2015年10月12日月曜日

ひきこもりにならずにすんだわけ

 

[大弦小弦]一体、なぜ?…

沖縄タイムズ 2015年2月24日 06:00


 一体、なぜ? 何度も同じ質問をぶつけられてきたその人は、小さな声でつぶやいた。「自分でも、何がきっかけなのか分からない」。長い間、ひきこもり状態を続けていた女性に話を聞いたときのこと
 ▼せっかちで白黒つけたがる記者の性分から、いろいろ質問を重ねたが明確な答えは出ない。だが少しずつ、本人も「なぜ自分はこうなの」「これではだめだ、どうにかしたい」と苦しんでいることが伝わってきた
 ▼「怠け者」「甘えている」とレッテルを貼られ、偏見の目で見られることの多い「ひきこもり」。かつて、ひきこもり状態だった息子と8年過ごした名護市の東邦治さんは、早い段階から向き合う重要性を訴える▼最初は小さなつまずきも、学校や社会と距離が広がれば孤立は深まり、被害妄想などが現れる。取材した別の女性は「学校に行きたいが、行けない」と自己嫌悪に陥る一方、他人の言動やしぐさにおびえ何度も自傷行為に 走った
 ▼先日、那覇市内で開かれた「全国若者・ひきこもり協同実践交流会inおきなわ」には、県内外から支援者や家族ら約500人が参加。居場所づくり、粘り強い支援の大切さなどを確認した
 ▼人の心は複雑。急いて事を進めれば、壊れることもある。傷が癒え、再び立ち上がる力を取り戻すには、同じくらいの時間が必要なのだ。(儀間多美子)


 私自身がひきこもりにならずに済んだわけは一つ。
 「絶対に逃げるもんか」という反骨心そのものである。私を苦しめたいじめやパワハラの加害者どもは今でも責任から逃げ続けている。はっきり言って抑えきれない憎しみや怒りは今でもあり、私はそのために人との面会についてはかなり抑えているし限られた人物でしか付き合うことはできない。
 そういう意味でのひきこもりはある意味の防御機能である。だが、社会を完全に閉ざしてはいけない。許されるひきこもりとは、社会とのつながりを仕事を通じて保ちつつも、トラブルを起こしかねない要因を意識しながら減らすことである。
 だが、許されないひきこもりもある。およそ正当とは言えない理由を持ってマイノリティへのヘイトを行ったり、違法なダウンロードに現を抜かすことはもってのほかである。こういうことは厳しく批判されねばならないのは明らかだ。
 まず、逃げない勇気を持つことだ。