2013年8月1日より、日々格闘記はGoogleという新たな世界に打って出ます。なお、熊本大震災・東日本大震災・鳥取大震災の被災者の方々にお見舞いの言葉を、亡くなられた方々には冥福を祈ります。拙ブログは社会的マイノリティとともに歩むブログです。よってレイシズム(極右・極左)及び優生学及びエコテロリズムなどの反人道的な行為や思想を許しません。
2013年10月22日火曜日
地方百貨店を考える~長崎・岡政の場合~
今回は現在博多大丸長崎店になっているかつての「岡政」を取り上げる。
この項目ではWikipedia日本語版ではなかった。また、昔のロゴ マークはあったが、長崎大丸に屋号を変更する直前のロゴマークがなかったので、今回は長崎新聞を調べた。そのなかでユニードのロゴマークを得た。ちなみに 昔のロゴマークはホーロー看板と岡政、長崎でGoogleで検索してみれば出てくる。
長崎市には伊勢丹系列の岩田屋と提携している浜屋、高島屋系列の長崎玉屋がある。激しい競争の果てに岡政は大丸に救済された。だが、店舗の狭さもあり、今後どうなるかはわからない。生き残りを優先させても、次の世代にどう進化させて引き継がれるのかが問題なのだ。
また、長崎にとっての岡政は、大丸にとってみればone of them、ほんの一部の歴史にすぎない。
1854年 貿易商の岡部徳太郎によって長崎市古町に唐物を扱う異国交易商「徳島屋」として創業。
1873年 岡政の向かいの地である現在の浜せんハヤシダの場所に、岡部徳太郎の妹婿、野瀬治兵衛が「岡部呉服店」を興した。治兵衛の子、忠太郎の代になると、市民の間では岡政呉服店は通称「岡政(西角)」、岡部呉服店は「岡忠(東角)」と呼ばれていた。
1894年 徳太郎の子、政太郎の代のとき長崎市東濱町本通り角地に移転し呉服や太物を扱う小売呉服部を始める。
1903年 東浜町(現:浜町)に進出して「岡政呉服店」に改称。
1920年 現在の仲見世八番街の場所に洋品雑貨部を開設。
1925年 食料品部を開設。
1931年 斜め角にあった岡部呉服店に家具部を設け拡大。
1934年 2月11日、政太郎の婿養子、伊藤實はかねてからの構想としての近代的百貨店経営を実現すべくそれまでの建物を壊して、木造3階、一部4階建 てを新築し、長崎で最初のエレベーターを設置。岡政の各部門及び岡部呉服店を吸収統合して、5月22日に長崎最初の百貨店「株式会社岡政」を設立し「岡政 百貨店」(資本金50万円)を開店する。同年3月25日から5月23日に行われる国際産業観光博覧会を前に、当時の市長、草間秀雄からの強い要請を受けて のことであった。当初、政太郎は自分が建てた呉服店の店舗を取壊すことと、デパートという未知の存在に対しての不安から反対していたが、實の説得の末に承 知する。
1937年 12月、横浜正金銀行上海支店4階に上海出張所を開設し、翌年7月には上海市北四川路に店舗を設置して終戦時まで営業を続ける。敗戦後占領軍の要請で浜屋(後に岩田屋と資本提携)などと共に、衣料品と引き換えに食品を主とした物品の交換コーナーを開設。
1952年 岡政友の会の前身「ちぐさ会」を結成。
1954年 当時、鉄筋コンクリート6階建て、一部9階建て長崎最長のビルとなる。
1959年 伊藤實が死去、息子の弘が社長に就任。
1960年 第二期増築工事では、北側に地下1階、地上8階の建物を増設。
1962年 7月、当時の大丸の社長、北沢敬二郎に資本提携と人材強化を申し入れる。
1969年 3月、大丸と提携、大丸が80%出資。高知大丸を成功させた小山茂三郎が大丸から出向して岡政社長に就任し、弘は会長となる。だが長崎玉屋、岩田屋・伊勢丹と提携している浜屋との競争激化や1982年の長崎大水害での損害で経営不振に陥る。
1987年 11月6日、大丸本社が岡政を従来の統合型百貨店から呉服、和装、家具、子供玩具などの取り扱いをやめてファッション中心の専門型百貨店「長 崎大丸」として再生させることを内外に発表し、同年11月20日、岡政100%出資の子会社・株式会社長崎大丸を設置。
1988年 大丸の子会 社に。食品売場と1階が冠水し多額の損害が出たことなどから経営は苦しくなっていた。そのため、昭和62年翌年、7月31日17時30分、岡政としての営 業を閉じて営業権の全てを大丸に譲渡し、8月31日に株式会社岡政は解散。9月1日からは長崎大丸として再出発した。
2003年 博多大丸に吸収。
2011 1月24日、長崎店の閉店を発表し、7月31日をもって営業を終了。
なお、Wikipedia日本語版では大丸しかのっていなかったので、岡政、長崎市で検索をかけたら、長崎商工会議所のホームページがあった。そこで創業という言葉をかけあわせた結果、今回の結果になった。
これでみなさん、分かるだろうと思う。一つだけの答えを全てと思わないで欲しい。