日テレ24時間テレビ、上から目線で障害者を利用し、無理矢理つくられた“キセキ”に疑問
Business Journal 2014年9月2日(火)0時10分配信
--主要なテレビ番組はほぼすべて視聴し、「週刊新潮」などに連載を持つライター・イラストレーターの吉田潮氏が、忙しいビジネスパーソンのために、観るべきテレビ番組やテレビの“楽しみ方”をお伝えします--。
日本テレビ毎年恒例の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(8月30~31日放送)をこんなに真面目に観たのは初めてだ。もちろん24時間観たわけではない。途中チョイチョイ浮気して、うっかり面白かった番組もあるので触れておく。
『ワイドナショー』(フジテレビ系/31日)で、松本人志(ダウンタウン)や乙武洋匡の「チャリティーに対してモノ申す」は、戦略的であざとくてよかっ た。最近著名人の間で流行しているアイスバケツチャレンジや、裏番組の24時間テレビに対して「そこんとこ、どーよ?」と思っている人の溜飲を下げたよう な気もしている。乙武君でないと言えないこと、あるわな。
『となりの防災家族』(NHK/31日)は、猫好き・佐藤二朗好きにはたまらない内容だった。防災意識の低い佐藤一家と、備えと知識がある櫻井淳子一家の 「防災意識格差」を飼い猫からの目線でとらえる、というドラマ仕立ての啓発企画だ。一瞬、心がザワつくエンディング(あらぬ妄想を掻き立てる)でなかなか に面白かった。
で、本題ね。病気や障害をもった人、体を酷使してまでがんばる人を清く正しく美しく描きたがるシナリオが、正直苦手だ。彼らの本当の気持ちや生の声はあ まり取り上げられることがない。そこがなんだか「24時間テレビ的」で疑問を感じる。私たちはそのあたりを確か学んだはず。佐村河内守という人物から。今 回のテーマが「小さなキセキ、大きなキセキ」っつうことで、何が何でもキセキにつなげようとするところに無理もあった。
例えば、生まれつき目が見えない12歳のA君(個人情報に配慮し実名を伏せます)。耳で聴いた音をピアノで再現できる素晴らしい才能の持ち主だ。華原朋美と武道館でコラボする企画だったのだが、このA君、ものすごく明るくて常に笑顔で、おしゃべりが好きな、面白い男の子なのである。目が見えないからすごい、のではなく、そも そもすごいのである。VTRで華原がだいぶ直球な質問(障害のない人間の上から目線で)をぶつけるも、A君は「ハハハ~」と素直に笑い飛ばす。VTRは 「障害の説明」で、極めて24時間テレビ的編集。
武道館で演奏した後も「Bメロんとこ、間違えそうになったけどすぐに直してよかった~アハハハ~!」と朗らか。あ、この子、すごく素直で、観ていて気持ちがいいなと思ったのだった。もっとA君の声を聴きたかった。
ところが、司会者はA君のコメントを途中で遮り、さっさと次の企画へと誘導する。企画がめじろ押し&生中継で大変なのだろうけれど、演奏したらサッサと 終わらせて、みたいな部分は残念である。キセキではなくて、A君の実力として称賛すべきである。こういうところが残念というか、苦手なのである。
さらには、フィギュアスケーターの羽生結弦は「被災地のために」、レスリングの吉田沙保里は「亡くなった父のために」、元プロボクサーの具志堅用高は 「沖縄県民のために」。そう、24時間テレビでは「自分のために」「お金のために」「生活のために」は禁句であり、すべては人のため、でなきゃいけないの だ。ただし、羽生はそこに自らの戸惑いをきちんと声にしていたのは救いだった。自分のために滑る、でいいと思う。その姿に皆感動するのだから、壮大な使命 感を負わせるってのもねぇ。今後はどうか「自分のために」頑張っている人も取り上げてほしい。お仕着せのテレビ的なキセキや感動ではなく、日常を映し出してほしい。ま、今後も続くのなら、という話だが。
日本テレビ毎年恒例の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(8月30~31日放送)をこんなに真面目に観たのは初めてだ。もちろん24時間観たわけではない。途中チョイチョイ浮気して、うっかり面白かった番組もあるので触れておく。
『ワイドナショー』(フジテレビ系/31日)で、松本人志(ダウンタウン)や乙武洋匡の「チャリティーに対してモノ申す」は、戦略的であざとくてよかっ た。最近著名人の間で流行しているアイスバケツチャレンジや、裏番組の24時間テレビに対して「そこんとこ、どーよ?」と思っている人の溜飲を下げたよう な気もしている。乙武君でないと言えないこと、あるわな。
『となりの防災家族』(NHK/31日)は、猫好き・佐藤二朗好きにはたまらない内容だった。防災意識の低い佐藤一家と、備えと知識がある櫻井淳子一家の 「防災意識格差」を飼い猫からの目線でとらえる、というドラマ仕立ての啓発企画だ。一瞬、心がザワつくエンディング(あらぬ妄想を掻き立てる)でなかなか に面白かった。
で、本題ね。病気や障害をもった人、体を酷使してまでがんばる人を清く正しく美しく描きたがるシナリオが、正直苦手だ。彼らの本当の気持ちや生の声はあ まり取り上げられることがない。そこがなんだか「24時間テレビ的」で疑問を感じる。私たちはそのあたりを確か学んだはず。佐村河内守という人物から。今 回のテーマが「小さなキセキ、大きなキセキ」っつうことで、何が何でもキセキにつなげようとするところに無理もあった。
例えば、生まれつき目が見えない12歳のA君(個人情報に配慮し実名を伏せます)。耳で聴いた音をピアノで再現できる素晴らしい才能の持ち主だ。華原朋美と武道館でコラボする企画だったのだが、このA君、ものすごく明るくて常に笑顔で、おしゃべりが好きな、面白い男の子なのである。目が見えないからすごい、のではなく、そも そもすごいのである。VTRで華原がだいぶ直球な質問(障害のない人間の上から目線で)をぶつけるも、A君は「ハハハ~」と素直に笑い飛ばす。VTRは 「障害の説明」で、極めて24時間テレビ的編集。
武道館で演奏した後も「Bメロんとこ、間違えそうになったけどすぐに直してよかった~アハハハ~!」と朗らか。あ、この子、すごく素直で、観ていて気持ちがいいなと思ったのだった。もっとA君の声を聴きたかった。
ところが、司会者はA君のコメントを途中で遮り、さっさと次の企画へと誘導する。企画がめじろ押し&生中継で大変なのだろうけれど、演奏したらサッサと 終わらせて、みたいな部分は残念である。キセキではなくて、A君の実力として称賛すべきである。こういうところが残念というか、苦手なのである。
さらには、フィギュアスケーターの羽生結弦は「被災地のために」、レスリングの吉田沙保里は「亡くなった父のために」、元プロボクサーの具志堅用高は 「沖縄県民のために」。そう、24時間テレビでは「自分のために」「お金のために」「生活のために」は禁句であり、すべては人のため、でなきゃいけないの だ。ただし、羽生はそこに自らの戸惑いをきちんと声にしていたのは救いだった。自分のために滑る、でいいと思う。その姿に皆感動するのだから、壮大な使命 感を負わせるってのもねぇ。今後はどうか「自分のために」頑張っている人も取り上げてほしい。お仕着せのテレビ的なキセキや感動ではなく、日常を映し出してほしい。ま、今後も続くのなら、という話だが。
吉田潮/ライター・イラストレーター
ハッキリ言ってやろう。
このイベントはもはや意味はない。
こんな実態を見て皆さんはどう思うのか。
拝啓、高額ギャラのチャリティランナー様 24時間テレビ…こんな”感動”でいいのか?
テレビ局というところは、視聴者の声がなかなか届かないところなのだろうか。今年も夏の風物詩となった
「24時間テレビ・愛は地球を救う」(日本テレビ)にチャリティランナーが登場する。しかし、視聴者はそのうさんくささをとっくの昔に感じている。「アイ
ス・バケツ・チャレンジ」もそうだが、2014年の夏はもっと“チャリティ”について考えるべきではないかと思えてならない。
その記事によると、チャリティランナーは1000万円、総合司会は500万円という高額な報酬が支払われているという。確認しておくが、24時間テレビは「チャリティ番組」だ。
また24時間テレビの予算は総制作費4億2000万円で、CM収入合計が22億2750万円。そのうち出演者のギャラと制作費を除いて、赤字にならない範囲 で寄付に回すとも書かれていた。そうやって作られた番組が昨年は18.1%という高い平均視聴率をマークして、15億4523万円という寄付金を集めている。
そして、今年はTOKIOのリーダー、城島茂氏が番組の看板企画であるチャリティランナーに選ばれ、101kmマラソンに挑戦する。 チャリティランナーは毎年、テレビ局側が著名人の誰かを指名するかたちになっているが、なんだか“罰ゲーム”のようで筆者は好きではない。ちなみに城島は これまでいちばん長く走った距離が、中学1年時の校内マラソンで1.5km。一時は100kmで決まりかけたそうだが、本人の強い希望で101kmに決定 したという。
毎回、思うことだが、24時間テレビのチャリティランナーは仕事と報酬のミスマッチが起きている。チャリティ番組とはいえ、総合司会はプロとしての業務になるためギャラが必要になるのは納得できる部分があるが、走りのプロフェショナルではないタレントに“走る”ことで高額報酬が発生するのは、スポーツライターとしては違和感がある。ちなみにアメリカやフランスのチャリティ番組に出演するタレントは、世界的に有名なアーティスト も全員ノーギャラだ。
城島氏は20年以上も芸能活動をしてきたのに、わざわざ不得意なランニングでチャリティ番組に参加することはないと思 う。彼にしかできないことで、チャリティ活動をすることのほうが、100倍意義があるし、ファンにもその思いが伝わるはずだ。芸人なら芸で、歌手なら歌 で、一般人にはできないプロとしての“技”で、多くの視聴者に「チャリティ」の真心を伝えるべきだと思う。
チャリティの“貢献”とは何を意 味するのだろう。仕事における“価値”とはなんだろうか。ほかの人にはできないようなミッションを成功させるならば、そこに高額な報酬が発生するのは当然 だ。しかし、さほど難しくないミッションなら報酬は少なくなる。健康な40代が24時間で101kmを走る(歩く)ことは、それほど難易度の高いものではない。
東京マラソンを放映(2年に1回)している日本テレビの上層部は、いいかげん、走ることは“罰ゲーム”ではなくなっていることに気づ くべきだ。シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子が「24時間で100曲を熱唱します」と言って視聴者が喜ぶだろうか。40代のアイドルが24 時間で101km走ることは、これぐらい無為な企画だということを知ってほしい。
10月に20回目を迎える四万十川ウルトラマラソンは100kmの定員1650人に対し、4863人が申し込み、抽選となった。こちらは制限時間14時間で、参加費は1万8000円。参加費の一部が四万十川の清流保全のために寄付される。
24 時間マラソンで101kmに挑む城島はTOKIOのメンバーでは最年長の43歳。その年齢を心配するファンもいるようだが、市民ランナーの世界では40代前半はいちばん充実している時期でもある。100kmマラソン完走者のボリュームゾーンは40代だ。制限時間などを考えると、城島氏が取り組む101km というマラソン(ウォーク)は涙を誘うべきものではない。試験勉強をしてこなかった人が、直前に徹夜して頑張っているのを応援している構図に似ている。し かも、そのご褒美は高額ギャラだ。
チャリティ番組において、自分の意思で走るならギャラは不要だと思うし、反対に参加費(寄付金)を払うべきだろう。徹底したサポートつきで、ゴールには著名人が迎えてくれる出場枠「1」の超狭き門。エントリー費は高額にしてもいいと思ってしまう。
もし本気の 24時間マラソンを視聴者に届けたいなら、川内優輝(埼玉県庁)にオファーしてほしいと思う。川内は公務員規定で出演料を受け取ることができないわけだし、日本トップクラスのランナーが本気で走るとどうなるのか。そこにはただの(練習不足の)タレントが走る姿とは、まったく違う光景が見られるはずだから だ。
また、有名無名を問わず公募制にするのはどうだろう。「エントリー費」(個人の寄付金)と「24時間で走る目標距離」を宣言してもら い、「応募の理由」も発表。そのチャレンジに賛同した人が寄付をして、いちばん寄付金を集めた人にチャリティランナーとして番組に登場してもらうのだ。
有名人が多く参戦すれば、AKB総選挙のような盛り上がりが期待できるだろう。ギャラがかからないどころか、スタート前から多くの寄付金が集まり、視聴者が見たい人も登場させることができる。視聴率も自然と高くなり、さらに多くの寄付金を集めることができるはずだ。
もちろんコースは秘密にするのではなく、400mトラックや神宮外苑などの周回コースにして、多くの観衆が見守る中で走ってもらうのがいいだろう。その走りに感動した人がさらに寄付金を払ってくれるだろうし、たくさんの声援がランナーの力になるからだ。
24 時間テレビのチャリティマラソンは1992年にスタートして、過去22組のランナーが挑戦している。ゴールシーンの瞬間視聴率が40%近くまでハネ上がる ことを考えれば、番組作りとしては成功しているといえる。ところで、24時間テレビで集まった寄付金がなにに使われているのかご存じだろうか。「アイス・ バケツ・チャレンジ」もそうだが、目の前のパフォーマンスに流されて“中身”を確認しないで寄付を行うのは賢者の選択とはいえない。
世の中には寄付金を必要とする人や団体がたくさんある。でも、僕らのポケットの中には、限られたコインしかない。そのわずかなコインを世の中のためにどう使うのか。自分自身で“優先順位”を設けて、清く正しく、チャリティに参加していただきたいと思う。
■チャリティ番組のギャラが1000万円という現実
「24時間テレビ・愛は地球を救う」(以下、24時間テレビ)の出演者にギャラが発生しているのは有名な話で、昨夏には週刊誌『FLASH』が24時間テレビに出演するタレントのギャラを掲載した。その記事によると、チャリティランナーは1000万円、総合司会は500万円という高額な報酬が支払われているという。確認しておくが、24時間テレビは「チャリティ番組」だ。
また24時間テレビの予算は総制作費4億2000万円で、CM収入合計が22億2750万円。そのうち出演者のギャラと制作費を除いて、赤字にならない範囲 で寄付に回すとも書かれていた。そうやって作られた番組が昨年は18.1%という高い平均視聴率をマークして、15億4523万円という寄付金を集めている。
そして、今年はTOKIOのリーダー、城島茂氏が番組の看板企画であるチャリティランナーに選ばれ、101kmマラソンに挑戦する。 チャリティランナーは毎年、テレビ局側が著名人の誰かを指名するかたちになっているが、なんだか“罰ゲーム”のようで筆者は好きではない。ちなみに城島は これまでいちばん長く走った距離が、中学1年時の校内マラソンで1.5km。一時は100kmで決まりかけたそうだが、本人の強い希望で101kmに決定 したという。
毎回、思うことだが、24時間テレビのチャリティランナーは仕事と報酬のミスマッチが起きている。チャリティ番組とはいえ、総合司会はプロとしての業務になるためギャラが必要になるのは納得できる部分があるが、走りのプロフェショナルではないタレントに“走る”ことで高額報酬が発生するのは、スポーツライターとしては違和感がある。ちなみにアメリカやフランスのチャリティ番組に出演するタレントは、世界的に有名なアーティスト も全員ノーギャラだ。
城島氏は20年以上も芸能活動をしてきたのに、わざわざ不得意なランニングでチャリティ番組に参加することはないと思 う。彼にしかできないことで、チャリティ活動をすることのほうが、100倍意義があるし、ファンにもその思いが伝わるはずだ。芸人なら芸で、歌手なら歌 で、一般人にはできないプロとしての“技”で、多くの視聴者に「チャリティ」の真心を伝えるべきだと思う。
チャリティの“貢献”とは何を意 味するのだろう。仕事における“価値”とはなんだろうか。ほかの人にはできないようなミッションを成功させるならば、そこに高額な報酬が発生するのは当然 だ。しかし、さほど難しくないミッションなら報酬は少なくなる。健康な40代が24時間で101kmを走る(歩く)ことは、それほど難易度の高いものではない。
東京マラソンを放映(2年に1回)している日本テレビの上層部は、いいかげん、走ることは“罰ゲーム”ではなくなっていることに気づ くべきだ。シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子が「24時間で100曲を熱唱します」と言って視聴者が喜ぶだろうか。40代のアイドルが24 時間で101km走ることは、これぐらい無為な企画だということを知ってほしい。
■盛り上がる、100kmマラソン熱
近年のランニングブームもあり、100kmマラソンの人気は高まっている。たとえば、毎年6月に北海道で開催されるサロマ湖ウルトラマラソンは、100kmの部の3550人の定員に応募があった(先着順。制限時間13時間、参加料は1万7000円)。10月に20回目を迎える四万十川ウルトラマラソンは100kmの定員1650人に対し、4863人が申し込み、抽選となった。こちらは制限時間14時間で、参加費は1万8000円。参加費の一部が四万十川の清流保全のために寄付される。
24 時間マラソンで101kmに挑む城島はTOKIOのメンバーでは最年長の43歳。その年齢を心配するファンもいるようだが、市民ランナーの世界では40代前半はいちばん充実している時期でもある。100kmマラソン完走者のボリュームゾーンは40代だ。制限時間などを考えると、城島氏が取り組む101km というマラソン(ウォーク)は涙を誘うべきものではない。試験勉強をしてこなかった人が、直前に徹夜して頑張っているのを応援している構図に似ている。し かも、そのご褒美は高額ギャラだ。
チャリティ番組において、自分の意思で走るならギャラは不要だと思うし、反対に参加費(寄付金)を払うべきだろう。徹底したサポートつきで、ゴールには著名人が迎えてくれる出場枠「1」の超狭き門。エントリー費は高額にしてもいいと思ってしまう。
■どうせなら、本気の24時間マラソンが見たい
チャリティランナーに城島を起用したことについて、日本テレビの道坂忠久「総合」プロデューサーは「日本中が応援したくなる人。40代の代表として、元気と勇気を 与えてくれるのでは」と話している。TOKIOが今年、デビュー20周年というのも理由のひとつらしい。城島氏の人柄はすてきだと思うし、大役の人選とし ては悪くないが、視聴者の意見が反映されているとも思えない。それではどうしたらいいのか。絶対に盛り上がる方法を考えてみた。もし本気の 24時間マラソンを視聴者に届けたいなら、川内優輝(埼玉県庁)にオファーしてほしいと思う。川内は公務員規定で出演料を受け取ることができないわけだし、日本トップクラスのランナーが本気で走るとどうなるのか。そこにはただの(練習不足の)タレントが走る姿とは、まったく違う光景が見られるはずだから だ。
また、有名無名を問わず公募制にするのはどうだろう。「エントリー費」(個人の寄付金)と「24時間で走る目標距離」を宣言してもら い、「応募の理由」も発表。そのチャレンジに賛同した人が寄付をして、いちばん寄付金を集めた人にチャリティランナーとして番組に登場してもらうのだ。
有名人が多く参戦すれば、AKB総選挙のような盛り上がりが期待できるだろう。ギャラがかからないどころか、スタート前から多くの寄付金が集まり、視聴者が見たい人も登場させることができる。視聴率も自然と高くなり、さらに多くの寄付金を集めることができるはずだ。
もちろんコースは秘密にするのではなく、400mトラックや神宮外苑などの周回コースにして、多くの観衆が見守る中で走ってもらうのがいいだろう。その走りに感動した人がさらに寄付金を払ってくれるだろうし、たくさんの声援がランナーの力になるからだ。
24 時間テレビのチャリティマラソンは1992年にスタートして、過去22組のランナーが挑戦している。ゴールシーンの瞬間視聴率が40%近くまでハネ上がる ことを考えれば、番組作りとしては成功しているといえる。ところで、24時間テレビで集まった寄付金がなにに使われているのかご存じだろうか。「アイス・ バケツ・チャレンジ」もそうだが、目の前のパフォーマンスに流されて“中身”を確認しないで寄付を行うのは賢者の選択とはいえない。
世の中には寄付金を必要とする人や団体がたくさんある。でも、僕らのポケットの中には、限られたコインしかない。そのわずかなコインを世の中のためにどう使うのか。自分自身で“優先順位”を設けて、清く正しく、チャリティに参加していただきたいと思う。
東農大1年時に箱根駅伝10区出場。
現在はスポーツライターとして陸上競技・ランニングを中心に執筆中。有限責任事業組合ゴールデンシューズの代表、ランニングクラブ〈Love Run Girls〉のGMも務めている。
公式Twitter
日本テレビの無責任経営陣どもはこのコラムに完膚無きまでに完全論破されている。
今年1月から3月までは児童養護施設を侮辱する「明日、ママがいない」なるクズドラマを垂れ流す暴挙を犯したほか、今回の冒涜である。私は日本テレビをテレビ東京に吸収合併させて廃局すべきと何度も指摘してきたが、今回の暴挙もその論の正しさを強く確信させるだけであった。
そもそも、日本のテレビはあまりにも多すぎる。私はテレビ局を1局減らすだけでも脱原発に大きく近づくと考えている。テレビの中身はあまりにも薄いと言わざるを得ない。ワイドショーを見よ、芸能人のスキャンダルに私達は単に振り回されていて、暮らしに直結する政治についていつの間にか無関心になっているではないか。
そんなアホなテレビにもう、さようならを突き付ける必要がある。上から目線では人は救えない。共に考えてもがくことが大切なのだ。