2018年8月12日日曜日

人を感情で死刑にしたつけは必ず倍返しになる

 最初に警告だ。
 翁長雄司・沖縄県知事の死去を悼む。しかし、ネットで迷惑行為を繰り返すレイシスト共は彼の逝去を不当に誹謗中傷し、自称宜野湾市長を持ち上げる暴言を繰り返している。
 こういった犯罪行為を絶対に見逃すことはないと警告する。既に卑怯なヘイトスピーチを繰り返している悪質なTwitterのヘイトアカウントが次々と凍結されていることを頭に踏まえ、現実から逃げないことを強く求めたい。

 今回のコラムは、松本智津夫氏らオウム真理教の死刑囚13人大量虐殺についての私の意見をここに示す。
 あのオウム事件で、取り返しのつかないテロ事件を引き起こしたオウム真理教を私は許す気はない。ましてや、麻原彰晃という名前を使われた時点で、松本氏には重大な責任がある。
 だが、松本氏を死刑にする根拠は国際法によって皆無である。そもそも、刑法の原則でも、この様になっている。

1.まず、訴訟が提起された時点では、被告人に刑事責任能力がなければならない。実行行為時に心神喪失の状態にあった者は、責任能力が認められず、刑が減免される(刑法39条1項)
2.また、心神耗弱の場合は、刑が減刑される(同条2項)。この責任能力については、裁判官(裁判員含む)が能力の有無を判断するのであって、精神科医の専門的知識は補充的なものとされている。
3.死刑執行が停止される例外的な規定として、「心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によって執行を停止する」ことが定められている(同法479条1項)。死刑執行時に心神喪失状態であれば、執行は停止されなければならない。この執行停止が求められる理由は、受刑能力を喪失しているためと考えられる。犯罪の実行行為時の能力だけでなく、刑の目的を達するためには受刑能力が必要となる。
引用元:https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/sectiion3/2015/01/post-269.html

 よって、この観点から松本氏への死刑執行は完全に刑法違反である事は論をまたない。
 なぜなら、松本氏のご令嬢の前で明らかな精神疾患の症状を露呈していた。その事を踏まえ、二人の精神科医は松本氏への治療を急ぐよう検察に求めていたという。また、検察は様々な情報操作を行っていた事も明らかにされている。
 そもそも、松本氏は視力障害当事者だった。その原因には水俣病の遺伝にあった事は明らかだ。松本氏は左目が殆ど見えず、右目の視力は1.0程度だったと言われている。それで水俣病患者の申請を行った模様なのだが却下されていたことが長兄の証言で明らかになった。そんな彼がどうして視力が見えると言えるのか。裁判ではそういったことが無視された。小学時代、地元の小学校に通っていたのに貧困を理由に盲学校に転校させられたことが、松本氏をモンスターにしてしまったのだと言わざるを得ない。
 更にオウム問題を複雑化させたものがある。「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」(松本麗華著)によると、DV被害者、被虐待児、精神疾患、発達障害、パーソナリティー障害など、社会で生きることがつらい人たちが少なからずオウムにはいたという。
 こういった困った人達を受け入れる受け皿がオウムしかなかった事に、私は深刻な問題意識を感じる。

 瀧本太郎氏は松本氏以外の死刑執行を批判していた。
 それはそれでいいのだが、私が危惧するのは松本氏への憎悪、癒せないまでのトラウマをカバーできる存在の不在だ。瀧本氏は松本氏への死刑執行を立ち会いたいとかと言っていたが、そういうのなら国際法を見てから言うべき問題だ。瀧本氏が松本氏の長男と称するツイッターアカウントに慌てふためいたのはその象徴だ。ぜひ、支援をお願いしたい。
 その点でもっとおそまつなのは江川紹子氏である。彼女は松本氏への憎悪ばかりをむき出しにして暴走し続けた。これらの行為は、オウム真理教の教訓を得る上で取り返しのつかない重大な失敗を招く。テレビで感情的暴言を繰り返してことごとく映画評論家の町山智浩氏に完膚なきまでに論破されて大慌てしていたが、仲間だけを集めて井の中の蛙のような議論をしてきた結果に過ぎない。有田芳生参議院議員(立憲民主党、統一協会キラーで有名)は松本氏の死刑に安倍独裁政権の情報操作と支持集めの狙いがあると厳しく指摘していたが、そのことを受け入れないようでは独善的と断罪せざるを得ない。一体、有田氏と江川氏はどうしてここまで判断力に差がついたのか、理解に苦しむ。
 また、左翼と言われる人たちの中にも問題がある。事実から目をそらし続ける『同志社大学教授』・浅野健一氏である。この人物については悪質故にこのブログで名指しで断罪したが、暴走に暴走を重ねた結果、犯罪被害者不在の報道で、間違った方向性を押し付けたことは明らかだ。
 死刑執行された他の幹部たちの問題点がある。なぜ、オウム真理教に取り込まれていったのかだ。江川氏はきっとその問いに死ぬまで答えられまい。なぜなら、松本氏への憎悪ばかりにとらわれて、本質を見抜けないからだ。
 私達は江川氏達にこの事件を語らせてはいけない。私達が事実を一つ一つ精査し、死刑が正しかったのかも含めて議論しない限り、オウムを生み出したのは何かを考えない限り、第二のオウム真理教は必ず出てくる。
 感情で人を死刑にしたつけは、必ず倍返しになって社会に戻ってくる。そうなる前に私達が厳しい姿勢で歯止めをかけるべきだ。

 私は個人的にオウム真理教事件の本質は神輿型犯罪であると考える。
 つまり、松本氏を神輿の上に担いで部下たちが暴走したわけだ。だから責任は曖昧になってしまう。この本質を見抜けない段階で、江川氏は終わっている。そして、江川氏には重大な責任が残った。
 オウム真理教関係者との対話を通じて、カルトからの脱却を行う作業だ。それなくして彼女の発言には説得力はない。それを無視するのなら、数年後にアンチレイシズムを嘲笑する極左の鹿砦社にすり寄る浅野氏の後を追うことになるのは確実だろう。いわゆるビジネス右翼と指摘される千葉麗子容疑者、つるの剛士容疑者、ケント・ギルバード容疑者のように、ヘイトを商売にして生き残る匪賊の左翼版である。
 極右と極左はある意味本質的には同類である。極右とはすなわちレイシズム・ネトウヨであり、彼らは極左を攻撃するがそれは彼らが同類そのものであることを自ら証明しているのだ。