2018年1月6日土曜日

イカロスの翼として皆様方への呼びかけ

 今年第一弾のブログのコラムは、コメントする者の姿勢を問いたい。
 昨年2月、私のブログ仲間のふーくん氏のブログにあるレイシストが荒らし投稿をやらかし、読者が昼夜を問わず反論した。私もネチケットの観点からレイシストの犯した問題点を指摘し、最後はふーくん氏が退場処分を下したのだが、ブログのコメントを寄せるものはブログ運営者とは違った意味でそれなりの責任がある。
 ブログのコラムを書く私にしても、正直に言ってしんどい。頭のなかで構想を練り、その中で一つ一つ何を書きたいのかを明確にして検索を行い、裏付けを取ってから書くようにする。それが言葉を使うものの当然の責務なのである。
 そして、言葉に対する不一致があった場合は説明義務も伴うのである。

個人ブログの内容間違い、発信者は責任を負うべきか
ブロガー 藤代 裕之
2012/5/10 7:00
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0900F_Z00C12A5000000/
 交通事故の被害者を治療した救急救命センターのブログが、取材に訪れた新聞記者の対応を激しく批判し、ネットで大きな話題になった。その後、ブログで批判された新聞社が、「そんな事実はない」と別のニュースサイトの取材を通じて反論。どこまでが本当なのか、状況はあいまいになっている。誰もが情報発信できるソーシャルメディアの時代は、マスメディアだけが発信者ではない。だからこそ、ブログを書いている一般の人々も、自分のブログに間違いがあれば率直に謝罪や訂正を行い、間違いの経緯を説明すべきだろう。

■当事者による情報発信は強い説得力を生むが・・・
 「マスコミの人間に心はあるのか」という強いタイトルで批判したのは、兵庫県の豊岡病院に設けられた但馬救命救急センターのブログ「TECCMC’s BLOG」。同センターは4月23日に京都府亀岡市の府道で発生した、軽乗用車が児童の列に突っ込んだ事故の被害者に治療を行っていた。同日のブログには以下のような内容が書かれていた。
 「読売新聞、毎日新聞、朝日新聞など各社の記者(個人名を出しても良いと思いますが)は霊安室の前にカメラをかまえ、お帰りになるご家族の映像を勝手に撮影していました。再三にわたって取材はお断りの旨を伝えていたにもかかわらず、一番大切にしたい瞬間に、ズカズカと土足で割り込んできました」
 社名を列挙していた(その後削除)このブログは、瞬く間にネットに広がりマスメディアの取材手法に対する批判が起こった。事件事故、災害の現場に対する取材のあり方は、以前からたびたびネットで話題となっており、ネットで批判が広がりやすい。
 筆者自身もこの批判を受け、現場取材での課題についてブログを執筆した。センター側が社名を書き「個人名を出しても良いと思う」と書いていたことから、「事実」との前提に立ってしまっていた。
 しかし、その後ネットニュースサイトのJ-CASTニュースによる追加取材によって、名指しされた新聞各社が否定していることが明らかになる。そのため筆者も追加取材を行った。

■一部の記者の対応がマスメディア全体の批判に
 読売新聞の大阪本社広報宣伝部は、ブログが事実ではないとした。毎日新聞と朝日新聞は詳細な記者の動きについても回答があった。
 毎日新聞の社長室広報担当は「終始、病院側責任者の立ち会いの下、あるいは指示に従って取材していました。記者が待機したり、取材したりした場所は病院建物内ではなく、霊安室から外部に出る救急出入り口から約20メートル離れた病院駐車場(病院側が指示した場所)でした」とファクスで回答した。
 朝日新聞の大阪本社広報部は「霊安室の前にカメラを構えた事実も、お帰りになるご両親を撮影した事実もありません。弊社の記者は、ご遺体とご両親がセンターからお帰りになる2時間半前に、センターを引き揚げていました」としている。
 病院側の管理部は「3社について事実はありません。ただ、(ブログが指摘する)事実は一部マスコミによってありました」という。センター側は、救命外来の玄関にいた記者に良識ある配慮を求めるとともに、待合室に記者がいたため患者のプライバシーと医療行為の妨げになるため退去を依頼したが、10~15分後に再び記者が待合室にいたため、再び退去してもらったという。これらの記者の動きがブログでの批判につながった可能性がある。

■一般人のブログでも、間違いには謝罪と訂正を
 取材現場には多数の記者が駆けつける。新聞だけでなく、テレビや通信社、場合によっては雑誌社、フリーランスもいる。病院の敷地は多くの場合広く、入り口も多数あるためにセンター側でも状況が把握できるわけでもない。筆者も現地を見ておらず、敷地や建物の位置関係は分からない。筆者による現時点での取材では、ブログによって名指しされた社による行為はなかったということになる。センターによるブログの内容は「誤報」といえるかもしれない。
 ブログでは翌日に訂正したものの、霊安室前の無断撮影や行き過ぎた取材があったことは再度、書き込んでいる。しかし、具体的な社名が出てきた背景や理由については説明していない。読者からすれば、「個人名を出しても良い」という強い書き込みがあったからこそ、ブログの記述が確からしさを高め、インパクトを与えた。
 病院側の管理部もブログが指摘する事実は一部のマスメディアによってあったと説明しているが、微妙にトーンが異なる。ブログでは敷地内の取材も行き過ぎた取材に含まれているが、管理部側は「公共施設でもあり建物内はできても、敷地から立ち退かせることまでは難しいし、写真の撮影禁止も言っていない」とする。
 病院のブログとはいえ、ソーシャルメディアの時代には、一般に大きな影響力を持つ。新聞社はそれぞれ「ブログを見た読者の方から、弊社読者応答部門に「新聞で謝罪しろ」などといった批判が多数届いたため」(朝日新聞)、「ブログを見たとみられる人から大阪本社に電話、メールで問い合わせが入ったことにより」(毎日新聞)この事態を知ることになった。
 パソコンやスマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)などがあれば、いまでは誰もが情報発信できる。マスメディアだけが発信者ではないことを、新聞社側は身を持って知ることになった。マスメディアはもちろん、一般のブログの書き手でも、間違った内容を掲載した場合、速やかに謝罪と訂正を行うことが発信する情報の信頼につながっていくはずだ。

藤代裕之(ふじしろ・ひろゆき) ジャーナリスト・ブロガー。1973年徳島県生まれ、立教大学21世紀社会デザイン研究科修了。徳島新聞記者等を経て、ネット企業で新サービス立ち上げや研究開発支援を行う。学習院大学非常勤講師。2004年からブログ「ガ島通信」(http://d.hatena.ne.jp/gatonews/)を執筆、日本のアルファブロガーの1人として知られる。

 私たちは言葉の発し手としての怖さを感じている。 
 その言葉がどこまで正しいのか、どこまで事実なのか、その全てを残念ながら見抜く事は難しい。
 だが、ブログの発し手だけにこの責任を負わせてはいけない。ブログにコメントをする方にも責任がある。ふーくん氏のケースでは荒らし投稿者が悪質なヘイトコメントをやらかしていた他、自身が運営するブログではヘイトコメントを放置するなどネチケットに反していた。
 そういったことへの責任も厳しく考えるべきだと私は思う。発言者に誰もがなれるのがこの時代なのだからだ。