2015年4月29日水曜日

敢えて言わねばならないこと:「昭和の日」と称する日に

 本日は戦争責任者の一人、昭和天皇の誕生日である。
 この日を極右自民党は「昭和の日」として国民の休日にした。だが、私は敢えてカレンダーに「国民の休日」と書きなおしている。
 この判決を皆さんはどう思うのか。生活者としての権利からも考えて欲しい。

在日韓国人に「朝鮮名で名乗ったらどうだ」と強要した社長、55万円の支払い命ぜられる

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勤務先の社長に韓国名を名乗るよう強要され精神的苦痛を受けたとして、静岡県の40代の在日韓国人男性が、社長を相手に慰謝料330万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、静岡地裁(大久保正道裁判長)は4月24日、社長に55万円を支払うよう命じた。
時事ドットコムによると、大久保裁判長は男性が入社後一貫して日本名を名乗っていたことなどから、男性に韓国名を名乗る意思がないことは認識できたと判断。「氏名は人格の象徴。在日韓国人に対して使用する名前を強制することは自己決定権を違法に侵害する」とした。
原告の男性は韓国籍。日本で生まれ育ち、通称名(日本名)を使用している。朝日新聞デジタルに よると、男性は2012年11月と2013年1月、勤務先の事務所で社長から「朝鮮名で名乗ったらどうだ」と言われ、「このままで結構です」と拒否。2月 にも「これからの時代は朝鮮名で生きた方がいい」といったことを言われ、4月には多くの社員の前で「この人は在日韓国人だ」と明かされた。さらに2013 年5月には、「朝鮮名で名乗るなら呼んでやるぞ」と言われ、再三、本名を名乗るよう強要されたという。

2015年04月24日 22時09分

静岡地裁の判決

報道によると、在日韓国人の男性に本名を名乗るよう強要するのは違法であるとして、賠償金を命じる判決が静岡地方裁判所で出たことが分かった。
原告は、静岡県に住む40代の在日韓国人の男性で、2001年に入社した勤務先の会社社長から 「朝鮮名で名乗ったらどうだ」「朝鮮名で生きるのがこれからの時代だ」などと言われ、「このままで結構です」と拒否したこともあったが、同僚の前で「この人は在日韓国人だ」と暴露された事から、精神的苦痛を受けたとして、330万円の損害賠償を求めていた。
静岡地裁の大久保正道裁判長は、一貫して通名を使用していた原告の男性に対して本名を強要することは、男性の意思や人格を侵害しているとして、会社社長に対し55万円の賠償金を支払うよう命じた。

どうなる通名

「通名(つうめい)」とは、外国籍の人が日本で生活する場合に使う名前のこと。必ずしも使う必要はないが、名前の表現が困難だったり、発音が困難だったりする場合に、名乗ることが多い。
しかし一部のアジア国籍の人は、日本人と変わらない外見に加え、本名とかけ離れた日本人同様の通名を付けることで、日本人と思わせていることも少なくない。
さらに法的な本名とは異なりながらも、変更が困難でないことや、公的な届出などにも使用できることから、名義の悪用など犯罪の一因になっているとの指摘がある。
ネットサイトなどでは、7月9日から通名がなくなるとの書き込みを見ることがある。
しかし特別永住者証明書などは通名ではなくなるものの、住民票などには通名の記載が残るため、その後も通名による銀行口座などの開設は可能(認めない銀行もある)だ。

ネットユーザー「反対じゃない?」

今回の判決に対して、ネットユーザーの書き込みには、批判的な意見が多い。
特に本名を名乗るように言うことが、人格権の侵害するとの判決に対しては、「反対だろう」とする意見が多い。
書き込みの中には、「(朝鮮名を名乗るように言うことが)著しく不快感を与えるもの」との報道内容を取り上げて、「裁判所が朝鮮名に著しく不快感があると認めた」のように、半ばからかうような意見もあった。
朝日新聞の報道によると、会社社長側は控訴する方針とのこと。
また在日韓国人男性のコメントとして「金額の問題ではなく、自分の主張が認められて満足している。自分は日本人だと思っているし、これからも通名を名乗っていきたい」を掲載している。

  私は、この判決については当然だと考える。
 在日コリアンの中には、国籍ひとつとっても悩んで日本国籍にした人もいる。その一方であえてそのままの国籍にすることだってある。
 最終的に決めるのは当事者なのであり、周囲ががたがた言うことではない。そもそも、在日コリアンだから仕事ができないのだろうか。おかしな話ではないか。会社社長は潔く自らの犯罪行為を認め、実名で謝罪すべきだ。
 私が働いている会社では、外国出身者が多い。韓国人や中国人はザラだ。国籍でがたがた言っていたってなんにもならない。本人の意向を尊重できない会社なんか、この21世紀では生き残るのは難しい。
 もし私の周囲に在日コリアンがいても、私は顔色一つ変えない。「そうなんや」としか思わない。それがこの21世紀で生き残る手段でもあり、人間としての当然の姿勢なのである。それができないのがレイシストどもであることは言うまでもない。