2013年10月18日金曜日

地方百貨店を考える 五所川原市・丸友の場合



 昨日国会図書館に行っていたはある場所に用事があるついでに時間つぶしも兼ねてである。
 地方百貨店を考えるシリーズで一度も手をつけていない箇所がある。五所川原市の丸友百貨店である。

1953年 3月、三国谷勝蔵(後の西北労働基準協会会長)・勝四郎ら三国谷一族により株式会社丸友商事設立。12月に丸友デパートを開店。
1970年代 会社の資本金は1億円、取引先に市田など。
1990年代 郊外店が青森県に多く進出する中、エルムの森計画が持ち上がる。当初、地元の大手百貨店中三が出店予定だったが辞退し、アスカ飛島(イトーヨーカドー傘下の百貨店、合資会社、1875年創業)が出店。
1991年 この頃から業績不振に陥り、年間33億円前後の売り上げが達成できなくなる。
1992年 8月決算期の売上高は25億8000万円。
1993年 8月決算期で18億6000万円、負債総額が27億9000万円となり、資金繰りで苦しむ。
1994年 1月20日、経営不振により一時閉店、従業員83人を解雇。2月15日再開店。
1995年 4月15日、全従業員27人とパート20人を解雇して百貨店を事実上廃業。

 今回はロゴまで入手する事はできなかった。
 だが、ここまで分かった事は上出来だ。跡地は立佞武多の館に建替えられているがこの種の話は今の日本中にわんさかとある。五所川原市の皆さんでもし、丸友のロゴマークの写った新聞や写真などがあればブログなどに掲載願いたい。