2013年10月29日火曜日

崩れた金融ビックバン あいおいニッセイ同和損害保険の場合

2012年05月13日

 






千代田火災海上保険
1913年 - 門野幾之進ら千代田生命保険関係者の手により、千代田火災保険が設立。
1944年 - 大倉財閥系の大倉火災海上保険が、富国火災海上保険(旧小樽貨物火災保険)と合併。
1945年 - 千代田火災保険が、大倉火災海上保険と合併し、大倉千代田火災海上保険となる。
1946年 - 千代田火災海上保険に改称。
1959年 - 千代田生命とともに東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)、トーメン(現・豊田通商)と提携。
以降、この4社に中央信託銀行(現・三井住友信託銀行)、トヨタ自動車などが加わった企業グループ「さつき会」の中核企業となり、特にトヨタとの関係は年々緊密化する。1996年の恵比寿移転後、トヨタ資本が強まっていた。



大東京火災海上保険
1918年 - 東京動産火災保険が設立。
1918年 - 東神火災保険が設立。
1944年 - 東京動産火災保険が、東神火災保険を合併し、大東京火災保険に改称。
1949年 - 大東京火災海上保険に改称。
あいおい損害保険
2001年 - 大東京火災海上保険と千代田火災海上保険が合併し、あいおい損害保険に改称。
2010年4月1日 - 株式交換によりニッセイ同和損害保険と共に三井住友海上グループホールディングスの完全子会社となり、三井住友海上グループホールディングスは同日付でMS&ADインシュアランスグループホールディングスに商号変更。
2010年10月1日 - あいおい損害保険がニッセイ同和損害保険株式会社と合併し、あいおいニッセイ同和損害保険株式会社に商号変更。保険商品ブランドを「TOUGH」(タフ)及び「TOUGHBiz」(タフビズ)に統一。


ニッセイ同和損害保険
1897年11月 横浜海上火災が創業。
1906年「共同火災海上」設立
1907年 岡崎財閥創設者・岡崎藤吉により神戸海上運送火災保険が設立され「神戸海上火災」に社名変更
1918年「朝日海上火災」設立
1944年 戦時経済・金融統制のもとに、企業統合・再編が進められ、横浜火災海上保険、共同火災海上保険、神戸海上火災保険、朝日海上火災保険(現存する野村系の朝日火災海上保険とは無関係)が新設合併して同和火災海上保険が設立される。社長は岡崎真一。合併時は、東京海上火災保険についで業界2位の地位を占めていた。
戦後、自動車保険事業への先見性がなく、モータリゼーション到来以降、業界12位へ転落する。
1996年 生命保険事業に乗り入れ、子会社として同和生命保険を設立。
1996年 日本生命が損害保険事業に乗り入れ、子会社としてニッセイ損害保険を設立。
2001年4月 同和火災海上保険とニッセイ損害保険が合併してニッセイ同和損害保険となり、ニッセイアセットマネジメント株式会社、ニッセイ情報テクノロジー株式会社と共にニッセイグループの中核会社となる(1996年に設立した同和生命保険は会社を清算し、保有契約は日本生命へ包括移転)。日本生命は筆頭株主となっているが(合併前の同和火災海上保険は日本生命が筆頭株主)、持株比率は50%未満であり、同社の子会社ではない。これに対して、他の2社は日本生命の子会社(持株比率が50%超)である。
2010年4月1日 - 株式交換により、あいおい損害保険と共に三井住友海上グループホールディングスの完全子会社となり、三井住友海上グループホールディングスは同日付でMS&ADインシュアランスグループホールディングスに商号変更。



 今回、新たに加えたのはあいおいニッセイ同和損害保険である。
 この損害保険会社は様々な会社の経営統合で生まれた。恐らく、三井住友海上と合併するのであろう。だが、このやり方ではいつか破綻する。大きくしただけ小回りが効かなくなってしまうからだ。
 今こそ、公共財の生協化を推し進める必要がある。