2015年5月5日火曜日

飼育の論理:日本を歪ませる恐ろしい病

 今回のコラムはある意味恐ろしい気づきである。
 これは本当にゾッとする発見である。

2015年2月5日(木) しんぶん赤旗
子ども貧困対策充実を
全生連 厚労省などに要請

 子どもの貧困率が16・3%(2012年)で過去最悪となる中、全国生活と健康を守る会連合会(全生連・安形義弘会長)は4日、国会内で、子どもの貧困対策の充実を求めて厚生労働、文部科学両省と内閣府に要請しました。
 全生連は、安倍一味が、「貧困の連鎖」を断ち切るとする子どもの貧困対策法の目的に反する施策を行っていると指摘して、▽生活保護基準の引き下げの中止▽奨学金を収入認定しない▽就学援助制度の認定基準の引き下げをしない▽奨学金の返済利率引き下げと無利子奨学金の対象増―などを要望しました。
 辻清二副会長は、福島市内の生活保護世帯の高校生が奨学金を収入認定され再審査請求している事例にふれ、「貧困の連鎖を防止するといいながら教育を受ける機会を奪われてはならない」と訴えました。厚労省の担当者は「文科省からも奨学金を収入認定しないよう求められている。できるかぎり除外するよう にと考えている」と回答しました。
 4月に3回目となる保護基準引き下げ。これに伴う就学援助受給世帯への影響について文科省の担当者は、来年度も全国の自治体を調査すると述べました。
 国の予算事業で行っている学習支援事業は、4月から生活困窮者自立支援法に基づく事業になります。厚労省担当者は、同法施行に伴い事業を実施する自治体が184から324に増えると強調。参加者は「対象者が保護世帯から就学援助受給世帯の子どもまで広がるのは前進だが、予算規模が大幅縮小になる」 と述べて十分な予算措置を求めました。

 その対策もどきが大笑いするひどい内容である。

子どもの貧困対策へ基金 政府、民間資金で新設へ

朝日新聞デジタル 2015年4月2日(木)23時8分配信
 「政府」は2日、子どもの貧困の解消に向けて、民間資金を活用した基金を新設すると発表した。子どもの貧困率は16・3%(2012年)と過去最悪の水準に ある。暮らしや学習をサポートする団体への資金援助や、スポーツ・芸術面で力がある子どもを経済的に支える取り組みで、親から子への「貧困の連鎖」を断ち 切ることを狙う。
 この日、子どもの貧困解消に官民が連携して取り組む「子供の未来応援国民運動」の発起人集会が官邸で開かれた。基金新設を盛り込んだ趣意書を採択。資金の募集方法や助成手続きなど、詳細は今後詰める。
 発起人には安倍晋三被告のほか、伊藤一郎・旭化成会長、元プロボクサーで児童養護施設出身の坂本博之さんら27人が名を連ねた。
朝日新聞社
※日本国憲法第99条を順守していないため、安倍晋三は公権力犯罪者として認定し、社会的制裁を実施します。

4月の総力特集「女たちのクライシス」
「ペットショップで108円のパンの耳を買う」貧困シングルマザーのリアルな食卓
DMMニュース 2015.04.11 15:50

貧困に陥ったシングルマザーの食事情は? 貧困に陥ったシングルマザーの食事情は?
 若者と女性、そして子供に貧困が集中している日本。特に深刻なシングルマザーの貧困事情や、「子供の6人に1人が貧困状態」という驚くべき数字も、ようやく現実感を伴って受け入れられるようになってきた。
 では当事者のシングルマザーはどのように日々の食卓を維持しているのか。月収13万円未満で、賃貸暮らしのシングルマザーに絞ってその実態を聞いた。
 「田舎なんで、団地の1区画ごとに少しだけ庭のスペースがあります。夏場はここで菜園ですね」
 そう語るMさん(静岡県・33歳)は、離婚から4年。菜園を始めた最初の年は「スーパーで野菜を買ったほうが安かった」と言う。
 「素人でも、ほぼ放任してても育って、保存が利くものがいい。冬の野菜は素人には難しいので、夏に作って大量保存してます。例えばニラなんか一度根付いたら雑草と同じ。シソも毎年放っておいても生えてくる。あとオクラ、トマト、ジャガイモ、カボチャ。この辺を所狭しと作って、業務スーパーで売ってる海外産の激安ひき肉と合わせて、自作の皮で餃子や春巻き、ハンバーグにします。他はミートソースやポタージュにして、秋までに冷凍庫一杯に作っておくんです」
 この“菜園作戦”で、M家の食材のレシートは「ほとんど卵とひき肉ともやしとお米」だという。

ドンキやアマゾンで激安食材を大量に買っておく
 一方で「子供が食べたいものを安く作る」というコンセプトに特化しているのは、Tさん(東京都・37歳)。
 「仕事がとても忙しいので、ドン・キホーテのおまとめレトルトが重宝してます。5食300円のカレーとかパスタソースとか。これをベースに肉とか野菜を増量。ゼロから作るよりは随分安いんです。結局、調味料とか香辛料って高いんですよね」
 そんなTさんの最大の工夫は「子供と一緒に作る」だ。
 「お米がない時用に常に小麦粉だけは常備しておいて、子供と一緒に手打ちうどんとかパスタも作ります。あと娘が気に入ってるのがホットケーキの粉を使ったケーキとか、クレープもどき。これはアマゾンで1キロ1000円ぐらいの安い粉があるんで。貧乏だなとは思うけど、大事なのはふれ合いだって思ってますから」(Tさん)
 こう並べると、あまり「貧困」を感じさせる悲壮感はない。だが以下のケースはどうか。
 2013年に離婚し、小学3年生の息子と暮らすHさん(埼玉県・29歳)は「息子には食べさせるけど、私は食べないことが多い」と言う。
 「空腹に慣れてしまい、食べると吐くようになったんです。整腸剤の『エビオス錠』とスポーツドリンクをたくさん飲むと、健康でおなかが減らなていいですよ。あとはお酢を飲んでいる」

ペットショップで108円のパンの耳を買う
 家計を聞けば、食費を圧迫しているのは賃貸の家賃と、Hさん自身が通っている精神科とカウンセラーの医療費だ。
 「解離性パーソナリティ障害とパニックと鬱です。薬を飲まないと仕事(ホームヘルパー)ができないけど、薬を飲むと朝が地獄なんで……。家にいるときは寝ていることが多いから、自然と子供の食事は仕事帰りに買うマクドナルドとかが多くなりますね。朝ご飯はシリアルと牛乳です。それでも給料日前は厳しいから、ペットショップで108円で売られているパンの耳を買ってます。パン屋さんだと50円でもっと大量にくれるけど、恥ずかしくてあまり行けないんです。パンの耳は100円ローソンで買ったスープの素に浸して食べさせます。これだけだと切ないんで、やっぱり100円の冷凍食品を砕いて入れたりするのが息子のお気に入りです。3年生にもなれば、自分でいろいろと食材の組み合わせを工夫してくれるんで、助かってますけどね」(Hさん)
 取材を通じて痛感したのは、実は貧困シングルマザーの食卓は、本人のメンタルの状況によって大きく左右されるということだ。同様にメンタルを失調しているシングルマザーからは「食事は作れない。子供が勝手に買い置きのレトルトで済ませてくれている」「子供の食事は毎日近くに住んでる実家に食べに行かせている(でも本人と親は関係が悪く実家出入り禁止)」「朝は食べさせず、夕食は毎日300円渡して自分で買いに行かせている」と言った声がゴロゴロ出てくるのだ。
 「食事作る時間があったら寝るか仕事しないと」(Hさん)という声が、何よりも追いつめられたシングルマザーの本音を感じさせたのだった。

鈴木大介
    「犯罪をする側の論理」をテーマに、裏社会・触法少年少女らの生きる現場を中心に取材活動をつづけるルポライター。著作に、福祉の届かない現代日 本の最底辺の少年少女や家庭像を描いた『家のない少女たち』(宝島社)『出会い系のシングルマザーたち』(朝日新聞出版)、『家のない少年たち』(大田出版)『最貧困女子』(幻冬舎)など。近著『老人喰い』(ちくま新書)が絶賛発売中

 はっきり言ってやろう。
 DMMニュースの現実を踏まえると「話になりません」と。まず、学校の教育の充実がなぜ行われないのかだ。その教育とやらがすさまじいまでの歴史教科書のヘイトブック化犯罪だ。そういうことをまずやめさせるのが政治の仕事である。
 貧困家庭をなくすには、そもそも非正規雇用による格安労働を大企業が求めるから問題なのだ。そんなアホな実態をやめさせることが、まず政治の仕事ではないか。それがまともな経済学を学んでいる人達の常識だ。岡田克也・民主党代表の「国が税金を投入して、児童扶養手当の増額を図るなど、子どもの貧困対策に取り組むことが必要で、それを行って、民間への呼びかけ」が常道なのは明らかだ。
 だが、驚くべき発言が政府関係筋共から飛び出てきている。呆れて話にならない。

 「派遣はモノ扱い」発言は当然!? 元厚労省官僚が「企業に優しい」労働行政の実態暴露
2015年3月3日 18時30分
LITERA(リテラ)
 厚生労働省課長の「派遣はモノ扱い」発言が大きな問題となっている。1月末、派遣業界団体の会合で「派遣労働というのが、期間が来たら使い捨てというモノ扱いだったが、(派遣労働法改正によって)ようやく人間扱いするような法律になってきた」と述べたというが、ようするに、派遣労働法の規制緩和をした厚労省自身が「派遣労働者がモノ扱いされる」状況を作り出していたことを認めたのである。
 しかも、企業の派遣労働者受け入れ期間の制限をなくす改正案は企業に最大限配慮したもので、派遣労働者をモノ扱いする状況はまったく変わっていないのに、「ようやく人間扱いするような法律になってきた」などと嘘をふりまく。こんな発言を許していいはずがないだろう。
 それにしても、日本の労働行政はなぜ、こうも労働者に不利な政策ばかり次々に打ち出すのか。一方で、ブラック企業が横行し、残業代未払い、セクハラにパワハラと、これだけ企業側の無法がまかりとおっているのに、それに対しては罰則が軽く、ほとんど規制らしい規制をしてこなかった。実際、食品安全の規制等と違って、労働問題で企業が規制や罰則の厳しさから悲鳴を上げているという話はほとんど聞かない。これはいったいなぜなのか
 その理由について、今回問題発言をした官僚と同じ厚生労働省(旧・労働省)の元官僚、現・神戸学院大学教授の中野雅至氏が著書『ニッポンの規制と雇用』(光文社新書)のなかで、あまりにも明解すぎる解説をしている。
 
「私は平成2年に旧労働省に入省して14年間務めたが、この14年間の体験はそのまま私の政府に対する企業観を形作っている。その特徴を一口で言うと、『政府は何かと企業には気を遣う』ということだ」

 しかも、それは政策だけではない。今ある労働基準法の運用にも反映されていたという。

「企業にはものすごく優しかった。もちろん、労働基準監督署の現場などは正義感丸出しで企業を取り締まっていたが、役所全体としては『企業を潰してでも労働基準法を守らせろ』というスタンスには立っていなかった」(同書より)

 そこにはいくつか理由がある。まず、厚生労働省は雇用を増やすという役割も担っているためだ。

「旧労働省には雇用を扱う職業安定局という部署があった。こちらはハローワークを所管しているので、企業にとってもっと融和的な態度を取る。企業に求人を出してもらうなど、雇用を増やすのが職務だから、企業に優しい存在にならないとどうしようもない」(同書より)

 さらに大きな理由として、各省庁が政府系金融機関を持っており、そのトップのポストは有望な"天下り"先となっていることもあげられる。

「役所が生産者寄りであることを何よりも示すのが、どこの役所も政府系金融機関を持っていて、そこのトップのポストが有望な天下り先として確保されてきたという事実だ。各省の天下り先を調べると、天下る人によってランクが設定されているが、政府系金融機関の総裁はどこの役所でも事務次官クラスの天下り先である。つまり役人の頭の中では、企業は国民より尊く、その企業よりも偉いのが企業に金を貸す銀行であり、その銀行を支配するのが日銀や政府系金融機関だと考えられているということだ」(同書より)

 かつて、厚生省も「衛生水準の向上および近代化の促進に必要」な融資を行う政府系金融機関・環境衛生金融公庫を有し、事務次官が天下りしていた過去がある。なお、1999年10月1日に国民金融公庫と統合され、国民生活金融公庫となった。 
 企業に法令を順守させるべき厚生労働省の有望な天下り先は、企業を支援する政府系金融機関という構図......。官僚出身の著者が「政官業癒着」というように、厚労省は企業ベッタリになってしまっているのだ。
 一方、労働者に対してはどうか。労働者に不利な規制緩和ばかり進んできたことについて『ニッポンの規制と雇用』は、労働者に政治的後ろ盾がないことを指摘する。

「規制緩和の実態はドロドロした権力闘争であり、政府がどの分野を取り上げるかは、役所とその応援団の力次第という側面がある。(略)ある時、規制緩和担当の事務局に対して『なんで労働規制ばかり取り上げるんですか? もっと他に取り上げるべき規制があるでしょう!』と文句を言ったことがある。担当者は悪びれもせず『だって自民党に(労働者の)応援団もいないでしょ。取り上げやすいじゃないですか』と答えた」というのだ(同書より)。

 労働組合があるじゃないか、との指摘もあるが、日本の労働者は「企業別労働組合」によって分断されている事情がある。とくに非正規労働者については強い圧力団体をもっておらず、なんの政治的な力もない。ようするに、政府は一番弱く、やりやすいところから、狙い撃ちして規制緩和をしてきたのだ。
 しかも、この労働規制緩和は安倍一味になってさらにエスカレートされる方向にある。「モノ発言」の厚労省課長が口にした派遣労働者受け入れ期間の制限をなくす労働者派遣法改正案、事務職の一部を対象に労働時間規制の適用を除外し、時間ではなく成果で賃金を支払う「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入を盛り込んだ労働基準法改正案も今通常国会で議論される予定だ。
 この流れを止めないと、我々国民は永遠に「モノ扱い」され続けることになるだろう。
(小石川シンイチ)


豊かな国なんて大嘘! 日本の子どもは6人に1人が貧困状態との驚愕データが!
2015年3月3日 8時0分
LITERA(リテラ)

 国連開発計画(UNDP)が2014年7 月に発表した「人間開発報告書」2014年版によると、国民生活の豊かさを示す豊かさ指数(HDI)の1位はノルウェーで、2位のオーストラリア、3位のスイスなど以下欧米諸国が並ぶなか、日本は韓国の15位よりも下位の、17位であった。先進国のなかでは低い方だ。報告書では世界で22億人が貧困か貧困に近い状況に置かれていること、全労働者の半分近くに当たる15億人が非正規雇用で、世界人口の8割が年金など包括的な社会保障を受けていないという指摘がなされている。こうした中での17位は豊かといえるかどうかも微妙である。
 そんな日本で現在、6人に1人の子どもが貧困状態にあるというショッキングな事実が示された。『子どもに貧困を押しつける国・日本』(山野良一/光文社新書)によると、日本における貧困状況にある子どもの割合(相対的貧困率)は、本書刊行当時の厚生労働省の最新データ(2012年)では16.3パーセントとかなり高いものであるという。またユニセフ・イノチェンティ研究所のレポート「レポートカード10」におさめられている「子どもの貧困測定」では、2009年頃のデータにより測定された各国の貧困率が示されており、日本は先進国中ワースト4位の貧困率となっている。
 この貧困率とは「貧困ライン」という基準に満たない所得で暮らす子どもの"割合"だ。「貧困ライン」はおおむね、そこに住む人間の年収から、社会保険料や税金等を差し引き、政府からの公的な援助を足した可処分所得を算出したうえで、その平均値ではなく中央値を決め、さらにその中央値の半分......として計算する。日本の貧困ラインは2012年のデータでは122万円。これは1人世帯の金額で、親子2人世帯では年間約173万円(月額約14万円)、親子4人世帯では約244万円(月額約20万円)となる。
 親子2人で月額約14万円と聞くと、「ぎりぎりなんとかやっていけるのでは?」などと言い出す人間がいるが、それはあまりに現実を知らなさすぎる。

「先述したように、ここからは税金や国民健康保険料を払う必要はありません。しかし、この額には児童手当や児童扶養手当のような政府から援助されるものもすでに含まれているのです。この額から、家賃・食費・水道光熱費・電話代・交通費・子どもたちの養育費などを払うと、ほとんど何も残らない額になるのではないでしょうか」

 いま、日本の子どものうち、6人に1人がこうした生活を強いられているのだ。しかも、実際はこの貧困ライン122万円よりはるかに低い所得の家庭にいる子どもたちがかなりの程度いるといわれている。

「気をつけていただきたいのは、貧困な子どもや家族の所得は、この額より少ないということです。この額は上限でしかないのです。貧困な子ども全体がどれほど貧困であるかは、まだ見えてきません」
「2009年の貧困ラインは125万円でした。この数字を基に計算してみると、日本で貧困状態にある子どもたちの所得の中央値は、86万円程度なのです。」

 しかも、この貧困を解消するための政策もかえって逆効果をもたらしている。
 「日本では政府が関わる施策や政策によって、貧困でなかった子どもまでもが貧困に陥ってしまって」いるのだ。収入のみに基づく再分配前の貧困率よりも、政府による再分配後の子どもの貧困率のほうが高いという驚きのデータまである。また、各国の社会保障費の額とその割合をみると、先進国の中で日本の「家族」に対する社会保障費は他国と比べてかなり小さく、一方で高齢者の社会保障費はその10倍程度大きい。少子高齢化という日本固有の問題も、子どもの貧困を促進する一因となっているようだ。
 低所得世帯の経済状況の改善には、保育の拡充は欠かせない点だが、日本では保育園不足が深刻であり、収入によって保育料が決まる認可保育園は原則、親が仕事を持っていなければ入ることは厳しい。厚生労働省発表の待機児童数は全国で数万人程度だが、潜在的には85万人にも及ぶという調査もある。さらに、

「労働政策研究・研修機構の調査(2013)によれば、妻が『無業』の専業主婦世帯は、妻が『正社員』や『パート・アルバイト』の共働き世帯に比べ、貧困率が高い状況が見られたそうです。また、貧困状態にありながら専業主婦である母親に、働いていない主な理由を尋ねたところ、半数以上が『子どもの保育の手だてがない』ことを挙げていたとされています」

 と、働きたくても働けないのである。特に都市部で保育園戦争を勝ち抜くためには、かなり緻密な計算と作戦が必要になる。基本的に保育園は『仕事で保育できない保護者のためにそれを請け負う場所』であることから、両親がともに仕事をしていなければ、点数がその分、マイナスとなる。求職中であっても同様だ。出産を機に退職を迫られ、いますぐにも再就職をしたいが......という状態のときであっても、保育園は門戸を開いてはくれないのである。
 今春から子ども・子育て関連3法が施行される。新制度では、幼稚園と保育園の両方の機能を兼ね備えた「認定こども園」が増えていく可能性がある。著者はここにも落とし穴があると危惧している。認定こども園は保育所と異なり、保護者が園と直接契約する。利用希望者が多かった場合の入園の選考は施設が行うのだが、その際、ネグレクト、精神疾患気味の親や、孤立している親には困難になるのではないかと懸念されている。また、認定こども園の利用料は各施設が定める。施設側は自治体に利用料を届け出なければならないことになっているが、ここに格差が生じるのは避けられないだろう。つまり、現在の日本の子育ての施策は、共働きの裕福で健康な両親のいる家庭に照準が当てられたものであり、その他は置き去りのままなのである。
 また貧困状態にある日本の子どもたちが、たとえなんとか小学校に上がったとしても、その後高水準の教育を受けたり、将来そこから抜け出せるのかといわれると、それは非常に困難でもある。なぜなら日本は「最も大学に行きにくい国」だからだと著者は指摘している。かつては安さが魅力だった国立大の学費が30年前の14倍にも上がった。貧困家庭の子どもは家族のために国公立大学に行くことが多いが、この授業料の高騰は痛い。各国の国公立大学の授業料と奨学金を受けている生徒の割合から、以下のような特徴を見いだすことができるという。

「大きく二つのグループに分けられます。ひとつは、そもそも授業料の安いグループです。ヨーロッパの国々がほとんどこれに当たります。授業料は高くても年間1500ドル(1ドル=100円として15万円)。授業料がタダという国も存在します。
 アメリカやオーストラリアは、授業料は高いものの、返還不要の給付型の奨学金などの制度も充実しているためか、財政支援を受けている学生の割合も高いのです。
 日本は、どちらのグループにも入らない異質な存在です。授業料も高く、奨学金制度も利子つきの貸与型のものがほとんどで、奨学金を受けている割合も少ないという状態にあります。奨学金について言えば、日本のような利子つきの奨学金制度の場合、その将来の返還への不安から、低学歴の親や低所得の親は、借りることを避ける傾向にあると指摘されています」

 授業料が高い上にそれを支援する制度も限られているのである。実際、貧困家庭に育つ学力の高い子どもの多くが、進学を諦めているというデータも本書にある。教育を受ける機会を失えばその後の就職、人生にも大きく影響し、貧困から脱するのもまた困難になってゆく。貧困の連鎖である。
 著者は、日本が現在こうした状況に陥った大きな原因として「家族依存」を挙げている。

「公的な援助が少なく、家族が子育て費用の大半を負担してきた社会的構造が培ってしまったのではないかと思っています。つまりは乳幼児期から子どもが自立するまで、少なくとも経済的側面では政府や行政の支援には頼れない。ならば、親を中心とした家族でやるしかない。子どもの貧困の研究者たちがいう『家族依存』的な社会経済構造です。」
「極端に言えば、どんな『家』に生まれ落ちるかによって、子ども・若者の将来や人生が左右されるような社会を是認することにならないでしょうか」

 このままでは貧困の連鎖は止まらない。現在の日本は、貧困家庭の子どもが自力で未来を切り開くことすら困難なのだ。高齢化社会対策ももちろん必要だが、日本は貧困家庭の子どもという存在をあまりに軽視してはいないだろうか。将来的には国を支えることになる子どもたちの貧困を、見て見ぬふりしているようでは日本に未来はないだろう。
(寺西京子)

 そうして、精神的に飼育されるような環境に追い込まれた彼らはこんな現状に苦しめられている。

「女子の貧困」最大のタブー!セックスワークと知的障害の関係
2014年10月16日 12時23分
LITERA(リテラ)
 格差社会、子どもの貧困、貧困の連鎖。ここ数年、これら貧困が大きな社会問題となっている。同時に女性の貧困もさかんに取り上げられるようになり、なかでも今年1月に初回放映された「あしたが見えない~深刻化する"若年女性"の貧困~」(『クローズアップ現代』NHK総合)は大きな話題となった。また、この問題を取り扱う書籍も多く出現している。
 しかし貧困女性の存在がメディアなどで取り上げれば取り上げられるほど、そこから"除外"される女性たちがいる。それがセックスワーク(売春や性風俗産業)に埋没する「最貧困女子」だ。
 その実態を描いたルポ『最貧困女子』(幻冬舎)は、衝撃的だ。著者は犯罪現場の貧困をテーマに、裏社会や触法少年・少女たちを取材し続ける鈴木大介。本書が衝撃的なのは、セックス産業に従事する貧困女性の問題はもちろん、それ以上の"タブー"にまで踏み込んでいるからだ。
 それは「精神障害・発達障害・知的障害」である。

「これを挙げることは差別論に繋がりかねないので慎重を要するが、これらの障害は『三つの無縁』(家族の無縁・地域の無縁・制度の無縁)の原因ともなっている、無視できない問題だ」

 たしかに、精神障害は貧困や売春とともに語られることも少なくはなかった。しかし、知的障害にまで踏み込もうとした貧困ルポはほとんどないと言っていい。本書はこのタブー視されている問題に切り込んでいく。
 著者は何人もの貧困女性に話を聞いている。例えば、最終学歴が高校中退の小島さん(仮名/23歳)。家賃を滞納してネットカフェ難民になっていた。時給900円のバイトで食いつないでいる自らを「対人恐怖症? 視線恐怖症かな、わたし人と目があうとパニックみたいになるんで」と語る女性だ。
 幼少時からそりが合わなかった母親は、彼女が高校3年生の時、父親の死をきっかけに「愛犬を連れて家を出た」。母親から捨てられた彼女は、その後必死でアパートを探したが、結局家賃滞納で逃げ出した。闇金からも借金をしているという彼女に緊急性を感じた著者は、生活保護やゲストハウスなど様々な方法を説明する。手続きを手伝い、転居費用も無利子で貸してもいいとさえ思った。しかしそうした説明も彼女にはぴんとこない。

「どうにもこうにも小島さんの脳には言葉が染み込んでいかないようだった」

 その実感が、事態の複雑さを表している。小島さんは、生活保護に関しても、連絡先さえ知らない兄たちに迷惑をかけたくないとかたくなだ。保護を受けるのに「迷惑をかけることはない」といくら説明しても伝わらない。彼女を食い物にしようとする闇金業者に対して「恩人」だとさえ言う。そして3週間後、彼女は失踪した。
 貧困問題は未婚女性だけのものではない。母親たちも蝕まれている。2児を持つシングルマザーの清原さん(仮名/29歳)。出会い系サイトの売春で生活している。親から身体的虐待とネグレクトを受けていたと思われる彼女は、身長は150センチ未満で、丸々と太っていた。風俗店の面接でも「整形とダイエットをしてから出直せ」と怒鳴られた。精神科に通い「泣き叫ぶ子供たちの前で(手首を)切っちゃうこともある」という。
 著者は、彼女たちを取材していくうちに、貧困とセックスワーク、そして障害との関係は無視できない問題だと捉えるようになった。そして"明確"に知的障害を抱えているという女性たちへの取材を試みる。しかし、それは困難を極めた。
 例えば、出会い系サイトで口腔性交をしているという23歳の女性は、生育歴も話せず、住民票という言葉の意味も理解できなかった。つまり「会話も困難」だったのだ。
 だが、女性たちを搾取する側の話を聞くと、彼女らがおかれている残酷な状況や、周囲がどんなひどい扱いをしているかがわかってくる。

「いわゆる三大NG現場(ハード SM、アナル、スカトロ)にいる。特にスカトロのAVに出ている女優の半数は知的障害だ」(AVモデル関係者)
「障害のある女性を金にするなら乱交がいい。乱交イベントの企画業者はまだまだたくさんあって、普通の女性は精神的に壊れる前に肉体的に壊れるが、障害者の女は頑丈」(援デリ業者)

 しかし、こうした女性たちは、行政や福祉を頼らないし、また、頼れることも知らない。ときには行政に不信感や敵愾心すら抱いているケースもある。そうしてセックスワークに「捕捉」されていくのだ。

「いわゆる手続き事の一切を極端に苦手としていた。(略)行政の手続き上で出てくる言葉の意味がそもそも分からないし、説明しても理解ができない」

 婦人保護施設の関係者によれば、「彼女たちは継続的な支援をするのが難しい対象」のようだ。困窮したりトラブルがある時だけ施設を利用し、ふといなくなってしまったりするのだという。
 最もケアすべき存在であるはずの彼女たちは「安直に福祉の対象として想像するような、『おとなしくちょんと座って救済を待っている』障害者」ではない。かなり重度の障害を持っていても、福祉から外れ、セックス産業で生計を立てている。著者は考え込む。

「知的障害の作業所で小銭を貰うのか、自分の力で稼いでおしゃれするのか? 知的障害の子だっておしゃれはしたいし遊びたい」

 貧困問題を語る時、しばしば「自己責任論」なる論理が跋扈する。だが著者は、それは「戯言」であり、「自己責任論など、絶対にさしはさむ余地はない」と言い切る。

 他にも本書では、未成年少女たちの貧困、ソフトヤンキー、セックスワーカーの間での格差など、様々な「最貧困女子」の問題が取り上げられている。しかしその中でも障害、特に知的障害とセックスワークの関係は考えさせられるものだ。
 その現実を直視することは、絶対に必要不可欠なことだ。たとえタブーであったとしても。だからといって、問題がすぐに解決なんてするわけがないし、本書もその明確な解決策を提示しているわけではない。しかし、貧困を「哀れみと上から目線」で語るよりも、よっぽどまともだ。

「『最貧困女子』を、忘れないでほしい。見捨てないでほしい。見下さないでほしい」

 著者のこの言葉こそ、問題の本質を衝いている。
(林グンマ)


 私はそこに、日本という国の奴隷根性を見ている。
 近々、拙コラムで流石景の「ドメスティックな彼女」を批判するが、そこにあるのは相互にある奴隷的関係だ。一見媚びていないように見えて、実は精神的に飼育されるような相互的な依存関係にあるヒロインと主人公の歪み。
 そんな歪んだ世界観を少年誌に持ち込んだ段階でもうアウトなのだ。つまり、日本にあるのは自分の頭で考えて答えを出す教育ではなく、相手の言いなりになることでマニュアル人間になる飼育でしかない。大今良時の「聲の形」でいじめを黙認した竹内がやったことは、いわば飼育に過ぎなかった。そこでは、自立していく力など到底身につけられるわけがない。教わるのはいかに媚びるか、いかに群れるかだ。その完成系が、渡辺淳一の「失楽園」や「愛の流刑地」にすぎないのだ。
 そんなやり方が真っ当な筈がない。間違っている。私はこの奴隷根性は江戸時代から続くものだと考えている。その支配を弾くには、方法はただひとつ。
 ルールに従いながら筋を通す生き様を示すことだ。ただ、失敗した際の責任は己が取るという当たり前の姿を持つことだ。もし、リトル・ミィやオスカー・ザ・グラウチに反発するなら、それだけのカラーで相手にぶつかるしかない。
 リトル・ミィやオスカーに負けたってかまわない、負ければそれだけの結果があるのかもしれないのだからだ。この飼育の論理を打ち砕くことは、日本人の民主主義を取り戻し、強めるのには絶対に不可欠なのは明らかだ。私は何度でも言い続けることにした。