2018年1月1日月曜日

2018年 新年の挨拶

 皆様方、新年明けましておめでとうございます。
 今年がどのような一年になるのかはわかりかねますが、昨年はまさに上に立つ者共による利己主義的な行為が目立ち、世の中を混乱に落とせしめてきました。
 今こそ、利他の精神が必要なことはないと思います。

 上が利己的であるならばその上を選ぶものたちにも利己的な要素が目立っております。
 新約聖書から引用したいと思います。

使徒言行録20章17~35節
パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。 ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。
そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。 だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。 わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。 どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。 わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。 また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。 だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。 わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。 ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」

 キリスト教信者の方々以外には馴染みが薄いと思いますが、最後の言葉を受け止めてほしいのです。
 パウロ自身も迫害者だったのです。ですが回心して熱心な利他の精神を持ったクリスチャンになったのです。このパウロの言葉で『邪説』という言葉がありますが、この種の妄説を唱える歴史改ざん主義者共の多さに呆れ返ってきます。そしてその共犯者達はカトリックの中にも残念ながらいます。
 その共犯者共がネオナチジャパンの応援団となって安倍自称首相の悪事をアシストしてきた事実に変わりはありません。そうした輩に信仰を言われても、説得力がないと突っ込まれるのは自然の理であります。
 私達は、今こそ厳しい姿勢を明確にすべきです。人としての道徳的価値観とは何かを各自が真摯に考え、受け止め、利他の精神と併せ持って検討すべきなのです。

 今年も皆様方、よろしくお願い申し上げます。

 日々格闘記イカロスの翼 管理人
 倉野 明人 拝