべきだろう。BPOなどの判断を待つまでのことではない。たとえ大半の人が喜ぶドラマであろうが、傷つく少数派を切り捨てて良いということにはならない。
人を傷つける「大嘘」をついてはならない

このドラマの舞台は児童養護施設。登場する施設長(三上博史)は、子供たちに対して暴言を吐いたり、顔を叩いたり、日常的に虐待を行っている。親から「赤ちゃんポスト」に預けられた経緯があるため、周囲からポストと呼ばれる少女が主人公(芦田愛菜)だ。現実に赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)を設置して、子供の権利擁護に躍起になっている同病院としては、看過できないだろう。職業への差別意識や偏見を招き兼ねないから、児童養護施設の関係者も黙ってはいられないはずだ。

ドラマの中では、施設長が子供たちに向かって、「おまえたちは(養子縁組や里親が現れるのを待つ)ペットショップの犬と同じ」と言い放ったり、「芸の一つも出来んか」となじったりする場面がある。児童養護施設にいる子供たちや過去に施設で過ごした経験のある人たちの中には傷つく人もいるに違いない。児童養護施設関係者に対する偏見を招くと言われても仕方がない。

もともとドラマはすべて嘘なのだが、今回のケースは大嘘の部類であり、しかも人を傷つけてしまう怖れがある点でタチが良くない。なにより、子供が関係するのだから、問題は深刻だ。嘘だからといって、どんな描写をしても良いというわけではない。表現の自由とは別次元の話だ。

ドラマは嘘なのだが、『半沢直樹』(TBS)の放送後、就職先に銀行を選ぼうとする新卒者が急増したのは知られている通り。『ミスパイロット』(フジテレビ)の制作に全日本空輸(ANA)が全面協力したのも企業イメージがアップすることを期待してのこと。ドラマは嘘だが、見る側の印象を確実に操作するのは事実なのだ。

地上波は水道や電気と同じ性質のインフラであり、「安心」と「信頼」が売り物。そんな地上波におけるドラマツルギーの大原則は、人権に配慮し、職業を貶さないことだろう。地上波の枠内に収められない作品を見せたい制作者には、映画がある。映画には「R-15」などの観覧制限もあり、誰の目にも飛び込むわけはない。
見え隠れする事実誤認や偏見

ポスト以外の登場人物のネーミングも悪趣味としか言いようがない。ドンキ(鈴木梨央=母親が鈍器で人を殴る事件を起こした)、ロッカー(三浦翔平=コインロッカーに放置されていた)、オツボネ(大後寿々花=17歳になるまで身元受け入れ先がなく、焦っている)等々。制作者は否定するだろうが、ここでも差別意識が見え隠れする。

このドラマのテーマは「愛」らしいが、愛を描くために虐待される子供たちを登場させる必要はないはずだし、強制収容所のような架空の児童養護施設を描く必然性もない。足を踏まれた側が苦みを訴えている以上、踏んでしまった側はすみやかに対処すべきだ。

逆に「こんな児童養護施設は実際にある」「事実、児童養護施設はこうだった」と主張する人がいるのなら、市民の義務として即刻、法務省の人権擁護委員会や国際的人権擁護団体のアムネスティ・インターナショナルなどに告発すべきだ。匿名での通報も可能なのだから。

最初から話題づくりを狙っていた炎上商法なら話は別だが、テレビ朝日やフジと民放界のリーディングカンパニーの座を競っている日テレなのだから、そんな下卑た目論見はなかっただろう。

そもそもドラマのスタッフには最初から思い込みや事実誤認があったのではないか。番組ホームページでは児童養護施設について、「その数は全国で約600件(注・ママ)、生活する児童の数は3万人を超えている。子供たちがやってくる理由のほとんどは---虐待だ」と説明している。しかし、厚生労働省や内閣府など関係各省庁のデータを洗いざらい見ても、"入所理由のほとんどが虐待"とは言えない。

どんなデータを見ようが、虐待が理由の入所児童はせいぜい60%。父母の死亡や父母の不和、経済的理由も相当の割合になる。60%を「ほとんど」で片付けてしまうのは、いくらなんでも乱暴で、レッテル貼りと非難されても仕方がない。最初から児童養護施設に対する事実誤認や偏見があったのではないか。そうなのだとすれば、物語づくりや役柄づくりに無理が生じたのも頷ける。
差別意識が広がり、人権が侵害されてからでは手遅れ

脚本監修が野島伸司氏(50)であることも頷けた。一応、学園ドラマにカテゴライズされるTBS『高校教師』(1993年)では、教師と生徒の恋愛、女子高生の中絶、レイプ、近親相姦など過激な場面が次々と描かれた。センセーショナルな作品だった。フジ『リップスティック』(1999年)でも暴力が横行する鑑別所が描かれた。

やはり野島氏が原案を担当したというのが、日テレ『新・星の金貨』(2001年)。個人的感想だが、強い違和感を抱かせるドラマであり、偏見に満ちた作品だったと思っている。ヒロインには身体的なハンディ・キャップがあるのだが、ドラマのツールとして身体的ハンディを用いるのは卑劣な行為だ。身体にハンディがあろうが、みな同じ社会参画者なのだから。『新・星の金貨』の場合、その視点が決定的に欠落していた。

この物語では、「身体にハンディがある人=かわいそうな人」という観点が通底していた。「かわいそう」という観点が、いかに相手を見下し、侮辱するかはご存じの通り。たとえば、ヘレン・ケラーは世界中で認められる偉人であり、「かわいそうな人」などというバカな見方をする人はいない。『新・星の金貨』のヒットもあり、同時期、他局でも身体のハンディや不治の病をツールに使うドラマが量産されたが、いずれも時代を超える評価は得られなかった。

さて、『明日、ママがいない』はどうか。かつてのドラマが身体的ハンディをツールとしたように、今度は親と暮らせない子供たちを泣かせるためのツールにしているのではないか。万一、そうであるのなら、同じような立場にある子供たち、児童養護施設の出身者、関係者は救われない。

たぶん、この問題は強行突破できない。身体的ハンディのある人たちをツールにしたドラマが量産されていた時代とは違う。マスコミに向けられる目が厳しくなったせいもあるが、ネットが発達したことにより、視聴者は積極的に発言し、その意見を共有する時代になったためだ。

放送中止や軌道修正は何ら恥じることではない。過去、放送中止になったドラマやCMはいくらだってある。逆に強行突破してしまい、人権が侵害されたり、差別意識が広まってしまったら、取り返しがつかず、テレビ史の汚点になってしまう恐れすらあるだろう。

 ここまで厳しく批判されても日本テレビはひどいドラマを垂れ流している。
 この酷いドラマもどきによって、深刻な被害が出ている。


「明日ママ」で子供の被害報告15件 全国の養護施設、自傷行為も

産経新聞 1月29日(水)18時48分配信

 全国児童養護施設協議会は29日、日本テレビ系列で放映中の連続ドラマ「明日、ママがいない」の放送後、全国の施設で暮らす子供が自傷行為や学校でのからかいなどの被害を受けたとする報告が計15件あったと発表した。子供への影響が大きいとして協議会は同日、日テレに新たな抗議書を提出した。

 協議会によると、22日の第2話の放送を見た女子児童が自傷行為をして病院で手当てを受けたり、別の女子児童がクラスメートから「お前もどこかにもらわれるんだろ?」などとからかわれたりしたという。自傷行為をした児童は放送前に「モヤモヤする。死にたい」などと繰り返していたという。

 調査は今月17~27日に実施。施設の子供からは職員に約100件の意見があり、うち15件が被害相談だったという。


 そして許されないことに何もわかっていないバカなタレントもどきがとんでもない暴言を吐いている。


松本人志「明日ママ」批判に苦言
ビジネスジャーナル
2014年01月28日03時00分
松本人志、『明日ママ』批判に苦言「クレームで番組終わらせられる。テレビつまらなく」

 今クール(1~3月期)の連続テレビドラマで、児童養護施設で親と離れて暮らす子供たちを描く『明日、ママがいない』(日本テレビ系)をめぐり、赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を設置している慈恵病院(熊本市)が「児童養護施設の子供たちへの差別を助長する」との理由で、同局に放送中止を求め、さらに全国児童養護施設協議会や全国里親会も相次いで同様の抗議文を同局に送付。これらを受け同局は、「子供たちの視点から『愛情とは何か』ということを描く趣旨のもと、子供たちを愛する思いも真摯(しんし)に描いていきたいと思っております」との声明とともに番組の継続を発表し、波紋を呼んでいる。


 一連の騒動は同ドラマの提供スポンサーにも影響を及ぼし、第1話(1月15日)放送時には8社のスポンサー名が放送内で表示されていたが、騒動を受け第2話(22日)では全社の表示を取りやめ。第3話(29日)では全社がCM放送を見合わせるという異例の事態に発展しているが、27日、日本テレビの大久保好男社長は定例会見で「最後まで見ていただければ、制作の意図はわかる」と説明し、予定通り全9話まで放送する意向を改めて表明した。

 そんな中、1月28日0:50~放送のテレビ番組『ワイドナショー』(フジテレビ系)に出演したお笑いタレント・松本人志(ダウンタウン)は、同ドラマ批判に対し苦言を呈した。

 まず、司会のお笑いタレント・東野幸治は、強い批判を受けている同ドラマの制作サイドが今後の演出や表現を「うまいことごまかしていく」(東野)可能性を危惧。松本も「だんだん軌道修正していくのはイヤだね」と同調し、「(視聴者が)クレームをしてくるじゃないですか。この人たちが本当にどのくらいマジで、どのくらいの熱を持ってて、『本当にやめてほしい』と思っているか、数値化できたら一番良いんですけどね。なんとなくイタズラ半分、面白半分でクレームつけてくるものまで(テレビ局側が)対応しちゃうと、(番組が)どんどん面白くなくなっていきますよね」と危機感を示した。 

 そして、最初に放送中止を日本テレビへ要求した慈恵病院については、「この人たちが『マジでやめてほしい』と思っている人たちなんですよね」と前置きしつつ、「そうじゃない、乗っかって面白半分の人、いるじゃないですか。そこは僕、すごく悪だなと思うんですよね」と軽い気持ちで同ドラマを批判している人たちに違和感を示した。

 さらに、「もし『はい、やめます』ってなっちゃったら、『クレームしたら番組終わらせられるんだ』っていうのができちゃうと、どんどんつくり手はやりにくくなってくる」と危惧を口にした。

 また、映画監督・木村大作も、「規制をかけるんだけど、それは大きな規制につながるからイヤ。(制作サイドは)自由にやったらいいと思う。(視聴者側は)それが駄目だったら観なきゃいい」と、表現に対する過度の規制にエスカレートする危険性を指摘した。

 番組内ではこのほかにも、最近、制作サイドの自主規制によりテレビドラマや映画で煙草を吸うシーンがなくなってきているという話題になると、木村は「なんにもやれなくなる。松本さんもなんにも撮れなくなるよ」と語り、映画監督でもある松本は「映画まで(クレームを)言われたら厳しい」と困惑した様子を見せた。

 松本と同じお笑いタレントとしては、先日、岡村隆史(ナインティナイン)がMCを務めるラジオ番組内で「もし、これで本当に放送中止になってしまったら、もうテレビの未来はないです」などと語り、同ドラマ批判への反論を展開。普段からバッシングの対象になりやすいバラエティ番組で活躍する人気タレントたちも、一連の騒動を受け、「クレームと規制の問題」に敏感になっている様子がうかがえる。

 1月15日に放送された同ドラマの第1話内では、赤ちゃんポストに預けられたという設定の子役に「ポスト」というあだ名がつけられたり、施設長が「お前たちはペットショップの犬と同じだ」という言葉を子役たちに浴びせたり、子役たちを平手打ちにするなどのシーンも見られた。この放送を受け、翌16日に慈恵病院は記者会見を開き、蓮田健・産婦人科部長は「施設の現状を知る視聴者は少ない。フィクションと言っても誤解されかねない」「同じ立場の子供が聞いたらどれだけ傷つくか」などと、同ドラマを批判。日本テレビに放送中止と謝罪を求めた。さらに20日には、約600施設が加盟する全国児童養護施設協議会と全国里親会も同局に抗議文を送付するなどして、波紋を呼んでいる。

 また、同ドラマ第1話の平均視聴率は14.0%(関東地区/ビデオリサーチ調べ)であったが、22日放送の第2話では13.5%(同)へ低下した。脚本監修は、過去に『高校教師』(TBS系)や『家なき子』(日本テレビ系)などを手掛けた人気脚本家・野島伸司氏が担当している。
(文=編集部)


 松本にはあの横山やすしがこんな厳しい一喝をしていた。
 ダウンタウンがライト兄弟時代に出演した『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)にて、家庭内暴力を奨励するネタをやらかした。
 「家庭内暴力の報道が少なくていいな」という浜田に松本が「どこがええねん、親を甘やかしたら駄目ですよ、親なんか子供が本気出せばすぐに殺せるということを教えとかなあいつらに」と返すネタだが、司会の横山やすしが「親をけなしたり、それはテレビで言うような漫才ちゃうねん。八尾のチンピラが立ち話しでもしとんのか!」と一喝した事がある。
 この一件について松本は、「チンピラの立ち話で結構。チンピラが立ち話をしていて聞いてみたら面白かった、それの何が悪い」と、また「テンポ・間合いばかりを重視してしまうと面白いものが生まれなくなってしまう」とやすしの漫才への姿勢を著書において中傷した。まさしく、銀行強盗が「お宅の警備が悪かったから俺達が強盗できたのだ」と居直っているとしか思えない。そのあとやすしを中傷する出し物を出しまくってやすしの息子の木村一八から厳しい抗議を受けて漫才師失格を自ら証明した。

 松本のこの傲慢な体質を見抜いていた横山の見識の高さに敬意を表したい。
 本当に情けない。最近のお笑いが弱者いじめの酷い代物で嫌悪感を覚えるものであるものは前から感じていたが情けないとしか言いようがない。
 松本・東野・木村・岡村に欠けているのは弱者の視点だ。そもそも芸人というのは河原乞食が始まりだ。
 彼らは「芸は売っても身は売らぬ」という誇りで芸をしていた。
 今の芸人と称する連中は誇りがなさすぎる。だから、「明日、ママがいない」に何とも感じないのだ。
 こんな調子なのだから、「幸せ!ボンビーガール」で貧困層を侮辱することに何とも感じないのだろう。