2017年1月18日水曜日

言葉の怖さを自覚できていない 山田尚子ら

 今年一発の書人両断は、無自覚なヘイトを喚く愚か者どもをターゲットにする。


「聲の形」山田尚子と原作者、声優陣のコメント到着、新場面写真も解禁

2016年7月27日 16:00 ナタリー

「映画『聲の形』」から、監督の山田尚子、原作者の大今良時、声優陣のコメントが到着。また、新たな場面写真が公開された。
本作は、主人公・石田将也と聴覚障害を持つ少女・西宮硝子の交流を描くヒューマンドラマ。将也を入野自由、硝子を早見沙織が演じ、悠木碧、小野賢章、金子有希、石川由依、潘めぐみ、豊永利行、松岡茉優がキャストに名を連ねる。
山田は入野について「台詞の意味と将也という人間を咀嚼しながら丁寧に丁寧に世界を作ってくださいました。そのおかげでもうずっと前から石田将也という青年を知っていたような、ふしぎな感覚を味わいました」とコメント。また早見については「硝子として第一声を発した瞬間、ひたむきで、頑固で、むきだしの西宮硝子はこれなんだ!と感じました。早見さんは、硝子になるために、きっとものすごいバランスで主観と客観を行き来されていたのだろうな……と思います」と述べている。
「映画『聲の形』」は9月17日より全国ロードショー。

入野自由(石田将也役)コメント
監督と最初にお話しした時に言っていた、人と人とが繋がりたいのにそうなれない、伝えたいけど伝えられないという部分の“人の内側にある葛藤”を大切にしていきたいと考えながら演じさせていただきました。最初は指針を決めるまでが大変でした。

早見沙織(西宮硝子役)コメント
硝子にはいっぱい面白いところがあると思いますが、人間味があるところに惹きつけられました。声は入れてないんですが、誰かが会話している後ろでも結構動いているんです。家族の会話の時にドヤ顔をしていたりして「普段こういう顔をしているんだ」とかわいく思いました。しゃべり方や声の出し方など技術的な面も難しかったですし、アフレコ現場は静かな湖畔みたいな澄み切っている空気で、わずかなものの動きとかがすごく伝わってくるんです。でも硝子として聞こえていないはずのものを1つ1つ気にしてしまうと、まったく思っていたものと違う声をあててしまうこともありました。

山田尚子 コメント
石田将也を演じた入野自由について
じっくり、台詞の意味と将也という人間を咀嚼しながら丁寧に丁寧に世界を作ってくださいました。そのおかげでもうずっと前から石田将也という青年を知っていたような、ふしぎな感覚を味わいました。アフレコ中、入野さんは将也と同じ速度で、同じ高さで、同じ温度で彼の世界を観ようと、じっと寄り添っていらっしゃるように感じました。そんな入野さんに対して、もう信頼しか生まれない状態でしたので、「ここの将也はどんな気分なんですか?」とか逆に質問してしまうようなこともありました。私の目にはもう入野さんが将也にしか見えなくなっていましたので……。等身大の、なんだかほっとけない魅力のある最高の将也が誕生したと思います。
西宮硝子を演じた早見沙織について
他の役者さんたちが揃った中での収録でした。周りの音を聞かない事に集中されていたように思います。早見さんが硝子として第一声を発した瞬間、ひたむきで、頑固で、むきだしの西宮硝子はこれなんだ!と感じました。早見さんは、硝子になるために、きっとものすごいバランスで主観と客観を行き来されていたのだろうな……と思います。硝子を、しっかりとした思いのあるひとりの少女として存在させてくださいました。きっと、この映画を観終わった後にまたじんわりと硝子に会いたくなるんじゃないかなぁと思います。すこし、恋に近い感じ。なんだか硝子の体温とか匂いとかまで感じられるようなところまで早見さんはやりきってくださいました。

大今良時 コメント
石田将也を演じた入野自由について
入野さんは将也をちゃんと主人公にしてくれました。将也がどんな声をしているかは実は正直わからなかったんですけど、聞いた時はかなりしっくりきました。ストレスを感じない声というか、演技というか、もしかしたら漫画の読者の人たちが脳内再生していた声ってコレだったのかもしれないなあと思うくらいでした。
西宮硝子を演じた早見沙織について
早見さんの演じる硝子の声を聞くたびに感じる緊張感、それはまさに本当の聴覚障害者の方の声を聞く時に感じる緊張感でした。ものすごくリアル。もうすこし、アニメ用というか、演技っぽく感じるのではと思っていたので、とても驚きました。その上で、アニメとして普通に聞いていられる声だったので本当にすごいと思いました。自分の中にいなかった新しい硝子がそこにいた、という感じでした。

悠木碧(西宮結絃役)コメント
とにかく我慢強くて優しい人です。でも、彼女の若くて不器用な部分が、そんな優しい所を必死に隠そうとしていて……そこがなんとも人間くさくて……。どうしようもなく可愛い子だなと思いました。
また、アフレコ内で、「一番イケメンにして下さい」と言われ、あまりイケメンを担当した事が無かったので、精一杯背伸びしています(笑)。
小野賢章(永束友宏役)コメント
永束君はお調子者だけど仲間想いで真っ直ぐ。愛されキャラなので良いやつだなぁ~と思ってもらえるように気を付けて演じました。
金子有希(植野直花役)コメント
人間生きていると、「嬉しい!」「悲しい!」だけじゃなくて、「嬉しいけど……」「悲しいけど……」と一度にいくつもの気持ちを持つことは多いと思います。そういう気持ちをどのキャラクターも持っていて、とても人間らしい繊細な作品になっています。それ故の難しいところもあって、「このシーンはこういう気持ちでやってます」と言葉で言うのが私には難しかったです。例えばですが、私は責める気持ちのほうが強いと思っていたけど、ここは思いやりの気持ちがもっとあるんだよ、というようなシーンとかもあって、少しの違いで全く違うので、そういうところが難しいなと思いました。
石川由依(佐原みよこ役)コメント
佐原は、優しくて、とても強い女の子です。でも決して初めからそうだったわけではなく、悔しさや辛さをたくさん経験し、自分の弱さを克服しようと必死に考え乗り越えてきたからこその、強さであり優しさだと思います。だからこそ、ふいに弱い部分を突かれると、急に弱気になってしまう脆い部分もありますが、そんなところもまた、私は好きです。佐原の根底にある弱さに似ているものを私も持っていますが、私は同じ境遇に立ったら、逃げてしまい、自分を直視できないのではないかと思います。常に自分と向き合っていて、困っている人がいたら迷わず助けようとする、そんな優しくて強い心を持つ佐原は、私にとっての憧れです。
潘めぐみ(川井みき役)コメント
誰かのせいにしたい、訳じゃない。自分の思う正義を振りかざした結果、人を傷つけてしまう。彼女の言葉や気持ちに嘘がないからこそ、えぐられるものがあるというか。その不器用さが愛おしくもあり、難しかったところですね。
豊永利行(真柴智役)コメント
真柴くんも他のキャラクターと同じ様に、過去に大きな闇を抱えている子なので、表にどれだけその要素を含めるか、また隠すか、そこのバランスをリアルに演じる事が難しかったです。あざとくならないよう心掛けたつもりではいますが……いかがだったでしょうか? 闇を抱えてはいますが、それでも前を向いて一生懸命生きている様は非常に好感が持てます。

http://natalie.mu/eiga/news/195996

 はっきり言ってやろう。
 どいつもこいつも、現実をわかっていない。全く話にならない。まず、いじめの問題が社会的構造そのものにあることを見て見ぬふりをしている段階でアウトだ。ネットのスラングで悪名高いものの一つ『アーアーアーキコエマセーン』の現実逃避者そのものである。

「(∩ ゚д゚)アーアーきこえなーい」とは耳を塞ぎ、聞こえないふりをするAAである。
掲示板において自らへの批判や荒らし行為をするユーザーに対して使用される。
AAは手で耳を塞いでいる様子を表しているもの。
http://netyougo.com/aa/6388.html

 更に私が憤ったのは映画の世界観ばかりにのめり込んでいて、その結果もたらされる社会的影響へのリスクをみんな見て見ぬふりをしていることだ。そんな姿勢で、何が障がい者の問題を取り上げているのか。ふざけるなと言いたくなる。この根底に有るおぞましい思想、優生学をごまかすために『ヒューマンドラマ』『ディスコミュニケーション』という呆れた言い逃れを弄りだしたのにしか過ぎない。ふざけるなと一喝するしかない。私の知っている障がい当事者支援関係者の知り合いの殆どが私の説明を聞いて怒りだしたり、呆れ返ったり、憤慨するほど内容はひどいと言わざるをえない。
 石田将也という主役は、描写からして明らかな発達障碍の可能性が濃厚だし、西宮硝子に関して言えば時期からして人工内耳が保険適用で使える。そのことを把握しない、もしくは知っていて逃げている大今の不見識も論外なのだが、更に信じがたいのはそういう愚か者どもに協賛した企業がソフトバンクやエースコック、シーメンスだったというのだから驚きだ。しかも、文部科学省までもがこのアニメを使う不見識ぶり。文部科学省には「お前ら、本気でいじめを無くす気あるのか」と憤慨したくなる。私がソフトバンクのスマホの開発部に関係するなら、障がい当事者が使いやすいスマートフォンアプリの開発にこそ力を注ぐ。エースコックの営業部なら、『この商品を買えば障がい当事者へこれだけ支援します』という商品を開発すればいいまでのことなのである。
 彼らの行為は大今や山田らの不見識にお墨付きを与えてしまったのである。そんな彼らには、山本おさむ氏の『どんぐりの家』を教えてやろう。『聲の形』よりも重複障害を取り上げるなど数段過酷な設定だが、私はこの作品にこそ高い評価を与えている。ましてや今回の『作品』は1986年に上映された『やがて…春』にも劣っている。これらの作品に共通しているのは過酷なまでの現実を直視し、そこから解決しようとする前向きな姿勢だが、『聲の形』は不幸を煽るだけで意味は無いのだ。ネットでも厳しく批判され、多くの市民団体からの批判にたった一ヶ月で上映を打ち切り、この『作品』は完全に『どんぐりの家』や『やがて…春』にボロボロに負けてしまったのである。
 山田らが自覚できていない言葉の怖さは、相模原の障がい者施設襲撃殺人事件で明らかになったではないか。その怖さを自覚できていない山田らには、呆れて話にならない。大今についてはこの場で名指しで批判したが、今回は全員まとめてようやく一人前という本当に情けない雑魚ぶりなので、『山田尚子ら』としてやろう。
 ただ嵐が過ぎ去るのを待つのでは、私達は何も見えないまま終わってしまう。この程度の愚か者に表現者を名乗られるから、レイシスト共にやりたい放題されてしまうのだ。