2016年2月18日木曜日

民主主義を取り戻すために:奴隷の論理を打ち砕け

社畜(しゃちく)とは、主に日本で、勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷家畜)と化したサラリーマンの状態を揶揄したものである。「会社+家畜」から来た造語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、皮肉が強く込められている言葉である。
英語圏では同様の概念として「wage slave」(賃金奴隷)が存在する。

 いや、この言葉は今や生ぬるいという状況にあると私は指摘しなければならない。
 このブログでも取り上げているように、日本人がすさまじいまでに精神の奴隷に成り下がっているのである。
 その象徴がこんな笑い話である。エスニックジョークの一つで「難破船ジョーク」がある。

 様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、どのように声をかければいいか?
ロシア人(海の方を指して)「あっちにウォッカが流れていますよ」
イタリア人「海で美女が泳いでいます」
フランス人「決して海には飛び込まないでください」
イギリス人「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」
ドイツ人「規則ですから飛び込んでください」
アメリカ人「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」
中国人「おいしい食材が泳いでいますよ」
日本人「みなさん飛び込んでいますよ」
この日本人向けの言葉は、ある意味奴隷根性を射抜くにふさわしい言葉ではないか。
 それも頷ける、政治がめちゃくちゃになっているのにもかかわらず、何度も野中広務氏、加藤紘一氏、不破哲三氏、植草一秀氏や佐高信氏、伊波洋一氏や故宮本政於氏が「あぶない」と警告したのにもかかわらず、キリギリスも顔負けの享楽の奴隷に成り下がっている。LINEの連鎖ゲームに夢中になっているそこのアナタ、完全におかしいと思わないだろうか。
 日本人の中にはびこる同調圧力、いや形を変えた全体主義が、民主主義を破壊しつつある。奴隷の論理の背景にあるのは日本人の中にある同調圧力=全体主義であり、それは江戸時代の鎖国制度から続いている。
 人と人の助けあいという仕組みが、人の悪事を密告するといういわば全体監視主義になっている。その結果、日本は民主主義の基本とは程遠い国に成り下がってしまった。

 民主主義の基本は、自分の頭できちんと考えて決断することだ。
 その中で色々と情報を集め、様々な想定を繰り返して自分の責任で決断して、その結果を受け入れることだ。その決断事項には、10年先、20年先の自分たちの姿も踏まえて決めねばならない。それが本当の民主主義なのだ。
 何も考えていないあなた方にあるのは奴隷の論理にほかならない。

 それからいわゆるネトウヨどもに。
 某サイトでぎゃあぎゃあ喚く暇があるなら、働いて納税の義務を果たしなさい。