2015年7月22日水曜日

手話カフェ:慰めとしての障碍者から、生活者へ

手と笑顔、会話咲く 手話カフェ人気広がる

2014年9月7日
 手話で会話をしながら喫茶や軽食を楽しむ「手話カフェ」が、関西圏や首都圏で人気を集めている。耳が不自由なろう者がスタッフとして働いている店 もあり、注文などのやりとりは手話や筆談で行われるケースが多い。手話教室も開かれるなど健聴者とろう者の交流の場となっており、関係者は「各地に当たり 前のように手話カフェが広がれば」と願っている。

座席数14ほどのこぢんまりとした店内に、手話が飛び交う。公用語は手話。覚えたての手話で「こんにちは」のしぐさをすると、居合わせた人たちが笑顔でこたえてくれた。

■夢に近づく

大阪市中央区常盤町2丁目の「Deaf Cafe手話楽々」。NPO法人「デフサポートおおさか」が2006年から運営する。ボランティアの通訳 を除き、12人のスタッフは全員がろう者。コーヒーなど飲み物のほか沖縄の菓子「ちんびん」やホットケーキ、ぜんざいなどスタッフ手作りの軽食も人気だ。
 手話カフェは、同NPOが聴覚障がい者の共同作業所として設置した。ろう者は耳が不自由なため一般的には会話を伴う接客は不向きとされ、働く場が限られる。誰もが一度は憧れるカフェ店員も、ろう者にとっては「夢のまた夢」だった。
 当初、大阪市も「ろう者が働く場はほかにある」と認可に難色を示したという。だが、同NPOの稲葉通太副理事長は「手話を広め自分たちの力を高めるために認めてほしい」と食い下がり、設置が実現した。
 場所もNHK大阪放送局や官庁街が近い大阪のど真ん中を選定。偏見の中で生きてきたろう者の中には、社会の日の当たらない場所で過ごすことを是と する風潮があり反対意見もあったが、稲葉副理事長はこの場所にこだわった。「無理やろと言われても、思って頑張る限りは夢に近づく」と力を込める。

■当たり前に

客層はろう者と手話を学ぶ健聴者が中心。沖縄や北海道など全国、海外からも来客があり、週末には満席になるほどだ。日曜はろう児を対象とした勉強 会、毎月第3金曜は夜間営業のナイトカフェも開く。1回500円のワンコイン手話レッスンも随時受け付け。スタッフが“先生”となり気軽に手話の世界を体 験できる。
 ただ、店内でのコミュニケーションは手話に限ってはいない。筆談でも、音声言語でもOK。「手話を知らない人もどんどん来てもらい、まずは手話の世界を体験してほしい」というのが店側の思いだ。
 最近、表を歩くサラリーマンが立ち寄ってくれることが増えた。稲葉副理事長は言う。「ろう者や手話関係者の来店もうれしいが、表を歩いている人が ふらっと入ってくれるのが一番いい。『ああ、ここはろう者の店なんや』と感じてもらえばいい。世の中、いろんな人がおって当たり前。大阪でももっと同じよ うな店が増えればいい。手話カフェが珍しいと言われているようでは、まだあかんのです」
(C)大阪日日新聞

月に1度、兵庫県内外から多くの聴覚障がい者が集い、手話での会話を楽しむ店がある。姫路城を望むビルの4階で、第2土曜日 に開店する手話カフェ「デフ・ハンド」。集いの場は就労訓練の場を兼ね、訪れる人たちは「普段は苦労する注文もスムーズ。友だちの輪も広がり、生活の悩みも相談できる」と話す。(山路 進)
 障がい者就労訓練事業所を運営するNPO法人「ラーフ・ウッド福祉会」(姫路市河間町(こばさまちょう))が昨年7月から、同市本町のイベントスペース「納屋工房」で開いている。
  発案したのは、同福祉会の事業所に通う「店長」の野村晴美さん(66)=加古川市平岡町土山。野村さんも0歳の時の高熱が原因で耳が聞こえず会話には手話を用いる。相談を受けた同法人の萩原数一(かずいち)施設長(57)が「たくさんの人が集まれる場所に」と姫路駅の近くで場所を探し、開店した。
 客には手話を学ぶ主婦や学生たちや、京都や岡山から訪れる人もいる。コーヒーや紅茶のほか、ケーキ、カレー、巻きずしと豊富なメニューも好評だ。赤穂市の赤沢寿子さん(57)は「ここなら好きなように注文でき、手話での自由な会話も楽しめる」と喜ぶ。
 「障がいに関係なく仕事ができることを示したい」と本格的な店の開業を志す野村さん。「経験を積み、一日も早く自分の店を開きたい」と話す。
 デフ・ハンドは毎月第2土曜日の午前11時~午後4時。ラーフ・ウッド福祉会TEL079・283・5222

 このアクションに対し、私は強い感銘を受けている。
 東京でも実際これだけある。

◆手話カフェ情報◆
「カフェ&軽食 mimi(みみ)」JR大久保駅南口

Sign with me 本郷三丁目

串揚げ居酒屋「ふさお」 東京・大久保
住所:東京都新宿区百人町1-24-9. FAX:03-5338-5185. 電話:03-5338-5185


 そのほかにもあるが、とりあえずここまでにしておきたい。
 今までの障碍者は、健常者の憐みの対象にだけされてきた。それはある種の侮辱だが、私たちはそんなあり方にもうNOを突き付け、生活者として踏みしめていかねばならない。ここで何度も批判の対象にしてきた某作品と違い、彼らの息遣いをかみしめてほしい。いや、感じ取ろうじゃないか。
 彼らは障碍者以前に、生活者なのだ。そのことを認識し、感じてほしい。今の状況では障碍者は商業などくだらない理由で侮辱され、それを甘んじて受け入れるしかない。だがそんなことがあっていいわけがない。私はきっぱりと否の声を上げ続ける。
 生活者としての障がい者を、侮辱しないで欲しい。