2019年8月24日土曜日

修復的司法の導入と裁判員制度の規制を迅速に行え

修復的司法(しゅうふくてきしほう、英:Restorative Justice)とは、当該犯罪に関係する全ての当事者が一堂に会し、犯罪の影響とその将来へのかかわりをいかに取り扱うかを集団的に解決するプロセス、又は犯罪によって生じた害を修復することによって司法の実現を指向する一切の活動を言う。

1.日本の司法はサーカス以下
2019年7月16日(火) クローズアップ現代
オウム死刑執行1年 見えてきた真相
事件・犯罪
 去年7月にオウム真理教の死刑囚13人の刑が(国際法違反の違法)執行されてからまもなく1年。“異例の執行”の舞台裏で何があったのか?取材チームは、独自に法務省などの関係者、死刑囚たちの弁護士などの新証言を得て、その真相を探っていく。「死刑の決定」はどのように行われたのか。そして、死刑囚たちは、執行直前までの面会や手紙で何を語り、執行時どんな様子だったのか。“究極の刑罰”でありながら、厚いベールに包まれた「死刑」。その知られざるプロセスに迫る。

出演者
NHK記者
武田真一 (キャスター)
1年前の執行 黒塗りの文書に何が? “最期”が明らかに!
麻原彰晃(本名 松本智津夫)元死刑囚
「さあ、一緒に救済計画を行おう。そして悔いのない死を迎えようではないか。」
 1年前、平成を象徴する事件を次々と引き起こしたオウム真理教元幹部たちの死刑が執行されました。短期間で13人を執行する異例の死刑執行でした。首謀者、麻原元死刑囚の遺骨は今も東京拘置所に据え置かれたままです。
 異例の執行の裏で何があったのか。NHKは、13人の死刑囚の執行に関する文書を情報公開請求で入手しました。ところが、執行の状況や死刑囚の遺言などは真っ黒に塗りつぶされていました。
 死刑囚たちはどんな最期を迎えたのか。そして、死刑の執行は誰が、どのように決めていったのか。ある死刑囚の弁護士は、答えが得られない状況に憤りを感じています。

死刑囚の弁護士
「我々、社会に残した言葉であって、国が秘密にするメッセージではない。」
 今も後継団体で続いているという麻原元死刑囚への信仰。若者たちへの勧誘も各地で続いているとみられています。この1年、私たちは法務省の幹部や死刑囚の遺族など関係者を取材してきました。異例の死刑執行から1年。初めて明らかになる舞台裏です。

“執行の瞬間”何が? “立ち会い”の人物・元死刑囚の妻が
 地下鉄サリン事件の遺族、高橋シズヱ被告(法廷侮辱罪により有罪確定)です。死刑囚の最期を知りたいと、今も法務省に対して情報の開示を求めています。
地下鉄サリン事件 遺族 高橋シズヱ被告
「死刑執行に関する情報を開示するよう要望します。」

高橋被告
「そこで何が起こったのかということは、開示されて当然だと思っています。しつこくこれからも言っていきたいと思っています。」
 死刑執行のそのとき、何があったのか。ある死刑囚の執行に立ち会った人物の証言を得ることができました。

(取材メモより)
執行に立ち会った人物
「実は俺、死刑執行に立ち会ったんだよ。その死刑囚は別の部屋にいて、それから連れられてくるんだよ。両手をもたれて(拘置所)所長の前に立たされると、『あなたに対して死刑の執行をします』、大臣の命令書が読まれるんだ。その段階では本人は死刑と分かっているんだけど、やっぱりいざそう言われると腰を抜かして立てなくなる死刑囚もいるらしいんだけど、その死刑囚は『分かりました』『ありがとうございました』って言ったんだ。別室ではガラス越しに死刑が執行される様子が見られるようになっている。首に縄をかけられてバーンと落ちていくんだけど、死亡が確認されるまで俺はずっと見ていたんだ。その一連の動作の中で、その死刑囚は一切震えるとかわめくとか、そういう動作とかは一切なく、本当に潔く死刑を受けたという感じだった。」

 さらに、私たちはある元死刑囚の妻に接触することができました。夫は教団の初期メンバーで、11の事件に関与した新実智光元死刑囚。その最期を伝えられるのであればと、音声を使わないことを条件に取材に応じました。
 妻は、執行の日となった7月6日の朝早く、面会のため拘置所を訪れていました。この日、死刑が執行されるとは思いもしなかったといいます。

新実元死刑囚の妻
「刑務官に『会えません』って言われたんです。その理由とか教えてくれなくて。でも問い詰めて聞いたら、『しかるべきところから連絡が』って。もうその時点で『そういうことなんだ』って思いました。」

 その後、拘置所から妻へ電話が入ります。「本日、刑の執行を行いました。遺体の引き取りはどうしますか」という内容でした。

新実元死刑囚の妻
「手続きと共に死亡診断書(殺人執行書)が渡されました。執行時間は8時33分でした。16分以上つるされていたと分かりました。」

 妻は、葬儀会社で夫の亡骸(なきがら)と対面しました。

新実元死刑囚の妻
「顔やほっぺたとか心臓の上とか、手の届くところ全部触って。まだ温かい、熱い。そのときは全然まだ実感がないんですよね。きのうの夕方まで普通にしゃべってたのに。」

“異例”の13人執行 「平成のうちに」そして…新証言が
 極めて異例とされた(違法)死刑執行。その決定の裏にあった新たな事実も今回、浮かび上がってきました。死刑執行にあたり法務省内部から、ある懸念の声が上がっていたのです。焦点は「13人死刑の同時執行は理解を得られるのか」でした。

(取材メモより)
幹部
「全員死刑にすると、ちょっとジェノサイド(大量虐殺)っぽいからどうなんだろう。海外からどう見られるか。1日での同時執行や短期間での連続執行は、あまりにも虐殺的に映るのではないか。」

 海外からの批判を懸念していた法務省。執行のスケジュールを意識し、大臣の外遊日程を変更していたことも分かってきました。

(取材メモより)
「ヨーロッパの海外出張は危険だということで、全力で止めた。」

 このとき、死刑を廃止しているヨーロッパへの訪問が8月に予定されていました。執行直後に訪れれば批判の的にされると危惧していたのです。短期間に13人という異例の死刑執行。しかし、法務省は方針を変えることはありませんでした。

(取材メモより)
幹部
「法務省という組織として、『この死刑囚は執行、この死刑囚は待った』という判断には至らない。13人執行、それ以外に選択肢はない。」

幹部
「テロリストは抹殺するのがグローバルスタンダード。そこを説明すれば、アメリカやヨーロッパからも批判は来ない。だから臆することはない。」

 秘密裏に検討が進められた死刑執行。さまざまな思惑で執行を急ごうとしていたことも明らかになってきました。

(取材メモより)
幹部
「『平成の事件は平成のうちに』という意識は確かに幹部にはあった。元号が変わっても、まだオウムというテロ集団を生かしているのかという国民的批判は想定できた。」

 さらに、死刑の執行を急いだ意外な理由を挙げる幹部もいました。この幹部は、死刑制度の見直しを念頭においていたというのです。

(取材メモより)
幹部
「近い将来、死刑存廃を議論する場合、国民の感情を考えるとオウムの死刑囚をそのままにして議論が進められるのかという懸念もあった。」

 そして、去年(2018年)7月。6日に麻原元死刑囚をはじめ7人、26日に6人。合わせて13人の死刑が違法に執行されました。

上川陽子自称法務大臣(当時)=国際法違反で死刑確定
「慎重にも慎重な検討を重ねた上で執行を命令した次第であります。」

 死刑執行を遺族はどう受け止めたのか。地下鉄サリン事件で娘を失った、岩田キヨエです。

地下鉄サリン事件 遺族 岩田キヨエ
「うちの娘、何もあの人たちに悪いことはしていません。けじめだと思います。あの人たちは人を殺したんだから、自分が償いをするべきだと思います。心は穏やかではない。死ぬまでならない。持っていくつもりですから、平成を。」
※倉野注 司法は感情で行うものではない。事件の再発防止と真相追求が優先されるべきものであり、人を感情的に死刑にするのはそれこそ犯人と行いは同じである。岩田の暴言は言語道断であることは明らかだ。

“異例”の13人執行 再審を求めた元死刑囚 真相究明は?
 13人の死刑執行。その中に、再審=裁判のやり直しを求めていた死刑囚がいます。麻原元死刑囚の側近として、地下鉄サリン事件など複数の事件に関与した井上嘉浩元死刑囚です。
 弁護人を務めた、伊達俊二さんです。

井上元死刑囚の弁護士 伊達俊二さん
「(去年)3月14日に受け付けられた再審請求書です。」

 再審を求めていた事件の1つ、信者の親族だった假谷清志さんの監禁致死事件。井上元死刑囚は1審では無期懲役、2審で死刑が言い渡されていました。しかしその後、本人の電話記録が残っていたことが分かり、犯行状況と矛盾するとして裁判のやり直しを求めたのです。

伊達俊二さん
「何がなんでも死刑を免れたいから、何でもかんでも再審請求してくださいということは、一切彼は言っていないですね。『事実が違う』と、それはずっとしきりに言ってました。自分が真実を語ること、そして事実が解明されること、これがひとつの償いだと言い続けているんです。私もそう思います。」

 再審請求には、裁判所も興味を示していたといいます。執行の3日前、伊達さんは裁判所や検察を交え、具体的な打ち合わせに臨んでいました。しかし、まさにその日、上川大臣は執行を認める書類にサインをしていたのです。

伊達俊二さん
「真相究明にふたを閉ざしてしまった、その憤りはすごく強かった。こういうことをしていいのかと。」

 今回分かった新事実。どう考えればいいのでしょうか?

黒塗りの文書に何が? 死刑囚が迎えた“最期”とは…
武田:死刑はどのように行われたのか。私たちが情報公開請求した文書は、その多くが黒塗りとなっています。執行に立ち会った人物が最期の瞬間について語ってくれましたけれども、取材ではどこまで分かったんでしょうか?
永田知之記者(社会部):この黒塗りの文書には、執行時刻や執行状況、そして遺言などが記載されています。関係者への取材では、一部の死刑囚の最期の様子が分かってきています。麻原元死刑囚は執行直前、遺体の引き取りをどうするかと問われた際に、四女に遺体を引き渡すよう意思表示したとされています。また、サリンの製造などに関与した中川智正元死刑囚は、執行の直前、コップでお茶を2杯飲み、刑務官へのお礼や被害者への謝罪の言葉を残していたということです。しかしほとんどの死刑囚については詳しい状況は分かっていません。
※松本氏は令嬢の前で拘禁状態だったことからも、精神疾患当事者を死刑にしてはいけないという国際法に明確に違反している。
武田:短期間に13人という異例の死刑執行ですけれども、それがちょうど1年前だったわけです。そこに至るまでに、どのように意思決定がなされたのか。それは、どこまで分かってきたんでしょうか?
永田記者:去年1月に一連のオウム事件の裁判が終結しました。死刑囚が裁判で証人として呼ばれる可能性がなくなり、法務省内で執行に向けた具体的な検討が始まったとみられます。そして3月には、東京拘置所にいた13人のうち7人を、ほかの全国5か所の拘置所へ移送しました。東京拘置所では13人を一度に執行することができないため、執行を見据えた準備だったと見られます。大型連休前後には上川被告に法務省幹部が執行を打診。上川被告は死刑については慎重派といわれていましたが、打診を受けて極秘裏に裁判記録に目を通していました。関係者によりますと、上川被告は相当な重圧を感じていてサイン直前まで悩んでいる様子だったといいます。そして去年7月、2回に分けて刑が執行されました。
武田:黒塗りの資料の中で、さらにまだ分かっていないことがあります。それが、死刑囚たちが最期に残した言葉です。

“最期の言葉”は? 求め続けた事件遺族
 4月1日、新元号「令和」の発表を複雑なまなざしで見つめていたのが、地下鉄サリン事件の遺族・高橋シズヱ被告です。霞ケ関駅の助役だった夫の一正さんが命を奪われて、24年の月日が流れました。


地下鉄サリン事件 遺族 高橋シズヱ被告
「オウム事件ってまだ続いているわけだし、私たちもずっと戦い続けているわけだし、社会的にはこういうことで新しい時代になって、嫌なことは忘れるみたいな空気が出てきたら嫌だなと思います。」

高橋被告は、死刑囚との面会や執行への立ち会いを求め続けてきました。彼らは、みずから犯した罪とどう向き合ったのか知っておきたいと考えてきたのです。

高橋被告
「死刑になった人が残した(言葉)、死刑確定から死刑執行までの間にどういうことをしてきたか(知りたかった)。これで本当によかったんだろうか。またすごくその思いを強くしたし。」

元死刑囚の妻が明かす 最期の“意外な言葉”
 今回の取材から、最期の言葉が明らかになった死刑囚がいます。新実智光元死刑囚です。死刑確定後も「事件は救済のためだった」と麻原元死刑囚への信仰を持ち続けていました。
 私たちの取材に応じた、新実元死刑囚の妻です。死刑の執行後、受け取った日記には意外な言葉が記されていたと言います。

新実元死刑囚の日記
“もっと別の人生があったんじゃないか。教祖1人をあがめる人生ではなく、自分を信じることが大事だという人生。誰かに全部委ねる、そういう生き方は誤りだった。”

新実元死刑囚の妻
「執行を前に移送されて、環境がガラッと変わって、たぶん本当の自分自身に最期戻ったんだと思います。普通の男の人に戻ったんだと思いましたね。」

“最期の言葉”は? 友人・執行立ち会いの人物が…
 さらに別の死刑囚の言葉からは、なぜ自分が道を誤ったのか問い直す姿も見えてきました。
 端本悟元死刑囚。信者を家族の元に取り戻す活動をしていた坂本弁護士と、その家族が殺害された事件に関与しました。
 端本元死刑囚の弁護士、池永知樹さんです。大学時代からの友人でもある池永さんは、執行の直前まで面会を続けていました。麻原元死刑囚ら7人の死刑が執行された直後、最後となった2人の面会。端本元死刑囚は、会話をなかなか終わらせようとしなかったといいます。

端本元死刑囚の弁護士 池永知樹さん
「じゃあ、また来るよ。」
端本元死刑囚
「池永、さっき話した伝言の件だけど、先方が忙しいようなら無理に伝えなくていいからな。」
池永知樹さん
「わかったよ。」
端本元死刑囚
「それから、さっき薦めた本だけど、高い本だから買わなくてもいいから。」

池永知樹さん
「私が面談室の椅子を立ち、出ようとすると止められる。『ちょっと待ってくれ』と。本当に名残惜しむようなやり取り。『まだ伝えてないことがある』と。」

 早稲田大学法学部に通っていた端本元死刑囚。大学時代を共に過ごした池永さんは、当時をこう振り返ります。

池永知樹さん
「当時、多くの方はバブルの浮かれの中であったように思います。(端本元死刑囚は)ごく普通の大学生のところもあれば、しかし内面、自分の心のこと、自分自身の生き方についてはクラスの中で非常に敏感に考え、追い求めていたと言えますね。」

 端本元死刑囚はオウムに入信した友人を脱会させようと教団を訪れたところ、みずからも勧誘を受け、麻原元死刑囚に傾倒していきました。

麻原元死刑囚の肉声
「ここにいるあなた方はほとんどそうなんじゃないか?ほとんど今の世の中で違和感を生じている。あるいは周りの人からおかしいと思われている1人じゃないかと思う。それでは数が多いから正しいかということになる。そんなバカな話はない。だからわたしはあなたたちの苦しみがよく分かる。」

 池永さんは、端本元死刑囚からあるものを遺品として受け取りました。

池永知樹さん
「最後に私に送ってきた、意識や無意識、心の問題に関する本。」

 読書家だった端本元死刑囚が拘置所で使っていたメガネ。自分がなぜ教団を妄信し罪を犯すに至ったのか、最期まで問い続けていたといいます。
 死刑の2週間前、端本元死刑囚から届いた手紙です。その中で大学時代を振り返っていました。

端本元死刑囚の手紙
“あのとき語り明かしておけばな”
“池永のことは当時から尊敬してたよ”
“情けないな、自分がよ”
“よき人生幸せであれと願うぜ!”

 死刑執行に臨むとき、端本元死刑囚は最期に何を語ったのか。国に情報公開を求めましたが、返ってきたのは黒塗りの文書でした。

池永知樹さん
「これは我々社会に残した言葉であって、国が秘密にするメッセージではない。」

 あるオウム死刑囚の死刑執行に立ち会った人物です。執行の瞬間をまざまざと目撃したというその人物は、オウムの事件を自身の人生に照らし合わせ、こう語りました。

(取材メモより)
執行に立ち会った人物
「80年代の後半、バブルの時代に、世の中これでいいの?と俺は思っていたんだ。オウムに入ったやつも同じで、真面目で、世の中これでいいのかって、もっといい世の中になって欲しいと思ったけど、飛び込んだ先が悪の巣窟だったわけだ。疑いもせずに突っ走ったというのが俺との違い。俺とそこまで変わらないんだよ。だから俺は彼が首をつられている状況をずっと見ていたんだ。まばたきもせずにずっと。別に感傷的になっているわけではなくて、オウムの場合、一歩間違えれば誰でも死刑囚になりえたと思うんだよね。」

オウム死刑囚の最期の言葉から何が読み解けるのか。さらに見ていきます。

黒塗りの文書に何が? 元死刑囚が残した言葉
武田:やはり死刑囚たちの最期の言葉が明らかにされることには大きな意味があると感じますね。
永田記者:死刑囚が残した言葉は、一般人はもちろん被害者の遺族にも明らかにされることはありません。地下鉄サリン事件の遺族の高橋シズヱさんは「死刑囚の言葉が明らかにされれば、心に空いた穴がひとつ、またひとつとふさがっていく」と話しています。文書の黒塗りにされた部分には、遺族にとって救いとなる言葉が含まれている可能性もありますが、情報公開に消極的な国の対応は、こうした機会を奪うことにもつながりかねません。
日本の司法制度は、秘密主義が徹底していると国内外から指摘されています。国際的な人権団体によりますと、およそ30の州で死刑があるアメリカの場合、その多くで被害者の遺族や報道関係者も死刑執行に立ち会うことができます。死刑囚の最期の言葉を社会で共有することで、事件を繰り返さないための教訓を得られる可能性もあります。日本の法務省は、オウム事件に関しては執行に関わる行政文書と刑事裁判記録を永久保存する方針を明らかにしています。しかし、今後、広く公開や閲覧が認められるかは不透明な状況です。
1年前の執行 黒塗りの文書に何が?
武田:私も元死刑囚たちと同じ時代を生きてきて、事件は社会の中から生まれてきたような気がするんです。だからこそ彼らが語ったことを知ることには意味があると感じます。永田さんはどんなことを感じましたか?
永田記者:四半世紀が経過し、オウムを知らない若い世代も増えていて、事件の風化は進んでいるように感じます。
こちらは先月(6月)、公安調査庁がオウム真理教の後継団体の施設へ立ち入り検査をした際に撮影された写真です。中央の祭壇には、麻原元死刑囚の写真が飾られていることが分かります。公安調査庁によりますと、今もオウム真理教の後継団体による麻原元死刑囚への信仰や勧誘活動は、全国各地で確認されているということです。
なぜ多くの若者が引き込まれ、凶悪なテロ事件を引き起こす教団が生まれたのか。その真相や背景は、裁判では必ずしも明らかにされていません。だからこそ、黒塗りにされた死刑囚らの残した言葉を明らかにし、社会で共有すること。そして同じような事件を二度と起こさないために、教訓を次の時代に受け継いでいくことが今、求められています。

 感情的断罪が目立ち、被害者遺族のやりたい放題であることが上記の記事からも明らかだ。
 確かにオウム事件は悪質なテロだった。しかし、ノルウェーの銃撃事件の実行者は死刑になっただろうか。ノルウェー国民は死刑にすることなく、死ぬまで刑務所に置く形で罰することにしたではないか。
 ノルウェーにできて、日本にできない話がない。お涙頂戴じゃ事件の真相を突き止め、社会に改善を促す裁判の本来の機能はなくなって当たり前である。

2.修復的司法の手法を導入せよ
 裁判の前に必ず被害者と加害者が対話する事を義務化する必要がある、それなくして民事訴訟も刑事裁判も行ってはいけないと私は断言する。
 裁判から被害者や遺族はいないのが本来の裁判のあるべき姿である。では、被害者や遺族の思いはどこで言うべきか。加害者も参加する調停委員会でぶつけていい。そこで反省するきっかけを与えるだけでも違う。
 裁判は何度でも言う、事件の真相解明と再発防止が主眼であり、被害者の感情の発動の場ではないのだ。裁判の複雑化に対応するためもAIを刑事裁判にこそ積極導入し、被害者参加制度の廃止を行うべきである。

3.裁判員裁判は民事訴訟にのみ限定せよ
 裁判員裁判は、本来機能するべき場所として民事訴訟にこそ通用する。
 市民と企業の紛争、国と市民の紛争にこそ積極的に裁判員裁判を使うべきだ。人権に関わる裁判についてはそこにアムネスティ・インターナショナル、日弁連が関与する必要がある。

4.死刑を1945年にさかのぼり、原則禁止にせよ
 既に日本は国連から事実上の死刑廃止命令を出されている。
 上記記事からも、死刑廃止が待ったなしなのは明らかである。よって、死刑は国家権力犯罪者以外原則として1945年にさかのぼって禁止にするべきである。今の政府は業務怠慢であることは明らかだ。

5.法廷侮辱罪を1990年にさかのぼり導入、本村洋を厳しく断罪せよ
 法廷侮辱罪をデジタル大辞泉から引用する。
 法廷の秩序を維持するための裁判所の命令や措置に違反したり、暴言・暴行を行ったりして、裁判所の権威を傷つける罪。1952年制定の「法廷等の秩序維持に関する法律」が適用される。
 最近の法廷は被害者やその遺族の発言を野放図に拡大している傾向があり、裁判の機能停止に拍車がかかる実態である。そして、医療過誤事件においては極端なまでにガードが強くなる傾向だ。
 これ以上の法廷での被害者や遺族の傍若無人ぶりは許されない。日本の法廷は国際法から大きく取り残されていることを踏まえ、法廷侮辱罪の導入を急ぐべきだ。第一号は光市母子暴行致死事件の被害者遺族で、被告人を法廷で再三に渡り死刑にするよう迫ったほか、テレビで被告人への憎悪を煽った本村洋にするべきだろう。
 これで、司法の正義の回復を取り戻すべきだ。高橋被告もこの指摘に従うべきだ。

6.発達障害・知的障害・精神疾患当事者への裁判・刑の執行は原則停止にし、あっても治療刑にせよ

日本の死刑囚、精神障害を発症する危険 アムネスティが報告書
2009年9月10日 18:56 発信地:東京 [ アジア・オセアニア 東京 ]
(c)AFP
【9月10日 AFP】国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)は10日、「残酷で非人道的、品位を傷つける」状態におかれているために、日本の多数の死刑囚が精神障害を発症する危険にさらされているとの報告書を発表した。
 報告書によると、日本の死刑囚97人は、死刑が執行されるのかどうか、また、いつ死刑が執行されるのかわからない状態のまま、死刑執行の日を待つ毎日を送っている。この不安定な状況が、死刑囚に非常に大きな精神的ストレスを生み出しているという。
 「法的手続きが終了した死刑囚は、告知からわずか数時間後に行われることになる死刑執行を待つ日々を強いられている」(アムネスティ報告書)
 「毎日が、死刑囚にとって最後の日になる可能性があり、死刑執行状を持った刑務官が現れた場合には数時間以内に死刑が執行されることになる。何年、何十年とこのような毎日を送る死刑囚もいる」
 アムネスティの医療専門家で、報告書の主執筆者のジェームス・ウェルシュ(James Welsh)氏は、「長期間にわたって、差し迫った死の脅威のもとにさらすことは、残酷で非人道的、品位を傷つける行為だ」と述べた。
 また、アムネスティによると、「トイレに行くことを除いて、死刑囚は独房の中で動くことを認められておらず、座り続けていなければならない」という。「死刑囚は、ほかの受刑者と比べて外気や外光に触れることのできる機会が少ない。また、規則が厳しいために懲罰を受ける機会も多い」
 アムネスティは、「これらの非人道的な状況は、死刑囚の不安と苦悩を増大させ、多くの場合、死刑囚を精神障害へと追い込んでいる」と述べ、「死刑囚が深刻な精神疾患を発症しないように、死刑囚の処遇をただちに改善する必要がある」と述べた。(c)AFP

 ネットのヘイトスピーカー共はすぐに死刑囚を死刑にしろと喚き立てる。
 しかし、こうした現実を見れば死刑にしろという主張は成り立たない。そもそも、精神疾患当事者を死刑にすることは国際法に明確に違反しているからだ。更に国際社会では犯行時未成年のケースについては死刑を許さない事が明らかになった。当然未成年とは18歳も含めているのは明快だ。1989年には死刑廃止条約が締結され、未成年や、妊婦、高齢者や精神障がい者などに対し、死刑の適用および執行を制限する国連決議が行われている(国連経済社会理事会決議第1984/50号「死刑に直面する者の権利の保護の保障に関する決議、国連経済社会理事会決議第1989/64号「死刑に直面する者の権利の保護の保障の履行に関する決議」、国連人権委員会決議第2005/59号」)。
 国際社会から日本は生かされている以上、国際法に従うべきだ。

7.再審請求を原則として受け入れるよう義務化させる
 死刑囚であっても、再審請求の意思を示した時点で死刑執行を停止するべきである。
 日本は再審請求があまりにも受け入れられない。袴田事件でも人権蹂躙が行われているなど、司法によるお政府様への忖度が堂々とまかり通っている。
 司法の正義の回復こそ、日本はやるべきだろう。