今回の書人両断は最悪のレイシスト野郎を血祭りにあげる。
「そうだ、難民しよう」とシリア人少女を悪用して在日コリアンへの卑劣なヘイトイラストを書き、多くの人達にダメージを与えたこの卑怯な魔女には火あぶりにしてもし足りないほど許しがたい。
ハッキリ言ってやるが、ヘイトに表現の自由はない。犯罪の自由そのものであり、許されないことは誰の目からしても明白だ。この犯罪行為によって多くの人たちが傷つき、精神科医の世話になるなど深刻な被害を受けている。
更に許しがたいことに共犯者として青林堂のヘイトブック販売に加担するなどしており、罪の意識がまったくないのだから驚くべき認識だ。「カリカリ」とは、漫画を描く音喩(おんゆ)の「カリカリ」と、はすみが好きな猫のドライフードの音「カリカリ」から「カリカリ企画ホワイトプロパガンダ漫画家」と称する詐欺師にすぎない。猫以下の最低の輩である。
政治観は保守、あるいは、愛国と自称し「国の利益の為なら、右も左も関係ないじゃないか」と喚いているが、そんなはすみにはワイツゼッカー元独大統領の話を聞かせてやろう。
ドイツ敗戦40周年にあたる1985年5月、ワイツゼッカー大統領は連邦議会において「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」という名演説を行い、ドイツ国民と世界に対し、ナチス・ドイツによる犯罪はドイツ人全員が負う罪であること指摘した。この演説をきっかけに、ドイツの歴史問題は解決に向かい、1989年の東西ドイツ統一につながっていった。
戦争の責任はナチスにあるとし、それを生み出した責任を全ドイツ人で負うという考え方には、いろいろな意見や批判があったが、内外にそれをはっきりと宣言し、ナチスによる罪は自国の手で徹底的に裁くという姿勢を明確にしたことによって、ドイツが永久に戦争責任を負い続けるという状況から脱却することに成功した。
いま日本に欠けているのは理想派にして正しい保守派であるワイツゼッカーの思いそのものではないか。はすみはその象徴にすぎないのである。
ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会ははすみのヘイトブック発行に対してオンライン上で8,000名の反対署名(事実上1億人以上)を集め「慎重な流通を求める」として日本出版取次協会などに提出し、「差別を助長しかねない」「表現の自由は認められているがあからさまな人種差別も正当化されてしまうのか」「書店や流通関係者はただ本を仕入れて陳列するのではなく、中身を読み、どう扱うべきか判断して欲しい」と述べ、辛淑玉氏は「風刺は権力に対して行うもの。(この本は)風刺ではない、市民社会を攻撃するものだ」と厳しくはすみの罪を指摘、痛烈に断罪した。
はすみは、会見に対して、「会見は、言論の自由を弾圧する行為。議員会館がこのようなことに利用されたことに憤りを感じる」と産経新聞の取材にて言い逃れを連発していたが、犯罪の自由はない。元看護師として命の現場に立っていたとは思えない悍ましき認識に彼女の看護を受けていた患者たちは心底から恥ずかしいと思っていることだろう。はすみはまともな市民からネオナチそのものであると指摘・糾弾されて発狂しているのではないか。
青林堂担当者は「言論の自由は保障された権利。書店などへの圧力があるとすれば、言論の封殺になる」とほざいているが、暴走族の暴走行為を表現の自由と勘違いしている珍説をほざくようなもので、話にならない。