2013年10月7日月曜日

とある女性からの私への問いかけ(匿名投稿)

 こんばんわ。
 この前から死刑論につきまして掲載をさせていただいております。そのことに対して正々堂々と反論をしてこられた方がおりますのでここに掲載いたします。掲載の承諾をいただくに際しましては著者の名前については公開しないと明言します。
 なおメッセージも一部加工します。それは投稿者の個人情報を守るためです。その方と私があったのはあるブログであります。ただし、雑談をしながら議論も楽しめるという面白いところでした。
 そこに私があるレイシストと仲良くしていた投稿者に注意をしに来た時にその人が、我が盟友の書いたコラムを見て私に「犯罪被害者に対して残忍な」ということで真っ向からぶつかってきました。ですが、その投稿のURLは公開しませんのでご了解ください。

 メッセージの一部を公開したします。



 私は《今、犯人を処刑することはその人物が背負っていた苦しみを代わりに背負うことになりかねないことを貴方は分かっていない、だが貴方はその苦しみすら 分からないであろう、妻子を失った悲しみで何もかもが見えなくなっているのだから。そしてもし貴方が『妻子も被告に死刑を望んでいる』と言うのならそれは 妻子本人の言葉ではない、貴方が似せて作った偶像に言わせた言葉だ。》この箇所を読み、なぜ被害者の感情を逆なでするようなことを書かれるのかと悲しみを 覚えました。
 死刑に関しては賛否両論がありますので、私はどちらの考え方にも意見はいたしません。

 ただ、もう少し被害者感情を考慮していただきたかったなと思いました。



 そのことを踏まえ、この前犯罪被害者の権利について具体的に指摘したコラムを書かせていただきました。
 ですが、こういった意見もあることは事実です。その事実にも耳は傾けたいと思っています。そのうえでの信念であり、そのうえでの議論です。ただ、犯罪加害者の人権を述べる以上は犯罪被害者の負った苦しみに耳を傾けるべきなのは当然のことです。そして被害者の苦しみを和らげるには何ができるのかを考えるべきだというのが私の思いです。そこには感情的処罰以外の方法があるべきだということです。
 その方は「自分は田舎者で無学歴の者」 と謙遜されていましたが、高学歴であってもレイシストになるような時代です。そういうレイシストと比べるとその方は数段人柄的にも立派なのです。私はそうした方の為にもこのブログのコラムは解放するというのが方針です。
 今回諸事情によりHNは公開しませんが、その方に対して心より感謝申し上げます。