2016年9月6日火曜日

障碍者を支援しない殺人鬼 大嶋明

 北九州市では生活保護受給者を減らすために強引な手法が用いられた。
 その結果は多くのマイノリティの死につながった。その悪辣さはもはや日本中に飛び火してしまっている。代々北九州市には長年に渡り厚生省から監査指導課長が派遣されており、国の強引なコストカットの方針で違法な運営がまかり通ってきた。「北九州は保護『適正化』の実験場と言われるのは情けないではないか。
 今回の書人両断は、悪質極まりない役人の名の殺人鬼を断罪する。
 
2006年6月4日(日)「しんぶん赤旗」

北九州市 餓死の現場

生活保護 2回求められた行政

申請書も渡さず


 電気、水道、ガスが止められ二度にわたって生活保護を求めた男性(56)に北九州市は保護の申請書さえ渡しませんでした。男性は餓死しました。一人暮らしの市営団地から遺体が発見されて一週間がたち、市民からは、「これは行政による人殺しだ」との怒りが広がっています。(佐藤高志、矢藤実)
 亡くなった男性の住んでいた門司区の四階建て市営団地。子どもの姿はなく、独居老人が多く生活しています。
 近所の人の話では、男性は昨年八月にタクシーの仕事をやめ、月三百円の町会費も払えなくなりました。身体障害者手帳(四級)の交付を受けていました。
 同じ団地に住む女性(82)は話します。「やせ細って歩くのも大変だったみたい。出歩いているところをほとんど見たことがないわ」
 昨年九月には電気、水道、ガスを止められていました。同月三十日、住宅供給公社の職員が男性を訪問した際、はうようにして出てきたといいます。
 区役所の担当者は、この時点で男性宅のライフラインがとまっていることを把握。しかし、担当者は同月三十日、生活に窮した男性が二男をつれて門司 区生活保護課を訪れ生活保護を求めた際、「二男に援助してもらいなさい」と。結局、申請書すらもらえずに帰宅することになります。
 昨年十二月、切羽詰まった男性の電話が区役所に入ることになります。「二男も生活が苦しく、もう援助できないといっている」。役所は「別の親族もいる」などと、男性に保護の申請書を渡すことを拒みました。
 男性が亡くなったのは、一月下旬と推測されています。遺体が発見されたのは四カ月後、五月二十三日のことでした。
 保護課の担当者はいいます。「市の保健師が男性を診察したが、即座に命にかかわることはないと聞いていた」「区の対応は適法」
 生活保護法は憲法二五条に基づいて生活に困っている人は誰でも申請することができる権利を認めています。市社会保障推進協議会の飯田富士雄事務局長は「この事件は、市が生活保護を必要とする人の申請を拒むことから起こった」といいます。

生活保護 申請受け付け相談件数の13%

面接で根掘り葉掘り聞かれ

餓死したのは、この男性だけではありません。四月には、道路一本、川一つ隔てた別の市営住宅で女性二人が餓死し、同居の女性(47)が飢餓状態で発見された事件がありました。
 団地に住む女性(79)は「誰がいつ病気になってもおかしくない。せめて仲よしの友達をつくっておくことが唯一の自衛手段ね」といいます。
 「悔やまれてならない」と話すのは自治会長の井上泰明さん(64)。「人道的な問題でしょう。隣近所は、なんとか助けたいと協力しているのに、市の対応は不満です」
 同市では、生活保護の申請前に「相談を」といって長時間の調査をおこない、申請をなかなか認めないのです。
 「まだ六十四歳だから働けるだろう」「(DVが原因でも)別れた夫から仕送りをもらいなさい」「貯金が十万円あるからダメ」
 プライバシーまで踏み込んで根掘り葉掘り聞かれる面接に「死んだ方がましだ」と涙を流す相談者は後をたちません。
 北九州市は、厚生省(当時)の指導のもとで保護率を抑制、現在政令市で最下位水準です。
 二〇〇五年度では七千三百八十三件の相談のうち、申請が認められたのは、わずか九百五十一件の12・88%。相談件数が、ほぼ同じ福岡市と比べても半分以下の件数です。
 北九州市の“差別的”保護行政の理念が端的に表れているのが、同市発行のしおり。「生活保護とは」という説明には、「国が最低限度の生活を保障するとともに、一日も早く自分の力で生活していけるように援助する制度」と憲法二五条、生活保護法の文字も抜け落ちています。
 「生保行政によって、もう一人たりとも“殺させない”」―。六月二日、日本共産党は記者会見を開き、北九州市の異常な生保行政の実態を告発。党の対策会議を立ち上げました。
 八幡生活と健康を守る会の吉田久子事務局長は話します。「生活が苦しくなった人にとって生活保護は最後の命綱です。人を見殺しにする血も涙もないやり方を私たちは、絶対に許しません」

 まともだったころのテレビ朝日の報道ステーション(2006年11月30日)の放送内容を引用する。

『弱者切り捨ての格差拡大〝ヤミの北九州方式〟とは?(特集2006年11月30日放送)』
 北九州市では今、生活保護を求めても申請書すら渡してもらえないという問題が起きている。福祉担当の現役職員が驚くべき実態を告発した。「課長から怒られるので、とにかく生活相談に来る人を追い返さないといけない」。
 2006年1月にJR下関駅が全焼した火事で放火の罪で逮捕・起訴された被告は裁判の中で信じられない動機を語った。「北九州市で生活保護を申請しようとしたが断られた。行くところもなく金もないので放火して刑務所に行きたいと考えた」。しかし被告が申請に出向いた北九州市小倉北区役所は「保護を受けたいというお話はなかった。京都まで帰る旅費がないということだった」と、主張は食い違う。
 しかし、北九州市ではこの件に限らず、生活保護行政を巡る問題が続発している。「生活保護率を減らすために、とにかく申請書を渡さない。追い返す法的な根拠はないからとにかく相手を威圧して怒鳴って追い返す。いわゆる水際作戦っていうのを徹底しているように思う」と職員が話すように、とにかく申請させないことで生活保護の数を抑えようとしているという。
 各都市で生活保護世帯の割合が増える中、北九州市だけ横ばいの状態が続く。これを支えているのが「申請書は12枚までというノルマ」だという。独自に入手した内部資料には「申請率を抑える」という目標が具体的な数字を挙げて書かれている。生きていくための最後の砦「生活保護」に数値目標は必要なのか。
 北九州市・大嶋明自称保護課長は「企業さんにしろ団体さんにしろ事業計画をたてて臨まれると思うが、そういったものと理解していただければ一番近いのかなと」とノルマ主義を否定する。
 しかし、弁護士らが相談会を開いたところ、申請書さえもらえず追い返されたという相談が相次いだ。北九州市が水際作戦をとった背景は、40年前にさかのぼる。炭鉱閉山に加えて暴力団組員の不正受給などが横行し市の生活保護率は全国で最も高くなった。事態を重く見た市は不正受給を臭わせる相談者を徹底的に排除し数値目標を導入した結果、生活保護率は、ピーク時の5分の1にまで下がった。しかし一方で本当に保護が必要な人まで追い返す弊害が現れている。
 「保護を受けている高齢者の方が亡くなったり孤独死されたりすると1件減ってよかったというふうに喜ぶような福祉事務所もある」と現役職員は話していた。


 「北九州のやりかたは普通です」と北九州市保健福祉局生活福祉部保護課の大嶋明「保護課長」(以降被告)は、男性と門司区のとの対応についてNHKの報道で「説明」した模様だ。自分の手下で直接の殺人者の小倉北福祉事務所自称保護第二課長・榎田寛被告は、報道ステーションの下関駅放火事件についてのインタビューで、「保護を受けたいという話は一切ございませんでした」と堂々と嘘をついていた。榎田を見逃した大嶋の罪は極めて重い。さらに大嶋はこんな悪質なうそをついた。
 「9月に次男さんと福 祉事務所に来られました。このときは生活保護の話しではありませんでした」「12月に、次男は面倒見切れなくなったので『保護を申請したい』と言われました。生活保護の説明をして長男から面倒を見てもらえるか相談してと、納得してかえっていただきました」としたが、実態は申請書を交付せず、受付自体を拒絶する犯罪行為だった。大嶋はいわば彼を殺した殺人鬼そのものであった。こういう犯罪者を見逃しのは断じて許しがたい。
 そこで記者が「水道、電気、ガスの3つのラフラインが とまっているのは、職権で保護すべきでは」「不況の中で生活保護がふえているとき、北九州市は横ばいなのは異常ではないか?」と厳しく追及したところ大嶋被告からは「ふつうです」とあきれた暴言だ。市議会での保健福祉局長答弁も「ライフラインが止まっていることのみをもって『急迫の状態』とはしない」と国際法にも違反する暴言である。

 その罪、命をもって償う覚悟はあるのかと大嶋に問いただそう。まさにこれは殺人鬼以外の何物でもない。