従古当路者古今一世之人物にあらざれば、衆賢之批評に当る者あらず。不計も拙老先年之行為に於て御議論数百言御指摘、実に慙愧に不堪ず、御深志忝存候。
行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候。各人へ御示御座候とも毛頭異存無之候。御差越之御草稿は拝受いたし度、御許容可被下候也。
二月六日
安芳
福沢先生拙、此程より所労平臥中、筆を採るに懶く[#「懶く」は底本では「瀬く」]、乱筆蒙御海容度候。
昔から、その時代において国家を担い歴史を代表する人物でなければ、多くの智恵あり知識ある人々から批判されるということもありません。
思いもかけず、私のかつての行為に関して、議論をしてくださり、数多くの言葉で御指摘してくださり、本当に慚愧に堪えません。
深い御志、かたじけなく思っております。
私のしてきたことの責任や理由は私に存在しています。
それに対して批判したり誉めたりすることは、私ではなく、他人がすることです。
他人の批判や称賛については、私は関係し関与するところではないと思っております。
他の人々にこの文章を公表なさっても、全く異存はございません。
お送りくださった原稿はいただきたいと思っておりますので、このまま受け取ったままでいることをお許しください。
二月六日 勝海舟
これは、福沢諭吉の「痩我慢の説」で批判された一人、勝海舟の返信である。
その中の一節に「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」がある。この訳を下記のブログがしてくれた。
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20111201/1322665564
勝にとっては福沢の批判をなんとも思っていなかった。
私自身、障がい者問題で現在のあり方を厳しく批判しているため、かなりの反感を持たれているのだが、それはどうでも構わない。そこではっきり言えることは、生活者としての観点でどう解釈するかの違いで私はどうこう言うつもりはない。
私の持つ障がいと、他の人の持つ障がいは一致するものではないからだ。違うからこそ、折り合えることを模索することも必要だろうと思う。