2015年3月12日木曜日

相手を批判するに必要なルール

 久々に間を縫ったコラムを書かせてもらいたい。

 私が「書人両断」で批判する輩どもはいずれも強者であることを忘れないでほしい。本田圭祐にしても、高橋大輔にしても、滝川クリステルにしてもだ。その一方で、批判にかける対象外にしているのがいる。
 社会的弱者である。彼らが批判しても、私はあえて反論はしない。だが、その見方がレイシズムに基づくゆがんだものであるのなら、事実にのっとって批判するまでである。その厳しさは持ち続けようと思う。

 最近気にかかることがある。
 昔のお笑いというのは、川柳に代表されるように権力者を皮肉るものだった。ネトウヨ(レイシスト)川柳はその精神を持っている。だが、今のお笑いとは一体何か。
 明らかに権力者にこびていて、「旦那、それはないでゲスよ」と三流そのものである。北野武やダウンタウンはその代表にすぎないのだ。テレビはそうした歪みを一流と勘違いして取り上げているのだ。
 その悪癖がネットに飛び火しているのが最近気にかかる。どことは言わないが、女性へのセクハラが当たり前なネタがいつの間にか一流になるゲスとしか言いようのない動きである。そんなことがアメブロではびこるほか、ニュースを取り上げるサービスでもデマが横行するありさまだ。
 私はそういうものはルール違反だと指摘する。もう、私は疲れ切ったということなのである。アメブロやmixiへの再入会はないと断言するのもそこにある。


 東日本大震災から4年たちました。
 人々の真の復興とはいまだになっていない現状、私たちが政治に求めるのは何でしょうか。
 海外派兵ではなく、共存する経済への回帰。
 それが今こそ求められるのです。
 3月11日に特集だけやって、あとは何もしなくていいというのではいけません。
 私たちは、生活の中にある復興とは何かを考えるべきなのです。