SMAP中居正広に結婚しろ!松本人志は昔の結婚・家族全否定発言を忘れたのか!?
2015年5月23日 11時52分
LITERA(リテラ)
「少子化が解決しないのはSAMPのせい」──こんな珍妙な主張を松本人志が主張し、波紋を呼んでいる。
松本がこの主張を最初に披露したのは、今月5月10日に放映された『ワイドナショー』(フジテレビ系)でのこと。この日、番組のなかで「深刻化する少子化問題」が取り上げられたのだが、松本は最初からなぜか興奮気味だった。
まず、ゲストの社会学者・古市憲寿が「手遅れなんですよ。この10年って団塊ジュニア、日本で2番目に人口のボリュームが多いSMAP世代が出産適齢期だったんです。この10年にいろんな少子化対策をしていれば人口が増えたかもしれないのに、何もできず、子どもの人口が減っていった」と解説。MCの東野幸治が「どうですか? 松本さん。なんかいい案、いい手、あるんですかね?」と話題を振ると、突然こんな持論を展開しはじめたのだ。
「やっぱりジジイがもっと若い女とデキるようにならなきゃいけないでしょうね」「富裕層というか、そこそこお金持ちの人たちが余裕をもって、そういう状況をつくれるように、だから世の中変わっていかないとダメでしょうね。でも、いまは男に対して厳しすぎないですか~?」
さらに松本は「これは極論で言うと」と前置きしながら、愛人の容認や一夫多妻制は少子化対策になるとし、「本当オレなんかじゃなく、安倍さん(首相)が言わないといけない」などと主張するのだ。
少子化だから金持ちのジジイと子づくりしろ、ってか。すべての女がカネで動くと思うなよ......などと真面目に取り合うのもバカバカしいが、ここで松本は本題のSMAPを俎上に載せる。
「SMAPはねー。5人もいて4人結婚してないってのは、たしかに問題は問題なのよね」
人気アイドルのSMAPが結婚しないから、それを見習って多くの若者男性も結婚しない。ファンの女性も結婚しないと言いたいらしい。しかも、翌週17日の放送では、松本に"少子化問題の元凶"と名指しされたSMAPのリーダー・中居正広がゲスト出演。松本は、今度は中居本人に結婚と出産を迫ったのだ。
「SMAPは結婚する使命がある。でないと嵐が(結婚)できへん。嵐なんて10人ずつ産んでイガラシ(五十嵐)にならんと」
「極論、結婚せんでもいい、子どもだけつくったらええ。都道府県に全部子どもつくったらええ!」
「無理ですって」「幸せにする自信はまったくない」「DVやるかもしれない」と苦笑いを浮かべながら拒否する中居に、しつこいほど子どもをつくることを強要する松本。話がおもしろかったらまだ救いがあるが、"嵐=子ども50人で五十嵐"などという展開もお寒いばかり。むしろ、話題を盛り上げようとか笑いをつくろうというサービス精神を捨てて、松本は本気で「子どもをつくれ!」と迫っており、中居のみならず視聴者ですら引いてしまうほどだ。
結婚しろ、子どもを増やせ。この強迫的な松本の言動に、違和感を覚える人も多いだろう。というのも、松本といえば"結婚して子どもをもったら男は終わり"と主張しつづけていた張本人ではないか。
たとえば、1994年に発売され、ベストセラーとなった著書『遺書』(朝日新聞社)に、松本はこのように書き記している。
〈いゃーだれが決めたか知らないが、結婚というものは、おっそろしいものである。いつ家に帰っても同じ女がいるのだぞ......ギャー。考えただけでも身の毛がよだつ話である。さらに、新婚当時は若くてそこそこきれいだったその嫁が、年を取り、ヨボヨボになっていくのだぞ......ウゲーッ。手に汗にぎるお話である。また、そのヨボヨボが、夜、ネグリジェを着て求めてきたりしたら、ある意味ヤクザである(なんのこっちゃ)。
ガキができたらそれこそ最悪で、自分に似た生き物に家の中をウロウロされた日にゃ、どうしていいかオレには解読不可能である〉
この結婚と子をもうけることへの畏怖の念は理解できるし(文中の女を男に置き換えても同じことが言える)、世間の価値から距離を置いてシュールな笑いを追求していた当時の松本をよく表している。さらに松本は、こうつづける。
〈そう、オレのようなコメディアンにとって、家族というのは百害あって一利なしなのではないだろうか? たとえば、子供が小学生にでもなると、親父がコメディアンという理由でいじめられるかもしれない。「学校でいじめられるからバカなこと言わないで」なんて自分の子供に言われたら、オレは、きっと自分の子供をイジメてしまうだろう。ただ、やりにくくなるのは間違いないだろう。また、女の話をテレビでしにくくなる。いまでこそ好き勝手に昔の話でも、最近の話でもしているが、嫁さん・子供がいると、やっぱりパワーが半減してしまうかもしれない〉
〈オレは間違いなく、普通のおっさんになってしまう。オレがいちばんなりたくなかった普通のおっさんにである。昔はおもしろかったのに、普通のおっさんになってしまったコメディアンをオレはいっぱい知っている。やはり、オレにとって結婚はありえないのかもしれない〉
ここまで読むと、なるほどと思う。結婚後、松本の言葉からは独身時代にはしょっちゅうしていたフーゾク話や女遊びの話は消え、逆に娘が可愛くて仕方ないという子煩悩ぶりが発揮されるようになった。しかも、その熱の入れようは尋常ではなく、2010年に放送された『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)では「『森のくまさん』を英語で聞いたことがあります?」などと話しはじめ、「生後7カ月の娘に英才教育?」と噂された。なにせ、相方の浜田雅功でさえ「この人(松本)は現場に入ってくるとき不機嫌。でも、子どもが生まれたらそれがなくなった」と証言している。
そう、松本はすでにいま、自分がもっとも恐れていた"普通のおっさん"に自ら進んでなってしまったのだ。
しかし、まあ別に松本が普通のおっさんになろうが知ったこっちゃないのだが、目にあまるのは、こういった過去の発言をすっかり自分の歴史からなかったことにしている点だ。
たとえば、『松本人志 仕事の流儀』(イースト・プレス/2011年)において松本は、「『昭和的』な笑いを経験してない子たちが、大人になってどんだけ面白いことをできるんやろうか?って考えると、正直、ちょっと不安な部分はありますね」と語り、"いまの時代はお笑いを重宝しすぎ"と強調。そして、"僕が丸くなったのではなく世の中が変わっただけ"と言うのだ。
たぶん、結婚や子をもうけたことについても、松本は同じように考えているのではないか。だから、あれだけ結婚することや子をもうけることに拒否反応を示していたのに、いまは中居相手に「結婚しろ、子をつくれ!」と上から物が言えるし、45歳まで独身を謳歌してきたのに、いまさら少子化は由々しき問題だなどと常識人ぶるのだろう。
松本の場合、"普通のおっさん"になったというより、"見苦しいおっさん"になったと言うべきかもしれない。
(酒井まど)
こんな松本の保身体質を見事に見抜いていたのがあの横山やすしである。
ライト兄弟と名乗っていた頃に出演していた『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)で「家庭内暴力の報道が少なくていいな」という浜田に対する松本の「どこがええねん、親を甘やかしたらあかんで、親なん
か子供が本気出せばすぐに殺せるということを教えとかな、あいつらに」「家庭内暴力は家の中で要らん奴を考えてやらんといかん。まず一番要らんのはグラン
ドマザーです。その次はオトン。」と家庭内暴力をネタにした漫才もどきをやった事に「お前ら、舐めとんのか! そんなもん漫才やない! チンピラの立ち話やないか! 八尾のチンピラが立ち話でもしとんのか、こら! 」「テレビでやるような漫才ちゃうやんか。そんな親をけなしたりな、自分らは新しいネタや思うてるかも知れんけどな。航空業界にも迷惑かけるわ、ライト兄弟いう名前はね。」と諭しながら一喝したのである。
その横山を松本は約10年後に出版された自らの著書に「たまたま聞いたチンピラの立ち話が面白かった、
(漫才というものは)それでええやないか。何が悪い。」「あの時やすしを殴っといたらよかった」と暴言した。その程度の馬鹿に家庭云々かんぬんとは笑ってしまう。しかも、横山の葬儀に「仕事が多忙」という嘘口実をついて欠席する暴挙までやらかした。
まさに、人でなし以外のなにものでもない。嫌なら、「精神的に厳しいので出席はできません。昔誹謗中傷して申し訳ありませんでした。お許しくださいませ」と遺族に謝罪して欠席すればよかったのである。 松本のコラムもどきについてはあの佐高信氏が「彼の主張はあくまで個人的怒りである。社会的怒りに広がる怒りではないのである」と完膚なきまでに喝破したほど、レベルが低かった。その指摘は正しかったことは今のこの有り様で明らかだ。
今からでも遅くはない、松本は言論一致を目指すなら、相棒の浜田雅治、北野武と一家で福島県に移住して障がい者を中心にしたユニバーサル雇用に尽力するがいい。それが、横山への罪償いになる。
それとも、いわゆるDASH村に移住して開拓でもしますかな?