2013年10月18日金曜日

地方百貨店を考える 千葉・扇屋の場合



 今回久々に地方百貨店として取り上げるのはイオンリテールとなったが、かつての千葉・扇屋である。
 歴史書きにするのではつまらないので、コラム形式で書いた。

地域産業を忘れたイオン(小野哲)
テーマ:ブログ
2010-03-28 08:21:31

 昔、扇屋という百貨店があった。
 この百貨店は時代の変化に対応するべく、当時盛んだったジャスコと合弁で量販店・新扇屋チェーン(扇屋本体が運営していた扇屋チェーンを引き継いだ)を立ち上げた。この企業は後の扇屋ジャスコになる。そして、扇屋はジャスコ本体に吸収合併された。
  そして、ジャスコは地方百貨店の流れを汲む信州ジャスコや扇屋ジャスコなどと合併し、イオンに社名変更した。だが、ジャスコの店内を見ると何か物足りない のだ。非日常的な店舗を追求しつつも、地域密着を基礎としていた地方百貨店と何かが違う。そう、効率を優先した結果なのだと言わざるを得ない。
  そうした発想では、地域の象徴としての店舗は顧みることなくあっさり切り捨てられる。扇屋本店(千葉市)は閉店され、今はきぼーるという名前の複合施設に なっている。合併時に3店舗あった扇屋は他に柏店が閉店されて新星堂になっているほか、松戸店は大塚家具(イオンと一時期提携していた)に改装され今では 駐車場になっている。
 地方都市ではこうした地方百貨店が栄えていたが、ジャスコやダイエー、マイカルなどの出店で閉鎖され、そのジャスコなども 大型商業施設になってつぶれていく。これでは、「丸井さん」で親しまれてきた北海道の老舗百貨店・丸井今井も閉店される。我が盟友のすむ浜松でも、伊勢丹 と提携していた老舗の松菱が放漫経営で倒産した。その浜松にあった新興百貨店・マルサをジャスコは買収して静岡県の拠点にした。だから我が盟友にマルサの 話をしたら我が盟友はビックリして戸惑っていた。逆に言ってしまえば、地場産業としての百貨店の意味をジャスコは考えていなかったのだ。だから、水戸市に あった系列の百貨店・ボンベルタ伊勢甚もあっさり閉鎖する。地域の象徴と言うべき存在をあっさり投げ捨てるとはもったいない。この前述べたような田畑百貨 店のような事態はまだまだあるのだ。
 そして大手百貨店は相変わらずブランドにおぼれているのだが、経営はこのままでは行き詰まる。顧客層が全く 違うのだ。丸井が若者向けに強くまだ生き延びる余地があるのに対して、大手百貨店は中高年やセレブを対象にしている。これでは話にならない。若い人はブラ ンド品を買うにしてもきっちり吟味しているし、私みたいに安く買うよう工夫を重ねているのだ。
 非日常的な品ぞろえと地域密着をいかに両立させる かが、流通業の繁栄のキーポイントである。安さにこだわって地場産業としての流通業を忘れたイオンがたどるのはダイエーと同じ衰退である。まあ、イオンは 食品専門ストアを出して生き残りを模索しているが、いずれにせよ緩慢な衰退に陥っている事は確かだ。


稼ぐことも大事だけど人として大切なこともある(小野哲)
テーマ:ブログ
2010-03-29 08:04:50

新奨学生20人に通知書 安田教育振興会が交付式
千葉日報 2007年05月29日10時58分

 安田教育振興会(安田敬一理事長)はこのほど、千葉市中央区の市文化交流プラザで奨学生決定通知書交付式を行い、新奨学生に選ばれた県内の高校二年生二十人に通知書と記念品を贈った。
  安田理事長の父で旧扇屋百貨店(ジャスコと合併、現在はイオン)の創業者、故安田栄司氏は一九六一年、個人的に扇屋奨学金制度を創設、十年間で県内高校生 約五百人を援助した。安田理事長がその遺志を継承し七九年、財団法人として同振興会を発足させ、奨学金制度を再スタート、今年で二十九回目となる。
 今年は二十人の定員に対し、学校推薦を受けた四十一人が応募。書類選考で二十人を選んだ。最大で高校卒業までの二年間、奨学金として月額一万円を援助する。
(C)千葉日報社

 今回、扇屋について取り上げた際におもしろい記事があったため採用させていただいた。
  安田理事長は扇屋で1976年まで社長を務めていた。そして退任後はこの振興会に専念されているそうだ。私は思うのだが、金稼ぎばかりが優先されているの がこの現代の日本ではないかと思う。たとえば、家電製品。10年前と比べて耐用年数は短くなったという印象が強い。自動車なんかも、耐用年数が短くなっ た。それらによって、大きな損失を受けたのがJR東日本である。
 209系という、車両を京浜東北線に投入した際に「コスト半分・寿命半分」とい うコンセプトで車両の耐久性を軽視し、コスト削減ばかりに走った。その結果、車両の安全面で大きな損失をことごとく喰らい、車両はまたしても新車両に置き 換えられる始末である(ちなみに209系は他の地域に修繕された上転用された)。
 金稼ぎは否定しない、だがそれが全てであるかのような風潮には 賛同できない。売り上げのわずかな金額を社会貢献に充てることも、目には見えないにせよ大きな営業成果につながる。また、派遣請負の従業員を直接正社員採 用して、サービス残業や残業を減らせば過労死はなくなるし、雇用にもつながる。
 小さなことでもいいから、社会貢献を私達は考えていく必要がある。民主党に「あれが欲しい、これも欲しい」と言うだけでは前には進めないのだ。

 扇屋と聞いて、30代の千葉県の住人たちは「扇屋ジャスコ」としてなら覚えていると思う。
  しかし、この百貨店はそれ以前にもあった。1933年創業の「扇屋モスリン店」を前身、千葉市を基盤とする総合衣料店として発展、1959年に扇屋百貨店 を運営する扇屋本店を開設、その後松坂屋との提携やチェーンストア経営にも着手、1976年にジャスコとの合併を果たした。扇屋の創業者だった安田をわさ んは晩年までイオンマリンピア店にて接客していたと言う(2010年08月9日に100歳にて逝去)。 地方百貨店の歴史を見ることは、大手流通業の拡大の歴史を読み解くことにもなる。
 私たちは熟慮すべき時代にある。「大きいことは果たしていいことなのか」を問いかけなおすべきだろう。