2013年8月1日より、日々格闘記はGoogleという新たな世界に打って出ます。なお、熊本大震災・東日本大震災・鳥取大震災の被災者の方々にお見舞いの言葉を、亡くなられた方々には冥福を祈ります。拙ブログは社会的マイノリティとともに歩むブログです。よってレイシズム(極右・極左)及び優生学及びエコテロリズムなどの反人道的な行為や思想を許しません。
2013年10月19日土曜日
地方百貨店を考える 那覇大越の場合
今回は沖縄三越の前身・大越百貨店を取り上げる。
三越伊勢丹ホールディングズ結成により、リウボウと兄弟企業になった沖縄三越はどう変わっていくのだろうか。
1957年8月24日 大城鎌吉により大越百貨店が創業。
1959年1月 那覇空港国内線旅客ターミナルビル内に出店。
1970年5月1日 本店2階に東宝系映画館「沖縄東宝劇場」が移転オープン。
1970年10月10日 三越と25%資本提携して沖縄三越に名称変更。
1973年8月 沖縄県那覇市首里のホテル日航那覇グランドキャッスルホテル内に出店。
1990年1月16日 「沖縄東宝劇場」が閉館。
1991年4月29日 本店を増改築してリニューアルオープン。
1997年4月23日 沖縄県沖縄市のプラザハウスへ出店。
2004年3月1日 経営破綻状態の沖縄三越の経営再建の為、会社分割により、新沖縄三越が誕生(正確には休眠状態となっていた株式会社沖三を同日付で商号変更の上分割承継)。分離後旧法人は清算された。
2007年9月1日 沖縄県豊見城市のTOMITON内に出店。
いずれもWikipedia日本語版より引用させてもらった。
だが思う。Wikipediaでは書かれていない事実があまりにも多い。現に甲府の中込百貨店を取り上げた際にあまりにも情報不足で書かれたと思われる記 事に私は愕然とした。同じことは『痴漢』冤罪事件の被害者である植草一秀氏にも言える。植草氏の場合は独善そのものの歪んだ正義の被害なのだが、中込の場 合は明らかに資料不足である。
記事を書き込む記者たちはもう少し国会図書館にいくなどして情報を集めて、そこから記事を書くべきだ。ダックシティの前身百貨店についても私は同じ思いを感じる。
ちなみに前身である「大越百貨店」という名称は、大城が東京日本橋の三越本店で買い物をした際、接客態度の良さにあやかって命名したものだそうで、県外の 大手百貨店が続々と提携話を持ちかける中、余り条件が良くなかった三越と提携を結び、傘下に入ったのはそのような事情のためだそうだ。
今回のコラムでは、沖縄県大百科事典を参考にした。これは、沖縄タイムズ社が発行しているものである。せめて、Wikipediaの執筆者達はきちんと資料を集めて書いて欲しい。何度も苦言をていさざるを得ない。