2016年9月17日土曜日

多くの市民の懸念の中、『聲の形』上映強行を行った講談社・京都アニメーション・松竹・朝日放送・ポニーキャニオン各社に抗議を表明します

 倉野でございます。

 私はあるNPOと協力し、障がい者の就労に関する研究に関わっています。その中で痛切に感じていることは、障がい者である以前に、生活者であるという観点があまりにも日本の障がい者行政には欠けているということです。
 その観点から言いますと、最近のメディアの不勉強ぶりには開いた口がふさがらない思いです。
 その象徴というべき作品、『聲の形』が、 京都アニメーション、ポニーキャニオン、朝日放送、クオラス、松竹、講談社の「共同制作」、エースコック・ソフトバンク・シーメンスの協賛によって上映された事に拙ブログとして抗議を表明させていただきます。
 『聲の形』については私が交流している方々の中でも大変な懸念を持っておられる方が多く、直ちに視聴可能年齢を22歳以上に制限すべきであると明言いたします。それぐらい、このアニメ映画の危険性は高いということです。
 また、文部科学省が『聲の形』とタイアップして「心の声を考えよう」キャンペーンを行っていることにも9月4日付で抗議しましたことを公開いたします。 

抗議内容 映画『聲の形』タイアップへの懸念
内容
 お疲れ様です。私は発達障がい当事者で、小学時代から中学時代までいじめの被害を受けてきたものです。
 今回文部科学省が『聲の形』とタイアップして「いじめをなくそう」という運動を開始したとのことですが、この『聲の形』は明らかに人工内耳が使える主人公が使えないなど、差別的な表現が目立つ他もう一人の主人公も明らかな発達障害当事者である疑いが濃く、二重の意味で障がい当時者を侮辱する内容となっております。 文部科学省がやるべきは、映画『やがて…春』、アニメ映画『どんぐりの家』を小中学校で上映する取り組みではないでしょうか。この2つはいじめや障がいについても取り上げております。 これらに対し、9月6日までの返信を求めます。よろしくお願い致します。


 残念ですが、抗議に対して文部科学省は無視する不誠実な振る舞いを示しましたので、抗議文をここに公表し、厳しく抗議の意を表明いたします。
 理由は、以下のブログでも明らかですが、拙ブログの記事も示します。

【ネタバレあり】障害者を“記号化”する健常者の「レイプ・ファンタジー」~大今良時『聲の形』

「加害」と〈悪〉をすり替える『聲の形』は「擬似障害者ポルノ」にすぎない。

「あまちゃん女優」をも“政治利用”する『聲の形』の饒舌なるエクスキューズ

「漫画の都合」で〈被差別者〉を振り回す『聲の形』大今良時インタビュー

 倉野記事

 講談社のおぞましき矛盾~「聲の形」は許されて「境界のないセカイ」は許されない二枚舌ロンリ~.

 この寒気をおぞましいと思わずしてなんというのか

「聲の形」が破たんした3つの理由

 「聲の形」について


 レイプファンタジーとは言いすぎですが、それでもこのブログ管理人が憤慨した痕跡であると私は理解しています。
 そもそも、この大今氏は母親が手話通訳だから間接的に話を聞いて考えたのでしょうが、障がいの現場を見ていないがために限界が有るのです。その限界を埋める努力が見られない以上、私はこの作品に対して不快感を表明せざるを得ません。また、スマホ普及時に高校生だったという設定から遡ってみれば保険で人工内耳が使えるわけで、現実を直視していないのは明らかです。ヒロインを盛り上げるがためにわざと過酷な設定にしているのでは障がい当事者への侮辱であるとしか思えません。
 皮肉な意味で障がいをコメディにするようなものであり、障がいを物笑いにしないでもらいたいと強く言いたくなります。障がい当事者の中には、社会的自立を目指し日々頑張っている人もいるのです。この作品は、そういった人たちの努力に水を差す結果に終わるでしょう。上から目線の発想が、障がい当事者の反発を招くのです。明らかな優生学的暴論に基づいた思想では、マイノリティの声に耳を傾けることなど出来ません。
 私は多くの障がい当事者と関わってきましたがメディアへの不信感が極めて強いと考えております。今回の上映強行は、彼らのメディアへの不信感を決定的なものにするだけだと警告しておきます。
 エースコック・ソフトバンク・シーメンス各社には協賛よりもできることはあります。障がい当事者を積極的に正規雇用などで雇い入れることです。それこそが障がい当事者への励みになります。

 また、もう一つの問題点を厳しく指摘します。
 主人公の石田将也については、精神科医ではないので断言はできませんが明らかに発達障がい当事者です。私自身、アスペルガー症候群当事者ですので、二重の意味で侮辱された感が極めて強いです。

 ですが、大切なのは今後障がい当事者の生活をどうするかという観点です。
 相模原の障がい者殺傷事件でメディアは何故かそのことをおざなりにしています。生活の質をどう考えるかが必要なのです。おそらくこの体たらくでは、第二の『聲の形』 は必ず出てくると警告せざるを得ません。障がい当事者の息遣いですらも、今のメディアは「触らぬ神に祟りなし」のように扱っています。
 そうなった元凶は、過激な極左などの自称人権保護団体の抗議もどき、そしてネットファシスト(いわゆるネトウヨと称する連中)のヘイトスピーチなのですが、それ以上にメディアはあまりにも障がい当事者を知ろうとしていないのです。それでいいとは私は思いませんし思えません。その歪んだ結果は、『感動ポルノ』という現実とはおよそかけ離れたシロモノになります。それでいいのでしょうか。
 私はおかしいと思います。 

※なお、拙ブログはレイシスト、極左からの引用について堅く禁止しております。言及も含め認めませんのであしからず。