2014年8月26日火曜日

逆ギレ経営者 濱田益嗣ら

 書人両断の餌食にすべきは赤福の自称経営者である。
 この男はとんでもないレイシズム暴言をやらかし、挙句の果てには企業の私物化も画策した。絶対に許すわけにはいかない。







濱田被告




濱田勝子自称社長


<赤福前社長>「おかげ横丁に外人は来てほしくない」

毎日新聞 2013年11月27日(水)8時30分配信

 20年に1度の式年遷宮でにぎわう三重県伊勢市の伊勢神宮内宮(ないくう)門前にある商店街「おかげ横丁」について、 地元の老舗和菓子製造販売「赤福」の前社長、濱田益嗣(ますたね)氏(76)が26日、 津市であったフォーラムの対談で「おかげ横丁には外人は来てほしくない」などと発言した。
 伊勢市は今年の神宮参拝者を1300万人と予測し、外国人誘客にも取り組んでいる。フォーラムは同県などが主催。地域活性化をテーマに、経営者ら約350人が集まった。 この中の対談で、おかげ横丁建設の経緯などについて聞かれた濱田氏は「外人は来てほしくない。いたらおかしいでしょ。来ないでくれとは言えないが、英語の表記をするような気遣いはしない」と話した。
内宮、外宮(げくう)では今年10月、式年遷宮のクライマックス「遷御(せんぎょ)の儀」が行われ、 参拝者が過去最高の1000万人を突破している。 市は外国人観光客をもてなすため、飲食店や土産物店の経営者向けに英会話の研修会を開くなどしている。
 濱田氏は毎日新聞の取材に、社長を務める関連会社を通じて「伊勢は日本人の心のふるさとで、日本の方々に喜んでもらう街をつくりたいという意味の発言だった。 外国人への偏見ではない」とコメントした。

【ことば】おかげ横丁 濱田益嗣氏が発案、赤福が140億円を投じて1993年7月にオープンさせた伊勢神宮内宮前にある商店街。 約1万3000平方メートルの敷地に、飲食店や土産物店など50店以上が並び、江戸末期から明治初期の門前街の風情を再現している。 運営は赤福の子会社(有限会社伊勢福)。 三重県によると、昨年は452万人が訪れた。 濱田氏は元伊勢商工会議所会頭。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131127-00000011-mai-soci


 この段階でもレイシズムであると言わざるを得ない。
 この浜田、日本青年会議所副会長になったほどだから、かなりの危険なファナティックな思想の持ち主でありまずいと指摘しなかった周囲がおかしい。さらに本業の赤福ではとんでもない暴挙をやらかした。

 赤福社長を解任、後継に母 元社長の父と対立
中日新聞 2014年4月24日 17時06分

 餅の上にあんこを載せた「赤福餅」で知られる三重県伊勢市の老舗和菓子製造販売「赤福」の濱田典保社長(51)が23日付で「退任」し、母で代表取締役の勝子氏(77)が「新社長」に就いたことが、同社への取材で分かった。典保氏は代表権のない会長に退いた。同日の臨時株主総会と取締役会で決まった
 典保氏は創業家の濱田家出身で、2005年に元社長で父の益嗣氏(76)から継いで3代目の社長に就任した。関係者によると、経営方針をめぐって、家族経営からの脱却を目指す典保氏と、家業として継いでいきたい益嗣、勝子両氏側が対立しており、事実上の解任となった。
 赤福は非上場。帝国データバンク津支店によると、益嗣氏が社長を務める関連会社の浜田総業が赤福株の8割以上を所有している。
 赤福では07年、売れ残った商品の製造日などを30年以上にわたって偽装して出荷していた問題が発覚し、会長だった益嗣氏が引責辞任。典保氏は偽装問題 への対応に追われ、08年2月の営業再開後、落ち込んだ業績を回復させた。売上高は08年9月期に64億円だったが、13年9月期には92億円に達した。 益嗣氏は11年に会長に復帰したが、典保氏の退任に伴い、会長から退いた。
 赤福は1707(宝永4)年、伊勢神宮内宮近くで創業。1954年に株式会社化した。ホームページによると、従業員数は昨年10月時点で535人。

 <赤福>社長、突然の解任 父と対立、後継は母 
毎日新聞 2014年4月24日(木)7時30分配信
 三重県伊勢市の老舗和菓子製造販売「赤福」は23日、同市内で臨時株主総会を開き、濱田典保(のりやす)社長(51)の「退任」を決めた。その後の取締役会で、典保氏の母勝子(まさこ)氏(77)を「新社長」に選んだ。父は元社長の益嗣(ますたね)氏 (76)。2007年に発覚した消費期限偽装問題から業績を回復させた典保氏だが、関係者によると、経営方針を巡り益嗣氏と対立しており、事実上の解任劇 となった。
 同社は非上場。関係者によると、赤福の発行済み株式は、益嗣氏が社長を務める「濱田総業」が約85%を保有し、残りを益嗣氏と典保氏でほぼ二分している という。益嗣氏は05年、典保氏に社長の座を譲り会長職に就いたが、消費期限偽装問題の責任を取り、07年に辞任した。
 典保氏は偽装問題で各方面への謝罪に追われたが、その後は経営手腕を発揮。「家業から企業へ」を掲げて近代的な企業経営への転換を図り、民間信用調査会社によると、08年9月期に64億円だった売上高は、13年9月期に92億円を超えるまでになった。
 一方、益嗣氏は、現在の赤福の礎を築き、株式会社化後の初代社長も務めた祖母、故濱田ます氏(1886~1976年)の功績を重視。関係者によると、勝子氏を中心に、自身に近い親族らによる「家業型」の経営スタイルに立ち戻ろうとしているという。こうした方針の違いから2人の対立が深まっていたという。 典保氏は新体制で代表権のない会長に「退いた」。
 今回の解任について、従業員からは、信頼の厚い勝子氏の「社長」就任を歓迎する声がある一方「いわれ無き解任」と典保氏を擁護する声もあるという。
 勝子「新社長」は同日、「従業員の皆様へ」とする文書を社内で配布し、経営体制の刷新を「益嗣・勝子が判断した」とした上で「未来に向けた経営を志向するも ので、『のれん』に象徴される理念に基づく経営や、女性の積極的な登用などを進めたい」などと説明している。【谷口拓未】

 【ことば】赤福の消費期限偽装問題

 農林水産省の調査で2007年10月、店頭に並ばなかった商品の製造日や消費期限を偽装した上で、改めて出荷・販売していたことが発覚した。不正は益嗣氏の社長時代から30年以上行われ、同氏が引責辞任した。三重県は同月から08年1月まで赤福を営業禁止とした。
(4/24)
 ※今回の違法な乗っ取りへの釈迦的制裁の一環として、勝子を自称社長と呼び、正統性を一切認めない制裁を実施します。


 今回は中日新聞と毎日新聞を引用したが、明らかに濱田の無責任経営で賞味期限の偽造が堂々と行われた。
 普通ならば復帰などあり得ない。誰がどう考えても典保氏がまともなのは明らかだ。濱田自称社長らは恥を知るがいい。 勝子は違法な乗っ取りを女性の起用を進めると詭弁を画策するが馬鹿もいい加減にするがいい。それならば女性の目線で企業の再生を果たす投資ファンドで知られるLADY21に身売りすればいいまでの事なのである。濱田は吉司(関連会社・マスヤ社長で典保の弟)を跡継ぎにしようと画策しているがいい加減にするがいい。
 私はこの企業の行き先は間違いなく京都の一澤帆布店のようになると断言しておく。一澤帆布店は無責任経営者の一澤信太郎によってめちゃくちゃになり、有能な弟に最後何もかも奪われて信太郎は破滅したが、濱田夫妻も信太郎と同じ末路が待っている。最悪の場合は、和歌山県にあった和菓子屋の名門・駿河屋のように破産するだろうが私は何も言うことはしない。