まず、聲の形について。
今回のコメントでとりあえず一区切りにしたいとは思うし、触れる程度でものは言うが、もし何か不穏なことがあるならばいつでもこの私は否の声を上げ続けるとだけ警告しておこうと思う。
案の定、『聲の形』の動画は5月17日販売直後からYoutube等あちらこちらで違法動画がアップされていた。
中には丁寧に中国語字幕をつけている人もいる。
だが残念なことに、問題の本質が全く分かっていないお花畑的な連中が多いということだ。
しかも深刻なことに、原作から映画製作だけを抜いただけで、作品の持つ優生学的な発想は全く抜けきっていない。
そのあり方は絶対に許してはいけない。優生学批判の直後にこの作品を取り上げるのもうんざりだが、何度も言うしかない。
今後、『聲の形』については障がい当事者を取り上げる作品として取り扱うのはやめるべきだ。
『どんぐりの家』や『やがて…春』等の本格的な作品と比べると全く話にならないということだ。
私達はジーン・リースの取り組みにこそ注目すべきだ。
シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』に出てくる精神を病んだ女性・バーサについて、リースは何故そうなったのかを地元出身の視点から肉付けし、丁寧に書き上げて『サルガッソーの広い海』という力作を描いた。
松竹は今回の暴挙への最低限の罪滅ぼしとして『サルガッソーの広い海』の日本語版を聲の形キャスト・スタッフ・原作者に声を吹き替えさせて上映させるべきだ。
※2006年版Wide Sargasso Sea
そうすることで彼らは自分たちの犯した罪を思い知ることが出来るのだ。とても私は内容からして出演したいとは思えない。それなのに出た彼ら彼女らの見識とやらを厳しく問いたださねばならない。
私は優生学を絶対に許すことは出来ない。そして、巧妙な形で組み込まれた優生学を心の底から憎む。
『聲の形』の世界観を私たちは乗り越えていかねばならない。
乗り越えなければ、相模原の障がい当事者施設襲撃殺傷事件の被告人と同じ世界観に陥ってしまいかねない。
それは絶対に許されないし、『北斗の拳』でいう力がすべての世界になってしまう。
この作品を乗り越えるためには、私達が『聲の形』のキャラクターを使いつつも、内容を大幅に書き換える作品を送り出し続けることが大切だ。
つまり、ジーン・リースに続くことだ。
リースはマイノリティへの侮辱を作品にすることで力にした。
私達も出来るはずだ。絶対に諦めてはいけない。
もちろん、『聲の形』だけではない、様々な形の作品からキャラクターを使ってもいい。だが、人道上常識に沿った設定にすることが必須だ。
そんなアタリマエのこともわからない極左にああだこうだと言われる筋合いはない。真っ向から批判をも受け入れつつも鋭く言葉を戦わせる人達の名前を汚す連中には負けたくない。
レイシスト共に何とか噛みつき戦うものたちを侮辱し、嘲笑する極左に言われる筋合いなどない。これは、私なりの突き放しであり、突き放して言うことも時には必要であるということだ。
また、もう一つ。
NTT東日本所属の『バトミントン選手』桃田賢斗なる人物が日本サーキットランキングに出場するようだが、私は日本バトミントン協会に抗議のメールを送り、桃田の現役引退とボランティア活動20年従事を求めた。
何故こう言ったかは、今までのブログコラムからわかると思う。