2014年5月2日金曜日

Jリーグ3部を盛り上げるために


J目指しクラブ発足 鵬翔松崎監督「地域密着目指す」

宮崎日日新聞 2014年3月15日(土)23時32分配信
 サッカーのJリーグ空白県の宮崎県に15日、将来のJ加盟を目指すクラブチームが発足した。鵬翔高を高校日本一に導いた監督の松崎博美氏(63)が代表 を務める「J・FC MIYAZAKI(ジェイ・エフシー ミヤザキ=以下JFC宮崎)」。松崎代表は「県民に愛される地域密着型のクラブを目指す。宮崎 にいても(Jクラブのある)都会の子どもと同様に夢をかなえられる環境にしたい」と意気込みを語った。

 ようやくJリーグを目指すチームが47都道府県に整ったことは大変喜ばしい。
 恐らくこのチームは現在JFLのホンダロックからチームの譲渡を受ける可能性がある。

高原 J3相模原移籍の背景に東京Vの深刻な資金難も

 J2東京ベルデー(以下東京Vと略)の元日本代表FW高原直泰(34)がJ3のSC相模原に電撃移籍することが20日、明らかになった。高原はすでに東京Vのチームメートや関係者に別れのあいさつを済ませており、21日から相模原に合流する。
 06年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会に出場するなど、日本代表のエースストライカーとして長く活躍してきたベテランが、新天地にJ3の舞台を選んだ。
  2012年限りでJ1清水エスパルスを退団した高原は13年から2年契約でJ2東京Vに移籍し、昨季はリーグ戦42試合中41試合に出場。チーム最多の11得点を マークするとともに献身的な守備も光り、中心選手として活躍した。シーズンオフには海外での自主トレーニングに若手を帯同するなど面倒見も良く“兄貴分” としての存在感も十分だった。
 だが、東京Vが深刻な資金難に陥ったことで高原の年俸1200万円(推定)がクラブの重荷となった。さらに高原を自ら口説いて自身の監督就任とともに入団させた三浦泰年監督(48)と、三浦監督を3年契約で招へいした羽生英之社長(49)による急激な若返り策が今季からスタート。6月で35歳になる高原は構想から外れ、開幕から3試合連続でベンチ外となっていた。
 そんな状況に、J1名古屋グランパスなどで活躍した元日本代表MFで、相模原を08年に立ち上げた望月重良代表(40)が目をつけた。同じ静岡県出身でもある高原の得点力と人間性を高く評 価。悲願のJ2昇格の目玉にと白羽の矢を立てたもので、望月代表の情熱的な誘いに高原も心を動かされた。
 相模原は今季から始まったJ3リーグの開幕戦でツエーゲン金沢に0―4で敗れるなど、12チーム中現在7位。やや苦戦のスタートとなっているが、国際Aマッチ通算23ゴールを誇る高原が加入すれば、一気に上昇気流に乗りそうだ。
[ 2014年3月21日 06:32 スポニチ] 

塾講師・配送…働くJリーガー J3、収入補い地域密着

中小路徹、勝見壮史
2014年4月20日09時29分

今季から始まったJ3(Jリーグ3部)。J1、J2に比べてクラブの経営規模は小さく、スポンサー企業で働くなどサッカー以外の職を持つ選手が多い。「J」とはいえプロにこだわらないクラブのあり方を探る中で、独自な地域との関わり方を育んでいる。
 倉庫で何百という段ボールを配達地域別に仕分けているのは、相模原のDF天野恒太(26)とFW松本祐樹(25)。相模原市で家電配送業などを手がける「ケー・ディー・エス」が正社員として雇用している。
 2人とも、クラブとはアマ契約。午前練習の日は午後から夜にかけ、翌日の配送準備に従事する。ホームゲームの日は試合後にも倉庫に入る。引っ越しが多い3月から4月にかけては特に忙しく、3月9日のJ3開幕当日も午前3時まで働いた。
 J2草津(現群馬)時代も旅館で働いた天野は「まず選手としてできる場所が欲しかった。J3の環境は理解している」。国士舘大出身の松本は「ゆくゆくはサッカーで生活していきたい。ただ、現役が終わった後に役立つこともこの仕事から学んでいる」と語る。
 ケー・ディー・エスが相模原のスポンサーになり、選手も雇用し始めたのは、2009年。「サッカーの『サの字』も知らなかったが、商売を始めて25年以上たち、地元にお手伝いできるのではないかと思った」と大塚孝一社長。今ではアウェー戦まで応援にいく。
 相模原はプロ契約とアマ契約が半々。プロも年俸は少なく、アルバイトで収入を補っている選手がほとんど。新聞販売所のセールスマンもいれば、スイミングクラブのコーチもいる。
 Jリーグは、J3のライセンスについて、プロ契約が3人以上いればいいなどハードルを大きく下げた。裾野拡大を図る狙いだ。朝日新聞の調べでは、ほぼ全選手がサッカー選手として生計を立てているのは、U22選抜をのぞく11クラブのうちJ2を経験した町田と鳥取のほか、長野だけだ。
 そんなJ3は、地域の企業や人々が少しずつ支えればクラブを維持できる。そのため、市民と一緒に存在するという認識がいっそう生まれやすくなった。
 「J3は住民とより深く関われる。だからこそ、新しい形を作らないといけないのではないか」と話すのは、藤枝のユニホームスポンサー、仏壇・仏具販売の「お仏壇のやまき」(本社・静岡市葵区)の浅野秀浩社長。清水、磐田に次ぐ静岡県内三つ目のJクラブとなる藤枝。大手企業がスポンサーにつくJ1のようなやり方は、後発のJ3では難しいと指摘する。
 藤枝のMF中津留奨吾(26)は、プロ契約だが、やまきが開く学習塾で講師としても働く。週4回、小学生に国語と算数を教える。「ピッチでもこの職場でも、しっかり期待に応えたい」と話す。
 琉球は昨季ほぼ全員がプロ契約だったが、今季は約半分がアマ契約で、スポンサー企業などで働く。身の丈経営という方針とともに、「選手が地域に出て働くことで、より親近感をもってもらいたい」(広報)という狙いもある。
 相模原の望月重良代表は「昨年までいたJFLと比べ、Jを名乗れることでクラブが市民の誇りになっていることが実感できる。J3を作ったところまでは成功。ここから大きくなれるかどうかは、各クラブの努力」と話す。(中小路徹、勝見壮史)
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 〈J3〉 Jリーグのクラブ数拡大路線に伴い、今季から新設された。J1とJ2に所属する22歳以下の選手の選抜チーム(U22選抜)を含む、 12クラブによる3回戦総当たりの変則ホーム・アンド・アウェー方式で順位を競う。J1、J2が試合登録18人、交代枠は3人なのに対し、J3は16人登 録で交代は5人。


 いい選手を集めるのもいいのだが、私はやはり盛り上がりが大切なのだと思う。
 そのためにも地域密着路線を強化する必要がある。そこで私は放映料の値下げを一つのヒントとして提案したい。その他にもスポンサー料金の細分化や、選手の身分の保障を図る必要があるので正規雇用にしたうえで地元の企業から派遣する選手にすればいいと考える。これで大分トリニータやサガン鳥栖、ヴァンフォーレ甲府はうまく行った。
 このJ3の成功でNPBの改革にもつなげねばならない。今の「プロ野球」は単なる大企業の道楽に過ぎない。企業名の排除と地域名を前面に打ち出す必要があるほか、アマチュアユースチームを立ち上げてそこからの補強も行う、2部制を作って独立リーグとの入れ替え戦を行うべきなのである。