2015年3月10日火曜日

生活者欠落では障碍者の自立にならない~「遥かなる甲子園」・「やがて…春」が私に与えたもの~

 「聲の形」が劇場版アニメになるが、私は期待していない。
 今まで、批判的な観点からウォッチャーになっていたが、その観点が間違っていないという事をとうとう最後まで私は覆す事ができなかった。ある意味悲しい作品である。社会福祉士ですらもあきれ返り、我が盟友ですらも厳しいコメントに終始するありさまである。
 映画で「遥かなる甲子園」というものがある。難聴当事者の高校生たちが甲子園を目指すというストーリーである。そこには差別も何もない、困難を純粋に乗り越えようとする青春ストーリーがある。このドキュメンタリー「遥かなる甲子園」の原作者の戸部良也氏と漫画を描いた山本おさむ氏(アニメ映画「どんぐりの家」でもおなじみ)がもし、「聲の形」を見たら何と思うのだろうか。戸部氏は差別の実態もきちんと書いているが、明らかな違和感を感じるのではないか。
 この映画の主役はあの三浦友和氏である。1990年に東宝で公開されている。
 あらすじも載せておきたい。

 昭和39年、アメリカで猛威をふるった風しんは沖縄にも及び、風しんにかかった妊婦から数多くの聴覚障害児が誕生した。それから15年後、彼らのための中 等部・高等部の6年限りの存在で北城ろう学校が開設された。その生徒の一人、真壁敏夫は中等部3年の夏、甲子園に高校野球を観戦しに行った時、大きな感動 を体験した。熱闘の中で、聞こえないはずの音を感じたのだ。僕も野球をやりたい、もう一度甲子園でこの音をグランドの中から聞きたい!そう決心した敏夫 は、高等部始業式の日、生徒を代表して新城教諭に野球部設立のお願いをした。
 新城と校長の知念は、初めて自発的になった彼らの気持ちを受け止めようと、周 囲の反対にあいながらも、野球部を誕生させたのだった。しかし、大きな壁が待ち受けていた。日本学生野球憲章にろう学校の高野連加盟は不可能という条項が あったのだった。これでは他校と練習試合すら出来ない。しかし、高野連は試験試合を見て加盟を判断するとした。
 その試合は大差のコールド負けだったが、加盟を認められ、女子マネージャーも加わった北城ろう学校野球部は本格的に動き出したのだった。そして高校最後の年。この頃になると、就職に不安を持ち、野球を続けることに反対する親も出てきた。それは思うように勝てず挫折を味わっていた部員にも影響し、心は野球から離れる者も出てくるのだった。そこで敏夫は琉球高校との合同練習を考え出した。レベルの高い琉球高校の猛烈な練習と闘志に北城のナインの心も燃え、わだかまりはふっ切れて行った。そして、北城最後の公式戦となる夏の全国高校野球大会・沖縄県予選の日となった。そして、試合は接戦となり北城ろう学校野球部公式戦初勝利の夢をのせ、決戦を繰り広げるが敗れてしまう。しかし、北城ナインたちは力一杯戦った爽快感を全身で感じていたのだった。

 言っておきたいが、私は障碍者を商業の手段で使う事には断固として反対する。
 彼らはあくまでも生活者なのだ。生活者として自立できるか所については自立を認め、できない個所についてはサポートすればいいまでのことなのだ。私自身が媚びることを嫌うのも、将来の社会的自立を視野においていることに他ならない。
 また、「聲の形」への違和感を拭い去ることができなかったのは「やがて…春」(中山節夫監督、1986年公開、日活配給)の影響も大きい。この作品では小学校5年生の児童たちを中心に、いじめ問題を描いていた。こういういい作品があるのに、なぜ今更「聲の形」なのか。ようするに、「美少女障碍者」にお涙ちょうだい欲しさの作品だという印象になりかねないのだ。
 こんな調子では絶対に障碍者の自立にはつながらないし、かえって侮辱しかねない。そもそも、生活者という観点が欠落している段階でアウトなのである。私はそのことを日々の生活で厳しく痛感している。諦めてはいけないと思う。
 最近の漫画もそうだが、安易に人の死を感動的に使いたがる。それでは命の重みは絶対に伝わらない。