2015年4月7日火曜日

新潮社:このおぞましきレイシズム出版社を許すな

週刊新潮の「少年実名報道」に日弁連会長が遺憾声明「報道に不可欠ではない」(全文)

川崎市の中学1年生が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された18歳少年の実名と顔写真が、3月5日発売の「週刊新潮」(新潮社)に掲載された。それを受け、日本弁護士連合会は「少年法61条に反する事態であり、誠に遺憾である」という村越進会長の声明を発表した。
 この声明のなかで、村越会長は「少年による事件については、本人と推知できるような報道がなされると、少年の更生と社会復帰を阻害するおそれが大きい」と弊害を指摘しつつ、「憲法21条が保障する表現の自由が極めて重要であるとしても、少年の実名等が報道に不可欠な要素とはいえない」と見解を述べて いる。
 また、週刊新潮が実名報道の根拠としてあげている2000年2月の大阪高裁判決について、「民事上の賠償責任までは認めなかったものの、少年法61条の趣旨を尊重した抑制的な対応を報道機関に求めて」いると指摘し、週刊新潮と同様の実名報道や写真掲載をしないよう、報道機関に対して要請した。
 村越会長の声明の全文は、以下の通り。

●少年の実名等報道を受けての会長声明

本年3月5日発売の「週刊新潮」は、2月20日に神奈川県川崎市で中学1年生男子の遺体が発見された事件について、被疑者である少年の実名を挙げ、顔写真を掲載した。
 これは、少年の犯行について氏名、年齢等、本人と推知することができるような記事又は写真の報道を禁止した少年法61条に反する事態であり、誠に遺憾である。
 少年法は、少年が成長途中の未成熟な存在であることに鑑み、「健全育成」の理念を掲げている(1条)。凶悪重大な少年事件の背景にも、少年の成育歴 や環境など複雑な要因が存在しており、少年のみの責任に帰する厳罰主義は妥当ではない。そして、少年による事件については、本人と推知できるような報道が なされると、少年の更生と社会復帰を阻害するおそれが大きいことから、事件の内容や重大性等に関わりなく、そのような報道を一律に禁止しているのである。
 国際的に見ても、子どもの権利条約41条2項は、刑法を犯したとされる子どもに対する手続のすべての段階における子どものプライバシーの尊重を保障 し、少年司法運営に関する国連最低基準規則(いわゆる北京ルールズ)8条も、少年のプライバシーの権利は、あらゆる段階で尊重されなければならず、原則と して少年の特定に結びつき得るいかなる情報も公開してはならないとしている。
 少年の実名等の報道については、2000年2月29日大阪高裁判決や、ネット上で既に実名等の情報が拡散していること、更には被害者側が実名等で報 道されることとの対比なども議論されている。しかし、上記大阪高裁判決は、民事上の賠償責任までは認めなかったものの、少年法61条の趣旨を尊重した抑制 的な対応を報道機関に求めており、また、ネット上での情報拡散については、プライバシー権等の侵害など、それ自体の違法性が問題となり得る。そして、名 誉・プライバシー権保護の理念は、被害者とその遺族についても尊重されなければならないことはいうまでもない。
 もとより、憲法21条が保障する表現の自由が極めて重要であるとしても、少年の実名等が報道に不可欠な要素とはいえない。事件の背景・要因を正確かつ冷静に報道することこそ、同種事件の再発を防止するために不可欠なことである。
 当連合会は、2007年11月21日付けで少年事件の実名・顔写真報道に関する意見書を発表したほか、これまでなされた同様の報道に対し、少年法61条を遵守するよう重ねて強く要請してきた。それにもかかわらず、今回同じ事態が繰り返されたことは極めて遺憾である。
 当連合会は、改めて報道機関に対し、今後同様の実名報道・写真掲載をすることのないよう要請する。
2015年3月5日
日本弁護士連合会
会長 村 越  進

 しかも、この週刊新潮は悪質極まりない。

2015年02月06日 11時13分

殺人容疑「19歳女子大生」の実名・写真を載せた「週刊新潮」――違法でないのか?

http://www.bengo4.com/topics/2640/

 名古屋市に住む77歳の女性を殺害したとして、19歳の女子大学生が1月下旬、殺人容疑で逮捕された。この事件は、女 子学生が「人を殺してみたかった」と供述していると伝えられたこともあり、各メディアが大きく報じている。そんななか、「週刊新潮」(新潮社)は2月5日 発売の最新号で、この女子学生の実名と顔写真を掲載した。
 その記事の冒頭には、こう記されている。「少年法は未成年者の犯罪につき、保護矯正の観点から身元の特定される報道を禁じている。が、その一方、 2000年2月には大阪高裁で、社会の正当な関心事であり凶悪重大な事案であれば実名報道が認められる場合がある――との判断が下され、『違法性なし』の 判決が確定している。今回もまた、この『法律』の理念の空しさを浮き彫りにしたケースと言えよう」
 少年法61条は、少年事件の実名報道を禁じている。それにもかかわらず、事件の性質によっては「違法性なし」とされる場合があるのだろうか。今回の実名報道をどう見るか、裁判官の経験もある田沢剛弁護士に解説してもらった。

●少年法61条はなぜ定められたのか?

「少年事件で逮捕された未成年者の実名や見た目などを報道することは、少年法で禁止されています。具体的には、少年法61条は、次のように定めています。
『家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない』
実名や写真だけでなく、その情報から、本人を推定できるような『推知報道』も禁止しています」
 日本のメディアの場合、成年であれば、被疑者の段階でも実名や容ぼうが報道されている。なぜ、少年については、そのような報道が禁止されているのだろう。
「少年は成長途上の存在であり、仮に罪を犯したとしても、社会の責任として健全な育成を援助する必要があります。実名報道は少年のプライバシー等を侵害するもので、その健全育成を阻害しかねません。そのため、そうした報道を規制する必要があるとの趣旨から、この規定が設けられました」
 田沢弁護士はこのように述べる。実際に少年法61条の文言を見てみると、気になる点がある。実名報道が禁止される対象として、「家庭裁判所の審判に 付された少年」または「少年のとき犯した罪により公訴を提起された者」と書いてあるのだ。これは逆にいうと、家裁の審判に付される「前」や、起訴される 「前」であれば、報道してもよいということだろうか。
「そのような解釈を認めれば、少年法61条はほとんど意味がない規定になってしまいます。やはり、家裁の審判の前でも、起訴前でも、実名報道は禁止されていると考えるべきでしょう」

●「保護される権利・利益」よりも「社会的利益」が大きいのか?

週刊新潮は今回の記事の冒頭で、少年の実名を掲載しても「違法性がない」との判断が下された過去の判決を挙げている。これまでの裁判では、どう争われたのだろうか。
「少年の実名報道について、出版社側に不法行為責任が生じるのかが争われた裁判では、基本的には、『保護されるべき少年の権利・利益よりも社会的利益が上回る事情があるのかどうか』という観点から判断されています。たしかに、実名報道に『違法性がない』ことの根拠として、週刊新潮が挙げている2000年2月29日の大阪高裁判決は、出版社の実名報道を違法とした一審判決を取り消し、『違法ではない』との判断を下しました」
 この裁判は、1998年1月に堺市で起こった通り魔事件で、有罪判決を受けた当時19歳の男性が、実名報道をした出版社を訴えたものだ。
「ただ、この判決については、最高裁に上告されたものの、その後、上告が取り下げられています。したがって、最高裁の判断がなされたわけではありません。ほかには、推知報道が問題となった長良川リンチ殺人事件の最高裁判決(2003年3月14日)があります。この判決では、不法行為の成否は、推知報 道によって侵害される利益ごとに(名誉なのか、プライバシーなのか、少年の成長発達過程において健全に成長するための権利なのかに応じて)、個別具体的に 判断すべき、としています」
 そうすると、実名報道について裁判所の判断は、個別具体的な事案によって異なってくるということになりそうだ。
 田沢弁護士は、「少年が犯したものであっても、重大な犯罪であれば、当然に社会の関心事ではあることは否定しません。しかし、だからといって、その 少年の実名や容ぼうそのものまで明らかにすべき『社会的利益』があるのかどうかは、個人的には正直、疑問に思います」と話していた。
(弁護士ドットコムニュース)

1967年、大阪府四条畷市生まれ。94年に裁判官任官(名古屋地方裁判所)。 以降、広島地方・家庭裁判所福山支部、横浜地方裁判所勤務を経て、02年に弁護士登録。相模原で開業後、新横浜へ事務所を移転。得意案件は倒産処理、交通 事故(被害者側)などの一般民事。趣味は、テニス、バレーボール。

 誰がどう見たって、週刊新潮の犯罪は許されないのは明白だ。
 まず、推定無罪の原則。裁判が終わるまでは、私は犯人と決め付ける報道とは一線を画す。そんな当たり前な常識は民主主義の基本なのである。
 だが、ネット世論にはそんな当たり前の考えは通用しないようだ。妄想ばかりがはびこるありさまにただただ呆れるばかりである。

週刊新潮 18歳実名報道にネット「いいぞもっとやれ」の声

日付:

 『週刊新潮』(新潮社)3月5日発売号に、川崎市・中1男子生徒殺害事件の、主犯格と見られる18歳少年の実名及び非加工顔写真(以下、顔写真)が掲載されたことについて、ネットで様々な意見があがっていた。
■「いいぞもっとやれ」「よくやったといいたい」
 少年法第61条は、未成年時(20歳未満)に犯した犯罪について、犯人の実名・顔写真など本人と推しはかることができる情報は報道してはならないと定めている。ただもし違反をしたとしても特に罰則はない。
 罰則はないにしても、大手マスコミはじめ報道の多くは、犯人の実名・顔写真を報道することはほぼなく、少年法に従い今事件も同様に扱っている。
 ただ、週刊新潮はつい先月の2月5日発売号でも、名古屋市・77歳女性殺害事件で、愛知県警に1月逮捕された女子大生(19)の実名・顔写真を掲載 しており、新潮社の他の雑誌も過去度々実名報道を行っている。(例:1997年・神戸連続児童殺傷事件/『FOCUS』酒鬼薔薇実名報道)
 さらに『新潮45』では、1998年・堺市通り魔事件(犯人当時19歳)で実名報道を行った際、加害男性から訴えられているが、2000年2月大阪 高裁の判決で、「社会の正当な関心事で不当でなければ、プライバシー侵害にはあたらない」と加害男性の訴えが退けられ、新潮社側が勝訴。「場合によっては 実名報道できる」という例を作っている。
 そうしたことから、週刊新潮に限らず新潮社全体が「少年法第61条を形骸化させる存在」と囁かれている。
 その週刊新潮の先月に続く実名報道には、ネット上で実名報道自体を支持する声が多くみられている。
 「いいぞもっとやれ」「よくやったといいたい」「被害者ばかりが晒(さら)されるのは不公平」「これはGJ」など。
 反対意見については支持者の方が多すぎるためか、余り目立っておらずネット上では少数派と言わざるを得ない。
 しかし実名報道の是非とは別に、一部からは週刊新潮に対し「売り上げのためでしょ」「実名報道したぐらいで正義ぶるな」という声もみられている。
■事件発覚直後から複数の個人情報流出
 今回18歳少年の実名を報じた週刊新潮より先に、事件発覚直後から、ネット上には「犯人の可能性がある人物」として、複数の実名・顔写真などが出回っていた。
 これは今回に限ったことではなく、凶悪事件が起きたり、ネット上で違法行為が見つかった場合、「正義」という名のもとに、ネットユーザーらが自発的に犯人・関係者の素性を暴くケースが近年増えている。
 犯人自身のSNSアカウントが見つかれば過去履歴は全て調べられ、SNSに繋がる知人がみつかれば、そこも調べるなどして芋づる式に暴いていく。
 そのため実名報道については、「マスコミが報道した」という点を除き、あまりセンセーショナルではなくなっている。
 週刊新潮が報じる前から、ネットでちょっと検索すれば、少年らの情報は簡単に手に入っていたし、今回の場合には18歳少年の自宅前からインターネット生放送する者まで現れている。
 ただ昨今のネットユーザー先行による情報拡散は、情報が早い反面問題も多く指摘され、過去には事件関係者の親族としてネットに晒された人物が、実は無関係だったということも起きている。
その時は、晒された人物の職場に抗議の電話や手紙が殺到。警察に被害届が提出され、個人情報を投稿した人物らは書類送検されている。
 今回の事件も初動、沢山の情報が流された。逮捕された少年のものも含まれていたが、事件とは関係ないと思われる人物らの情報や写真も一部で流されていた。
 誤った情報が流れるケースは初動特にあり、流す側も良い人ばかりとは限らず、悪意をもって嘘の情報を流す者も居る。そのため、ネットで流れる情報精査は発信する側ではなく、受け取る側に求められているのが現状。
 世論では実名報道のあり方について大きく議論されているが、ネットにおけるこうした情報の扱いについても、今後何らかの形で規制がかかる可能性を持っている。
■実名報道は「事件により判断すべき」との声も
 今回の実名報道をうけ、冒頭紹介したような賛同の声の中に、こんな意見もいくつかあがっていた。
 「事件により実名報道を判断すべき」という声。
 未成年が起こす犯罪の中には、家庭環境、経済的事情により犯罪に追い込まれる者も居る。
例えば、2014年10月北海道南幌町で発生した女子高校生による、祖母・母親殺害事件については、犯行に至る原因に10年に渡る壮絶な虐待があると考えられおり、周囲含め世間は加害者に対し同情の声が多い。実際、情状酌量を求め行われた署名は1万人以上を集めている。
 そのため、「実名報道は必要」と感じつつも、「事件の性質をみて匿名報道をすべき」と考えている人もいるようだ。


 私は事件の中身だけで同情はしない。
 なぜそうなったのかをきちんとすべて一つ一つ見ていくべきだと指摘してきた。最後の事件については私は虐待は許されないとはいえ、だからと言って殺人も容認してはいけないというのが私の考えだ。よってこの種の情状酌量の署名には私は応じない。
 問題なのは、こういう幼稚な発想に基づくファシズムが最近目立ってきていることだ。

 新潮社は売れるためなら、法律を無視することが伝統になっているのである。だから、私はこの会社を嫌っているし、著作権者として一切認めない制裁を継続している。まさにゴキブリそのものであるとしか思えない。
 こういうゴキブリについていえることはただ一つ。

「政治家にモラルを求めるのはゴキブリにモラルを求めるのに等しい」
佐高 信