2017年3月18日土曜日

差別の根底を破壊しないかぎり意味は無い

【社会】 代理婚活、花盛り 親同士の「見合い会」次々と開催中
 西日本新聞社:2015/07/21(火)

 親が子どもに代わって集団お見合い会に参加して結婚相手を探す「代理婚活」が人気を集めている。
 パートナー探しに消極的な「草食系」の若者は、結婚まで親頼み?と思うなかれ-。
 人気の背景を探ると、男女ともに仕事で忙しく出会いの場が少なくなったことや、お見合い文化の衰退といった時代の変化があるようだ。

  「お子さんはどこにお勤めですか」「娘の仕事は続けさせてもらえるかしら」。6月24日、福岡県久留米市の久留米商工会議所の一室は60~70代の48人の熱気で暑いくらいだった。
 一般社団法人「良縁親の会」(京都市)が主催した「代理お見合い会」の会場だ。
 「子どもの幸せのためなら何でもできるんですよ。親ばかですね」。30歳の息子を持つ福岡県大牟田市の女性(61)は苦笑した。手にした参加者名簿には、相手の勤め先などがびっしりと書き込んであった。
 双方がうまくいきそうだと思えば趣味や学歴など詳しい身上書を交換して持ち帰る。互いの子どもも「OK」となれば実際にお見合いをする。身上書は何人と交換しても構わない。
 良縁親の会は2005年から同様の催しを全国で約230回主催し、約1万7千人が参加した。
 福岡県内だけで、他に10以上の団体・企業が同様の代理お見合い会を開催している。親から自立できない男女が対象といった、限られた世界の話ではないのだ。
  「今の若者は忙し過ぎて余裕のない人が多い」。会の平田勝則西日本支部長はそう指摘する。女性も仕事を持つのが当たり前になった。
 しかも、一日の大半を送る職場では近年、ハラスメントになるのを気にしてプライバシーに踏み込むのを遠慮する風潮があるという。
 地域では近所づきあいも、めっきり減った。
 「昔は仕事一筋の人にも、近所の世話好きや職場の上司が見合い話を持ってきてくれたもんですが」(平田支部長)
 13年度版厚生労働白書によると戦前はお見合い結婚が全体の7割を占めていたが、2000年代後半にはわずか5・3%。一方で国立社会保障・人口問題研究所によると10年の生涯未婚率は男性が20・1%、女性が10・6%に上った。
 代理婚活は「出会いの時間がない」「世話好きもいない」と、“二重苦”の現代の独身男女を救うた 自治体も代理婚活に取り組み始めた。福岡県飯塚市は6月21日、穂波公民館で参加無料の代理お見合い会を開いた。
 12年から年1回実施し、4回目の今年は市内外の36人が参加した。
公費を使っているが、評判は良い。市こども育成課の鈴木夏実課長は「地縁が薄くなったといわれる昨今、自治体がこうした役割を担うことも必要」と、おせっかいも辞さない構えだ。

    西日本新聞社
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150721-00010006-nishinp-l40



 結婚一つとっても日本はお見合いか恋愛かということになる。
 しかし、日本の場合お見合いの場合相手の家系を必ず見る。その中ですさまじい差別がはびこるのが現実で、部落解放同盟はそういった事を批判できないでいたのではないか。ただ単に部落民の生活環境の改善だけに終止し、社会全体にはびこる差別構造を批判できていない。そして目先の特権に騙されている。
 私はそういった社会運動への不信感を持たざるをえないのは、己等の生活環境の改善に終止し、社会全体の改善というものにはなっていない事がある。その結果は絶食系男子の誕生などになっている。10年20年先の環境の改善がなければ、行動には意味が無いのである。
 こうしたものが皇室では残念ながらはびこっている。皇太子夫人の雅子さんの家系を見れば華族出身であったことからも完全な貴族同士の結婚であることは明らかだし、インドでもカースト制度によって未だに社会の活性化に至っていない。そして日本でも江戸時代の士農工商というカースト制度が見えない形で残っている。障がい当事者はもちろん、犯罪加害者家族・親族はその中ですさまじい差別に押し込まれている。同じ問題の延長線上に在日コリアン問題、従軍慰安婦問題、そして福島からの震災避難民の子供のいじめ問題があるのは明らかである。その問題をそのままにしていいのだろうか。
 今後、皇太子が現天皇の生前退位により皇位を継承すると思うが、彼にはぜひともそうした闇をいざという時に厳しく批判する勇気を持っていただきたいと切に願う。精神疾患に苦しむ雅子さんの良き理解者であることはともかく、自身の経験からも活かせるものはあると確信している。
※なお、私は現天皇の退位に際しては皇室典範の全面的改正と、皇室の緩やかな縮小、そして昭和天皇の戦争責任を認め謝罪する事が必要不可欠・不可避だと考える。これは、アジアと日本の和解には絶対に必要不可欠なのである。