ディスレクシア(英語: Dyslexia、ディスレキシアとも)は、学習障害の一種である。失読症、難読症、識字障害、(特異的)読字障害、読み書き障害とも訳される。1884年にドイツの眼科医ルドルフ・ベルリンによって報告され命名された。
井上 智(いのうえ さとる)
ディスレクシアの成人当事者。
43歳のとき、ディスレクシアだったことを知り、
長年の謎の答えが見つかる。
小中学校は、読み書きの困難を隠しながらおくり、
高校1年のときに、学校も家もとび出す。
その後、生きるためにさまざな仕事についた。
現在は、大工として仕事をしている。
井上 賞子(いのうえ しょうこ)
智の妻で、公立学校教諭。
智の書いたものや話したことを文章として整理し、
ホームページの製作に協力している。
*ホームページ「成人ディスレクシア toraの独り言」
http://sky.geocities.jp/dyslexia_tora/index.html
この井上さんは識字障がいの当事者であるが、今では周囲の理解があって無事大工として生計を立てている。
当然、そんなものだから彼の周囲には民族など関係ないはずだ。生きるためにはがむしゃらにやってきた人で、会社を立ち上げたものの破産に追い込むなど経験も豊富だ。以前私は発達障がいであることをここで明かしたが、TVの取材には絶対に応じたくもないと思っている。この識字障がいも発達障がいの一種であることは言うまでもない。
だが彼らは誤解され「怠けている」というレッテルを張られてきた。それで果たしていいのだろうか。
太鼓の音に足の合わぬ者を咎めるな。その人は、別の太鼓に聞き入っているのかもしれない。(ソロー「森の生活」から)
この識字障がいも発達障がい同様、つい最近理解されるようになった障がいである。
だが、この障がいへの理解はまだまだであるといわざるを得ない。私達はこの障がいへの理解が行き届かないことに対し強い危機感を覚えている。なぜなら発達障がいだから凶悪犯罪を起こすというとんでもない判決もどきが去年出たことを踏まえると偏見はいまだに残っていると言わざるを得ない。
しかも困ったことに障がい者を商売のネタにするケースすら出てきている。そのことに私はどれほど苛立っているのかを理解してほしい。