実現可能か? 民族的ナショナリズムの克服へと歩みを進める日韓中
北東アジアは現在、地球上で最も高度に成長した地域となっている。ここには16億人の人口があり、つまり地球上の人口のほぼ4分の1が集中し、地球全体の
GDPの4分の1以上が生産されている。東アジアには現代世界の3大経済国のうち2つが存在している。それは中国と日本だ。だが高い経済成長レベルにもか
かわらず、東アジアは政治関係においては不安定な地域であり続けている。関係先鋭化に比較的大きな役割を演じてしまっているのが民族的ナショナリズムなの
だ。
東アジアにおけるナショナリズムは輸入製品である。日本人、中国人、韓国人がどんなに我々はナショナリストだと叫んだところで、この地域に現在のナショナ
リズムのイデアの元となる兆候が現れたのは19世紀の末、ヨーロッパの影響を受けてのことだった。ところがヨーロッパは2つの世界大戦の悲惨さを思い知
り、自国のナショナリズムは克服したのに反して、東アジアではこうしたことは生じなかった。イデオロギー的な動員の手段として、自分たちは他にはないほど
古い民族であること、またそのあまりにも古い発祥、周りを取り囲んだ敵の悪行を声高に語るという手法は、これら東アジア諸国では何もここ10年に始まった
ことではない。東アジア諸国は政治体制において他とは著しく異なりうるが、民族的ナショナリズムは彼らに共通する性格であり、多くの面でこれらの画一性を
形成している。
ナショナリズムは敵を必要とする。そしてこうした敵役には普通、すぐ隣にいる国が選ばれるものだ。歴史の経験が示すように、まさに隣国が様々な不快の元凶
となりうるケースは多々ある。多くの民族の記憶ではこの地域における悪の元凶の役割を与えられているのが日本であり、第2次大戦中の日本軍の犯罪がかな
り、この決め手になってしまっている。現在の日本の指導部が右派ナショナリズムにシフトしたこと、安倍自称内閣がナショナリズム的構想に明確な支持を表してい
ることが中国で、そして日本国内でも憂慮の念を招いている。過去の歴史に対して責任は負わないという姿勢が、あの過去は繰り返されるのだという証拠と受け
止められているのだ。
ここ数週間、東アジアの緊張は多少緩和されてきている。中国、日本、韓国は対立の度合いを引き下げる方向へと歩みを進めた。こうした状況が、3国の首脳会
談が成功するのではないかという期待を抱かせている。もちろんこの会談は、東アジアのナショナリズムの根の深い諸問題を解決するものにはならないだろう。
しかもナショナリズムは今、東アジアが抱える摩擦の唯一の原因ではない。ここで少なからぬ役割を演じているのは米中の競争関係であり、その他多くのファク
ターも存在しているからだ。
今回は衆議院選挙に関連して、ロシアの声というラジオより引用いたします。
皆さんは冷静にナショナリズムと向き合うべきなのです。