2016年2月24日水曜日

移民問題:このままでは避けられない

日本が移民を拒むのは何故か堺屋 太一(作家)2008年7月号 連載〈巻頭インタビュー〉

---日本は外国からの移民がほとんど皆無という世界で稀な国ですね。

 堺屋  私が経済企画庁長官だったとき、日本の将来が危ないと感じ、当時の経済審議会で移民受け入れの積極策を打ち出しました。しかし、その後は入国管理を扱う官 僚の通達行政で就学生の受け入れ数まで減らされています。官僚の権力と宣伝に押され、移民に関する議論すら盛り上がらないままです。日本は少子高齢化の進 行が世界一であり、外国のマンパワー導入を決断すべき時期だということは、自明なのです。

 ---流入外国人の犯罪が多い、とか。

 堺屋  一般社会から排除され、劣悪な労働・生活環境に置かれれば犯罪率は高まります。だったら犯罪が起こらない環境をどう整えるか、という提言施策を考えるべき です。官僚発表を検証せずに報じるメディアにも責任がある。不法入国を防ぐためにも、秩序ある外国人導入制度が必要です。

 ---日本人には外国人差別のDNAがしみ込んでいるのでしょうか。

 堺屋  日本は古来、外国人の血と知恵を取り入れて国力を伸ばしてきました。第一は飛鳥時代から平安初期まで。奈良の大型文化は帰化人の貢献なしに成立しなかった でしょう。第二は戦国時代から徳川幕府の初期。鎖国までですね。当時は医者や右《ゆう》筆《ひつ》(文官)、工芸家に朝鮮や中国の人が多かった。忠臣蔵の 討ち入り浪士にも中国人の二世がいます。そして第三期は大正から昭和初期です。相撲や歌謡曲など、純粋に日本文化と思われているものでも、移民やその二世 三世に支えられている部分が大きい。今日の日本人はそうした歴史的事実に無関心です。その反面、外国人排除の感情は強まっている。

 ---牢固な排他性の原因は?

 堺屋  一つには水稲文化の影響でしょう。水の流れに沿って乏しい平地を拓き、村人総出の労働集約的な生産をするのが、かつての日本の米作です。必然的にそこには 排他的な地縁社会が生まれた。外部から新しい人間や考え方が入ってくると米作の需給が狂う、というムラ意識が、外国人を疑い恐れる感情にもつながっています。

 ---現在も事情は変わらない?

 堺屋 むしろ酷くなっています。第二次大戦後は終身雇用制に よって労働の流動性が小さくなりました。終身雇用の仲間しか信用できないという職縁社会が外国人を恐れる感情を倍加しているのです。閉鎖的な職縁社会で は、実力より仲間の評判が大事です。政治も同様で、リーダーシップの強い指導者よりも仲間を大切にする調整型リーダーが好まれる。みんな怠惰で臆病、外国 人との競争を恐れている。

 ---突破口はどこに。

 堺屋 官僚とマスコミから刷り込まれている外国への恐怖性を捨てる必要があります。例えば文化的に大発展しているアジアをよく見てください。上海や香港には多くの高層ビルがありますが、その担い手である都市デザイナーの名を一人でも挙げられますか。

 ---真の開国をしなければ......

 堺屋  医療、介護、教育、労働など日本の現状と合致した秩序ある移民政策を研究する必要があります。心地よく活躍できる環境がこの国にあれば、海外から多様な人 材が来てくれるはずです。日本人が考えているほど言語の壁は大問題ではない。今後の四半世紀で一千万人の外国人が住める国を目指すべきです。そうしなけれ ば日本の繁栄と日本人の幸せはないでしょう。

〈インタビュアー 本誌・伊藤光彦〉


 今の状況で日本の人口減少に歯止めをかけることは無理だ。
 なぜなら、日本人の中にある鎖国根性を断ち切れていない。堺屋の論は単に「日本中心主義」に終わっているのにすぎないので論外だ。
 今の企業はグローバル化が加速している。中小企業ですらも外国人の雇用に積極的になっているのはいいのだが、まずその前にやるべきことはあるのではないか。非正規雇用労働者を全員正規雇用労働者にすべきことだ。
 そうすることによって、経済の安定をもたらすことになる。小渕自称政権から始まった非正規雇用の増加による「規制緩和」(というより規則破壊犯罪)は取り返しの付かない事態を招いている。堺屋はその一員を担った戦犯の一人にすぎない。

日本は移民労働者を積極的に受け入れよ

アベノミクスは供給サイドの刺激策が不十分


 安倍晋三自称首相(日本国憲法第99条を順守していないため、正当性を認めず自称首相と最初に明記し、公権力犯罪者として被告認定します)の最近の政策決定(金融刺激の劇的な増大、消費税再増税の延期、12月中旬の解散総選挙)により、日本は激しい政策論争の最前線に立ち戻った。高齢化する先進国経済は、金融危機の後どのようにして成長を取り戻すのか。この解決策は単純ではない。
 「アベノミクス」の第1ラウンドが持続的インフレをもたらさなかったことは、明らかである。持続的回復への希望は今や、2四半期連続のマイナス成長に取って代わられている。問題は、アベノミクス2.0が日本経済を新たな繁栄への道に戻せるか否かである。

「3本の矢」は正鵠を射ていたが…

アベノミクス1.0の「3本の矢」は基本的に正鵠を射ていた。つまり「何としても」インフレ基調に戻すための金融政策、財政政策による支援、長期的 成長を促進するための構造改革、である。しかし、黒田東彦自称総裁の下で日本銀行は自らの責任を果たしているが、残り2本の「矢」はまったく不十分である。
 供給サイドの改革、特にどのようにして労働力を増大させるかという核心的問題については顕著な進展が見られない。高齢化と人口減少が進む中、日本政府は、女性の労働参加の促進や高齢者の雇用維持、家庭に優しい労働政策の展開に向けての方策を見いだす必要がある。とりわけ、日本は移民労働者を受け入れ る環境をもっと整備する必要がある。
 2020年の東京五輪開催に迫られて、日本政府は海外から建設労働者を受け入れる際の障害を取り除いた。しかし全体的な進捗は遅い。高齢者をケアするために、より多くの看護師や介護労働者が何としても必要であるが、官僚や政治による移民に対する抵抗が深く根付いている。
 14年4月の消費増税もタイミングが悪かった。安倍被告がこの増税を延期するのは難しかっただろう。しかし政府は、増税の短期的な影響に対処するた めに、もっと積極的な財政刺激策を取ることができたはずだ。2四半期連続のマイナス成長によって、意気消沈させるような心理的影響がもたらされている。
 日本の巨額な政府債務や年金資産不足は大きな問題だ。10年物国債金利が0.5%を下回る現状では、このリスクは非現実的である。しかし、日本の債 務問題は重要でないと言うのは、高いレバレッジをかけるヘッジファンドがまったく安全であると言うようなものだ。リスクは先のことかもしれないが、ささい なことではない。日銀が、インフレ率が持続的に平均2%になると国民に確信させた場合、どうなるかを考えてみればよい。そのときでも、10年物金利は 0.5%にとどまっているだろうか?
 その他の要素、たとえば新興国市場における成長の急速な落ち込みが、国際的な実質金利の急激な上昇や日本国債のリスクプレミアムの上昇を引き起こした場合、どうなるだろうか?
 財政を安定させるためには、消費税率を上げることが最終的に必要であり、当然、日本は海外投資家が日本の意志の強さを疑い始めるまで待つべきではな い。問題は、タイミングと戦術である。第2次の消費増税を延期したことは、アベノミクスを大気圏外に押しやることと長期的信用の維持との間のよい妥協点で あるように思われる。

需要政策だけでは不十分

しかし、需要政策だけでは、失われた20年の再来を防ぐことはできず、ましてや光輝く20年を保証することはできない。人口減少が、1992年に発 生した日本の金融危機やその後の長期的低迷を引き起こした主な要因であった。日本は依然として豊かな国であるが、1人当たり実質国民所得の順位を見ると、 今や他の多くの先進諸国を下回っている。
 日本の経験から欧州は重要な教訓を学ぶことができる。刺激策は需要を支えるために短期的に必要であるが、長期的な構造的欠陥に対処することはできない。アベノミクス2.0が徹底した構造改革を達成できなければ、アベノミクス1.0と同じレベルにとどまることになる。


 このコラムにも欠けていることがある。
 労働者の顔が全く見えていない、単なる机上の空論に終わっている。そんな形では、移民問題を語る資格はない。
 私は今のままで移民を受け入れることには断固として反対する。要は、企業の奴隷としてこき使いたいのが見え見えなのは明らかで、顔のある労働者として受け言える気持ちが皆無なのは明らかだ。そんなことでは、絶対にいけない。
 移民を受け入れるにしても、やらないといけないことはたくさんある。まずはヘイトスピーチなどのハラスメントを1990年にさかのぼり取り締まるハラスメント取締法の即時導入だ。これにより、JR西日本の福知山線脱線犯罪での無責任経営陣共を徹底的に断罪すべきだし、宮本政於氏の不当解雇事件で宮本氏に冤罪を押し付けた厚生労働省関係者とその当時の大臣の断罪、オリンパスのパワハラ事件で浜田正晴氏への不当な降格犯罪を犯した責任者全員への断罪は可能になる。
 そうした人権の確保がないのはもってのほかだし、更に突っ込んで言えば非正規雇用労働者を全員正規雇用化しないと意味は無い。それが民主主義の基本である。つまり、応分負担の原則である。
 以前私は、埼玉県蕨市のカルデロン一家不当強制帰還犯罪を厳しく批判した。その時に私への誹謗中傷はひどかったが、私はびた一文譲る気はなかった。なぜなら、カルデロン氏はいわば企業の奴隷として日本に来るしかなかったのだ。断罪されるのなら、オリックスやトヨタ自動車のような傲慢連中なのだ。
 そういうこともわからない精神的な奴隷どもに私は負けないし、負ける気もない。ちなみに私に散々け散らかされたレイシストどもは負け犬の遠吠えのようなブログを立ち上げて喚いていたが、興味はない。せいぜい傷をなめあっているがいいとしか思えなかった。