2014年9月8日月曜日

障がいを言い訳にすることはしたくない


 このことを述べる前に、私はいかなる立場の身分制度を激しく嫌う。
 皇室制度の緩やかな縮小を求めるひとりであるということをここに明言する。いきなりなくせというと反発が大きいと思われるので、公行事の緩やかな縮小とロイヤルファミリービジネスの大幅な導入による公的出資の削減で皇室制度の縮小が望ましいという考えである。
 そのうえで、この週刊誌の「発言」を一人の精神疾患当事者として見逃すわけにはいかない。

宮内庁が週刊文春に抗議 皇太子ご令嬢巡る記事「事実無根」

2014年7月10日23時53分
宮内庁は10日、「週刊文春」 7月10日号の記事が「事実無根」だとして同誌編集部に抗議し、訂正を求めたことを明らかにした。「皇太子ご令嬢衝撃のお言葉『先生大嫌い。私の言うこときか ないから』」と題した記事について、同庁は「そのようなご発言はあるはずもない」と否定。「皇太子ご令嬢様のご成長にとり大切な静かな環境の確保を妨げる ものです」としている。
*なお、この記事では固有名詞が書かれておりましたがあえて訂正しました。


 皇太子ご令嬢は発達障がいの可能性が高いという。
 それは何を意味するか、発達障がいが国民のすぐ近くにある精神疾患であることを意味するのである。私は皇室については全く興味はないし、皇太子夫人がうつ病であっても「お大事に」としか言いようがない。
 皇室はある意味公人であることは承知だが、どうでもいいことで週刊文春は騒ぎすぎているとしか言いようがない。それで私達の何に利益があるのか。不利益も甚だしいとしか言いようがない。
 私が危惧しているのはこうした記事により精神疾患当事者が差別されることだ。それでいいのだろうか。本当に恐ろしいしおぞましい。私は皇室には興味はないし緩やかな縮小を求めるひとりだが、個人情報を暴き出すような報道には怒りを覚える。
 そのうえで私の障がいに対する考えをここに明確に打ち出す。

 私自身の中にある、完全に克服できていない過去のトラウマが、障がいの特性によるいじめ被害やその延長線のパワハラ被害である。
 だが、私はもうそれを理由に過去から逃げるつもりはない。終わった事なのであり関係ないと切り捨てる事にした。ここまで至るには本当に辛くかなり哀しい想いもあった。だが、今何をすべきかという優先順位を選び、過去を切り捨てる事にした。
 私の部屋にはもはや小学校からのアルバムはない。捨てて正解だったと思っている。もう見る事はないと思ったためだ。もし仮に子供が生まれてきても、この過去を話すのは大きくなってからにしたいと思っている(今ではその気すらないのだが)。
 私の周囲はあまりにも重すぎるような事件が起きた。その中で傍観者は私の前から去って行った。私は「見捨てられるなら私から見限ろう」と決心し、傍観者についてはほとんど切り捨てたのだった。その結果は精神的な安定につながっている。見栄に振り回されることなく、自分らしくやれるメリットがあるからだ。
 他人に媚びず、他人に迷惑をかけない範囲の中で自分らしく生きることで、私は私の自我を何とか守るところにまで来た。だが、悪夢に苦しんだ日々に戻らない保証はない。それでも、自分の足で、自分の力で障がいを言い訳にすることなく前に進もうと思う。後に続く者達には、私の哀しい思い出を負の記憶として、悲劇を生み出させないようにしてほしいと思うし願いたい。

 私にとって、傍観者どもは小さく見える。
 今はそう思う。