2013年8月1日より、日々格闘記はGoogleという新たな世界に打って出ます。なお、熊本大震災・東日本大震災・鳥取大震災の被災者の方々にお見舞いの言葉を、亡くなられた方々には冥福を祈ります。拙ブログは社会的マイノリティとともに歩むブログです。よってレイシズム(極右・極左)及び優生学及びエコテロリズムなどの反人道的な行為や思想を許しません。
2013年10月17日木曜日
地方百貨店を考える 仙台・ダックシティの場合
2011年11月03日
ダックシティについては検索した結果、建物だけしかなかった。
そこで、国会図書館や某都市の中央図書館で調べた結果のロゴマークをここに示す。今回はダックシティのみを取り上げるが、前身の百貨店のロゴマークはインターネットにある。
Wikipedia日本語版だけではなく、様々な資料を集めた結果、やはり机上の空論はお粗末であると分かる。
1855年 「山田呉服店」を福島に創業。
1904年 丸光創業者の佐々木光男が福島県の平地域にて生まれる。
1928年 山田呉服店を山田英二が祖父から継承する。商売の三宝(顧客・問屋・従業員)を大切にする経営を始める。
1932年 佐々木光男(実家は家具屋「丸ほん」)が仙台に家具屋「丸ほん」を10月創業。注文調度家具の製造販売に乗り出す。
1934年 丸ほんを仙台・東一番丁に移転。合名会社丸ほん家具店と改組。モデルルームを使った営業が当たる。
1943年 丸ほんは戦争に伴う合同、軍需工場化。
1945年 7月8日に佐々木光男は丸ほんを売却。7月10日の仙台空襲の被害を免れる。
1946年6月1日 佐々木光男が創業した丸光合名会社が仙台駅前の仙台空襲の焼け跡に建てた平屋バラック建の雑貨店に、『MARUMITU DEPT.STORE』の文字を掲げて営業開始。全商品5%引きの札をつけ、主婦の店を前面に出し、デパートとなる。店売りよりも、外商部門の活躍で、順調に伸びる。
1948年6月 丸光へと改組。
1949年 安政年間に創立した「武田呉服店」を「株式会社カネ長武田」に改組。
1949年12月 丸光、戦後の東北地方で最初の屋上広告を掲げた。156坪、2階建ての新店舗が完成。
1950年 長岡市にイチムラを創業。
1953年10月 丸光、青葉通りに面して鉄筋コンクリート地下1階、地上3階建てのビルが完成し、デパートとしての営業を開始。
1954年 4月、イチムラを移転して法人設立。
1955年 石巻市の橋通りに丸光を開店、その後旧北上川川岸の中央二丁目に移転して営業。山田呉服店を山田百貨店に株式会社化する。
1956年5月5日 丸光、仙台に55メートルの展望台を持つデパート建設中、火災に遭遇。店内は火に包まれるも死者はなし。
1957年10月 丸光、増築が完成し、4,000坪の新店舗で営業再開。丸光食品センターを創設する。
1958年 7月、丸光食品センターを東光に改組。
1961年 カネ長武田、百貨店営業登録。
1963年 6月、イチムラが百貨店法に基づく百貨店営業登録を完了。東光をトーコーに屋号変更。
1963年10月23日 丸光、新たな増改築が完成しオープン。
1967年 カネ長武田青森店を改築。青森店はその後、1977年郊外にサンロード青森が開店するのに対抗し、増床を行っている。同年代に出来た八戸店は閉店。
1967年 丸光創業者・佐々木光男が逝去。
1968年 「丸光八戸店」開店。
1969年 5月、イチムラが系列の「いちむら商事」を合併。
1970年 11月、イチムラ新潟店開店。
1971年頃 カネ長武田、弘前市・黒石市に出店。黒石店はタケダストア黒石店を経てニチイ黒石店となるが、1990年代後期に閉店となった。
1972年4月 イチムラの資本金を2億5000万円にする。
1972年11月 仙台丸光の増床改築が完成。現在の形に近い建物となる。
1973年10月 福島駅前へ中合とともに「山田百貨店」は移転。
1978年3月 株式会社百貨店連合設立(本社東京都中央区、資本金2億円)。丸光、青森・カネ長武田百貨店、長岡・イチムラ、川崎・小美屋、福島・山田百貨店の4社とともにニチイ(現:マイカル)の支援を受ける。高島屋ハイランドグループに加盟。
1978年4月 株式会社武田百貨店、株式会社丸光、株式会社山田百貨店、株式会社イチムラ、株式会社小美屋の5社と業務委託契約を締結(仕入代金の支払代行業務開始)。
1981年11月 神奈川県厚木市にダックシティ厚木百貨店をオープン
1982年9月 提携5社と百貨店連合が合併。
1985年3月 社名を「株式会社ダックシティ」に変更。順次店名を『ダックシティ』(DAC CITY 丸光・山田・小美屋・イチムラ・カネ長武田)に変更。
1985年3月 福島店、「ダックシティ山田」に改称。
1986年 青森店、店名を「ダックシティカネ長武田」と改める。
1990年9月 株式会社ニチイ(マイカルを経てイオンリテール)のビブレ事業本部と業務提携を開始。八戸店、ダックシティ丸光から「八戸ビブレ」へ改称。
1991年 仙台店、ダックシティ丸光から店名を『仙台ビブレ』に変更。店名から“丸光”の二文字が消える。
1992年2月 厚木店を株式会社ニチイに営業譲渡。
1993年3月 福島店を「福島ビブレ」と改称。青森店も「青森ビブレ」に改称。
1993年10月 土手町にあった旧弘前店を閉店し、国道7号弘前バイパス近くの弘前市城東北に「弘前ビブレ」を移設オープン。旧店舗はその後しばらくそのままだったが、現在は取り壊され駐車場ビルに生まれ変わった。
1994年4月 株式会社ニチイより営業譲渡を受け、「山形ビブレ」をリニューアルオープン。
1995年 ダックシティ丸光気仙沼店から気仙沼ビブレに転換
1996年3月 旧石巻店を閉店し、石巻市本穀町に「石巻ビブレ」を移設オープン。
1998年2月 社名を「株式会社ダックビブレ」に変更。
1998年3月 福島駅前にあった旧福島店を閉店し、福島市曽根田駅前に「福島ビブレ」を移設オープン。1998年度には石巻ビブレの売上高が石巻丸光時代から含めて過去最高の約89億円を記録。
1999年3月 小樽市「マイカル小樽」内に「小樽ビブレ」を新店オープン。
2000年1月 山形ビブレを閉店。
2000年3月 岩手県北上市本通りに「北上ビブレ」を新店オープン。
2001年2月 小樽ビブレを株式会社マイカルに営業譲渡。
2001年9月 東京地方裁判所へ民事再生法適用申請。
2002年1月 気仙沼ビブレを閉店。その後気仙沼ビブレの元従業員たちを中心として「イコーレ気仙沼」として2002年5月再オープンするも、業績不振から2007年5月閉店。
2002年5月 東京地方裁判所より再生計画認可。日本政策投資銀行から出資を受ける。
2002年9月 社名を「株式会社さくら野百貨店」に変更、青森・弘前・八戸・北上・仙台・石巻・福島の各店を一時休業しながら10月、「さくら野百貨店」としてリニューアルオープン。
2003年12月 株式会社高島屋と『技術援助に関する基本合意書』を締結し業務支援を受け、「ハイランド・グループ」に加盟。
2005年3月 福島店を閉鎖。跡地はダイユーエイトが入居。
2005年4月 株式会社さくら野百貨店(現・株式会社エマルシェ)、さくら野東北株式会社(現・株式会社さくら野百貨店)、さくら野DEPT仙台株式会社(現・さくら野DEPT仙台合同会社)に会社分割。
2005年6月 東京地方裁判所より民事再生手続終結決定。
2008年4月27日 石巻店を営業終了。跡地は石巻市役所となる。
2008年5月 クレジットカード発行元をこれまでのポケットカードから高島屋と同じクレディセゾンに変更。「さくら野セゾンカード」発行開始。
2010年8月 さくら野百貨店の社名を「株式会社エマルシェ」に変更。同時にさくら野東北をさくら野百貨店に社名変更。
地方百貨店をどんどん自分達でも語ろうではないか。
今まで強者ばかりが語ってきたが、発言権はインターネットではフラットだ。ただ、それだけ自己責任が問われるが、民主主義の成長には不可欠な事である。また、このコラムは「新生活日記」で調べた結果に情報をさらに付け加えた内容である。