2013年8月1日より、日々格闘記はGoogleという新たな世界に打って出ます。なお、熊本大震災・東日本大震災・鳥取大震災の被災者の方々にお見舞いの言葉を、亡くなられた方々には冥福を祈ります。拙ブログは社会的マイノリティとともに歩むブログです。よってレイシズム(極右・極左)及び優生学及びエコテロリズムなどの反人道的な行為や思想を許しません。
2013年10月22日火曜日
地方百貨店を考える 浜松・松菱の場合
今回取り上げる地方百貨店は我が盟友の故郷にあった百貨店である。
この百貨店は伊勢丹と提携していた他、三重県津市、甲府市(現山交百貨店)にも支店を持っていた。松菱の生き残りは今や津市だけである。浜松市に住んでいられる方もしくは訪れた方は駅前の空きビルを見てどんよりとした印象を受けるだろう。
また、関連倒産も目だった。今はマックスバリュ東海になっているが、かつての松菱マート(運営法人は松菱商事、民事再生手続でエコス子会社になりシーズン セレクトと社名変更したがかつてのヤオハンであるイオン子会社・マックスバリュ東海に売却)もそうだった。これらは全て、当時の経営陣である谷一族の放漫 経営の結果だ。
だが、本質は地方百貨店が元々持つ顧客への甘えではないか。外商がこの百貨店はべらぼうに強かった。そこで甘えてしまって改革を忘れたのではないか。
1937年 - 京都府にあった丸物(現近鉄百貨店)の創業者・谷一族により創業。
1944年 4月、木工業を目的に遠州航空木工(株)が設立(後の松菱商事)。
1945年 6月18日の浜松大空襲で奇跡的に建物が残る。だが再建は3年かかっている。
1955年 10月、津市で営業していた「大門百貨店」を継承し同族企業として設立。
1963年 津松菱が店舗を移転。
1965年 1月、戦後社名変更を繰り返してきた遠州航空木工が1月に松菱商事に商号を変更して食品スーパーに転換。
1970年 西武百貨店の進出に対抗して増床。
1971 年 - 浜松市(現・浜松市中区)鍛冶町に西武百貨店浜松店が開店。それまでは、静岡県西部地区で唯一の百貨店として、西武百貨店の進出後も浜松地区の商業の中心 的役割を果たす。また、遠鉄名店街ビルも増床する。子会社・松菱商事が松菱マート「遠州浜店」を開業して多店舗を展開。
1973年 2月、子会社として松菱友の会(資本金2000万円)を設立。友の会は入会して毎月積み立てを行うと、1年後には積み立てた金額より1ヶ月分多い13ヶ月分の金額の買い物券を受け取ることができたため中高年に人気があった。
1979年 浜松モールプラザサゴーと丸井の開業に対抗して再度増床。津松菱は11月に増床。翌年には西武百貨店も増床する。
1985年 松菱商事子会社として11月に衣料専門店子会社ベルテを資本金1000万円で設立。津松菱を全面改装。
1988年 9月に子会社としてエムビー開発(資本金1000万円)を設立。
1992年 - イトーヨーカ堂開店、遠鉄名店街ビルを受け継いだ遠鉄百貨店開業に対抗して「新館」を建設。静岡県内最大の百貨店となる。
1993年 津松菱、北館が増床。
1996年 松菱商事、2月期には年商180億9700万円を計上、静岡県西部地区最大のスーパーに成長。
2001 年 松菱友の会が経営不振になり公聴会で会員に68%しか返済できないことを公表しなければならなくなった為信用不安が拡大。普通は積立金の半額を保証金 として保証会社がなければならないが、経営不振のため保証会社が保証しなかった。これが当時の東海銀行及び静岡銀行の融資打ち切りにつながる。
2001 年11月14日 - 静岡地方裁判所浜松支部から子会社のエムビー開発、松菱友の会と自己破産宣告を受け倒産。負債は松菱が債権者1249名に対して約185億円、エムビー開 発は債権者13名に対して約110億円、友の会は会員4万9660名に対して約33億円。この時は共同ビルで一部店舗営業中、現在は移転。
2002年 松菱破産による信用不安から取引先からの納品に支障をきたし、6月12日、松菱商事(資本金4000万円、金原善一社長、従業員530名)、子会社ベルデと共に民事再生手続を申請。
2003 年 津市にある津松菱が松菱破産の風評被害で経営不振になり、産業再生機構からの支援を受け、谷昇社長は退陣、大丸から社長を迎えて経営再建に取り組む。 一方、松菱の経営再建は断念となり、松菱の資産は浜松市の不動産会社、アサヒコーポレーション(靴製造のアサヒコーポレーションとは無関係)に売却され、 アサヒコーポレーションによって再開発が行われることとなった。
2003年 2月、エコスが松菱商事を買収。
2004年 松菱商事が民事再生手続を完了、経営再建を終える。
2005年 7月、松菱商事が新ブランドストアシーズンセレクトを立ち上げる。
2006年 10月、松菱商事が新社名シーズンセレクトに変更。
2006 年7月31日 大丸が松菱跡地に入居する方向で検討を開始、2007年7月24日、アサヒコーポレーション、大丸、浜松市の三者が、「大丸浜松店(仮 称)」出店で基本合意。だが、その後の調査で大量の地下水による難工事が予測されたことや、一部地権者との合意形成が出来ていなかったこと、その後の急激 な景気の悪化のため、大丸は出店を断念。松菱跡地は何も動かない膠着状況にある。
2008年 8月1日にマックスバリュ東海がシーズンセレクトを買収、事業を全て8月21日付で本体に移してシーズンセレクトは翌年清算。
今回、松菱を取り上げた理由はWikipediaへの疑問である。
1945年から70年代についてWikipediaでは何故かおざなりになっている。そこで、Googleで検索した結果、ハッキリ分かった。なので、 ネットに私達は絶対的信頼を寄せるなと言いたい。むろん、アメリカに懐柔されている日本のカスゴミ(メディア産業)どもも論外だが、自分の力で調べて空白 を突き止めるべきだ。